谷合-基生の世界観研究所

世界の新たな解釈を募集しています.任意の記事のコメント欄にご自由にお書きください.

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最近の記事

いつも夢は終わってほしくないところで変な現実の邪魔が入って終わる。いつもということは、すると現実で起こった眠りから覚める原因と同時に夢のクライマックスが逆算されて構成されているのではなかろうか。

    • タイムマシン理論を作ろうということは既成の時間概念と同じ土台で論を展開しようとすることであり、私はその方法には先がないと考えている。今必要なのは新たな時間概念の構築であり、時間に関するパラダイムシフトである。

      • 来てほしい日はなかなか来ないのに、時間だけは圧倒的なスピードで過ぎ去っていくという現象を感じたことはありますか?不思議なことにここに矛盾感はないのです。

        • 純文学がなぜ僕に必要か

           ライトノベルは若者向けに作られているというわけではないでしょうが、普段耳にする文章の構造が多く簡単に理解しやすいという特徴があるのは事実です。そのような小説はスラスラ進むので読んでいて心地よい所はあります。  ライトノベルと比較して純文学は(僕が読んできたものですが)、一つ一つの文の意味を理解するのに時間がかかることが多いです。作者が作った文に何の含みもないと考えてスルーしてしまうのも一つの読み方ですが、僕は時間をかけてじっくり考えて読む方が自分に合っているし、得られるもの

        いつも夢は終わってほしくないところで変な現実の邪魔が入って終わる。いつもということは、すると現実で起こった眠りから覚める原因と同時に夢のクライマックスが逆算されて構成されているのではなかろうか。

        • タイムマシン理論を作ろうということは既成の時間概念と同じ土台で論を展開しようとすることであり、私はその方法には先がないと考えている。今必要なのは新たな時間概念の構築であり、時間に関するパラダイムシフトである。

        • 来てほしい日はなかなか来ないのに、時間だけは圧倒的なスピードで過ぎ去っていくという現象を感じたことはありますか?不思議なことにここに矛盾感はないのです。

        • 純文学がなぜ僕に必要か

          馬達がこの家に向かってきている。【勉強中】

           知識について考えたことを書き留めておきます。  例えば、馬たちがこの家に向かって走ってきているという命題を知識に当てはめる時、私は馬たちがこの家に向かってきていると信じているとします。ここで真なる信念とは馬たちが実際この家に向かって走ってきていて、私がそれを信念として持っているということです。ここでは正当化段階は考えないこととします。ここで問題となるのは馬たちが走ってきているという事象は誰によって叙実的事象に昇華するかということです。馬たちという了解として記述されるというこ

          馬達がこの家に向かってきている。【勉強中】

          女性は科学に向いていないのか?

           女性は男性よりも論理的な思考が苦手である。現実主義で感情に頼りがちである。僕の中にはこのような偏見がある。それにより生活を支配されている。実際勉強の面で男性をライバルだと感じたことはあるが、自然と女性がそうなることはなかった。スポーツでもそうだ。女性が男性に勝てるわけがない。僕は自分の中にあるこのような考えを偏見だと知っている。厳密に言うならば、偏見ではないかと思っている。それは誰にも決定できない決定不全である。誰かが僕の「女性は男性より科学ができない」という考えに反対する

          女性は科学に向いていないのか?

          「皆がやってたら自分もやっていいの?」

           自分が今までこのような問いかけをされたことがあるかどうかは分かりませんが、どこかでは聞いたことがある。そういった問いかけです。  学生である僕は「はい、その通りです。それがこの国だから。」と答える でしょう。望ましい質問者の答えはこうです。「その通りだ」  ここでこの問いかけを、皆がやっているからと言って正しいとは限らない。だから皆に影響されずに正しいことをすべきだという意味でしたならばこの質問者はものを考えることができないと思った方がいい。正しさとはこの国では多数決で決ま

          「皆がやってたら自分もやっていいの?」

          耐え耐えの耐え

           こんばんは、谷合‐基生です。何にも本気で打ち込めない今日この頃ですが、気になったことがあります。変化の無い部屋の中に長時間いたことはあるでしょうか。その部屋にいる間は一定の定められた作業しかしないものとします。時計はありません。そしてその作業を終えた後に部屋から出て時計を確認します。するとこんなに時間が経っていたのかと気づかされた、という経験はないでしょうか。僕はこれは一種のタイムリープではないかと考えるのです。部屋の中にいて自分は体調の変化と何となくでしか時間の流れを感じ

          推し活する人は心が弱いのではないか

           推しという言葉が普及してきて本当に面倒臭い思いをしています。どう考えても推しがいる方が異常なのに「推しいないの?」的なニュアンスが嫌いなのです。バイト先の中年女性ですら推しという言葉を使っています。  他にも最近教えてもらった言葉に、ガチ恋やリアコというものがあります。アニメのキャラなどに本当に恋愛感情を持っている時に使うそうです。ハンターハンターのヒソカにそれであるという人がいました。その人は天才なのだと思います。もしくは虚言ではないかと思います。推測ですが、実は恋愛感情

          推し活する人は心が弱いのではないか

          科学の成果は一朝一夕?

           僕は努力の方向が正しいという言い回しを聞くと頭に?が浮かんでくる。しかし分からないでもない。ある達成目標があり、そこに向かって着実に一歩ずつ進んでいるイメージをすれば。  しかし何かを達成した時、自分が努力してきたおかげかただ単に運によるものなのか決めるは自由ではなかろうか。そこで自分の努力が正しかったというのは結果論ではなかろうか。努力の方向性がずれている場合も考えられる。僕は時間の問題と同じく努力という概念も必然的に認識されるものではなく仮定されることで初めて実現される

          科学の成果は一朝一夕?

          GIGAスクールで子供はパソコンマスターになれるのか

           子供はポケモンマスターになる時代からパソコンマスターになる時代になりました。あまり政治的な事を発言したくありませんが、今の政治家を見る限り、GIGAスクール構想というのは単なる思いつきで実行されたものだと感じます。小さい頃からit機器に触れさせておけばその分慣れて、色んなことができるようになるだろうという安直な考えでしょう。物事のポジティブな面だけを見ようとする人間が多いのです。前まではゲームや携帯をずっと見ているのは健康に良くないと世間的に言われていましたが、この状態では

          GIGAスクールで子供はパソコンマスターになれるのか

          科学の世界は排他的だ

           科学は正しいのか。正しいと認められたものだけが科学に昇華できる、その考えは誰もが持っているものでしょう。しかし僕には科学は閉じられた環境にしか思えないのです。  まず科学を一般に向けて広く伝えていくという科学コミュニケーターというものがあります。これが科学は本来閉じられているということを物語っている。どこかでは科学を再び庶民の手に、というキャッチコピーも聞いたことがあります。  僕からすれば、閉じられていて大学とか研究機関の中という限られた人間の間で精査して科学とする営みは

          科学の世界は排他的だ

          プロローグ

           カーディーラーを営むムカイ・白石は休日、学園に続く海沿いの道を大型バイクで走ることが唯一の趣味だった。それはミケにも分かっていたことだ。ムカイの殺害がミケの学園入学の決めてになったのは確かだろう。  「結局、犯人は学園在校生の中にいるということで間違いないでしょうか?」  「あぁ、それは間違いない。遺留品から割れている。学園の失墜を狙う人間ではないかという仮説が立てられたところだ。」  ムカイが営んでいたディーラーに残された、「Ⅰ」というマークのバッジ。あれは一体何だったの

          私たちはいつから異世界を感じていたのだろうか、少なくとも生まれた時から私の側には異世界があった。

          私たちはいつから異世界を感じていたのだろうか、少なくとも生まれた時から私の側には異世界があった。

          僕のモットーは浅く広くだが、学祭領域においては広く扱うほど深いという解釈で良いのではなかろうか。

          僕のモットーは浅く広くだが、学祭領域においては広く扱うほど深いという解釈で良いのではなかろうか。

          子供の延長線上 【短編小説】

           僕の町から少し東に行くとちょっとした繫華街が見えてくる。ちょっとしたと言っても田舎育ちの僕にとってはかなりの都会的ストリート。そこの川沿いの一角に本館と二号館に分かれたアミューズメントビルという建物がある。ほとんどの成人に届かない者たちはフロア全体をプラスティックの人工芝に覆われた不思議な雰囲気を漂わせている二号館の通称ゲーセン館に出入りするのだが、地元と隣町の若者は次第に子供の時代を終えると、より下流に位置する紫のネオンライトに照らされた大人の本館に入り浸るようになる。

          子供の延長線上 【短編小説】