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「嘆き」があるから「祝い」がある ~School for Life Compath~

前回はCompathに参加した経緯について書きました。

今回は何をやったのか、何を学んだのかについて書きます。

と思ったんですけど、何をやったのかについては
CompathのHPとかInstagramを是非見てください(丸投げ)
ちょっとだけ写真を載せます。

NVC (NonViolent Communication)の授業
旭岳&近隣の森でのお散歩
カメラでパシャリする私 photo by 清水エリさん(タイトルの写真も)

心に残っていることを書きます。

それは

「嘆き」があるから「祝い」がある

ということです。

「嘆き」と聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
私はですね、
メンヘラ・ネガティブ・メンタル弱い・時間の無駄。
自分が失敗して嘆いて時間を無駄にするくらいなら、
まずは失敗をしないようにしたい。
嘆く暇あるなら他のことしないと!って思っていました。


Compathでの生活はいつもと違う雪景色にワクワクし、
対話を楽しみ、様々なことに心が動かされやすくなっていました。
良かったなって思えることがたくさんあります。
正直、1か月滞在したなかの3週間くらいはいい思いばっかりしていました。

でも滞在期間ラスト1週間になった時に、
負の感情が自分の中で大きくなっていることに
気づいた出来事がありました。

対話するからこそ、自分の気持ちをうまく言えなかったり、
一緒にいる相手にムカついたり、
埋められない考え方の違いがはっきりして悔しかったりしたのです。
誰とも話したくなかったです。

でもせっかくの滞在期間を嫌な気持ちで過ごすのも良くないから、
こんな感情は持っちゃだめだ。
こういう前向きじゃない気持ちは人前に見せずに飲み込んで、
切り替えて他のことに取りかかるべき。

いつもならそう思って気持ちを押し込んでいたと思います。
でも一緒にいた皆はなんとなく私が本調子じゃないことに気づき、
全くまとまっていない私の話を聴いてくれました。

言葉にしたいのに砂を抄うように言葉がこぼれて形にならず、
代わりに涙が溢れ、泣いてんのか話してんのかわからない状態です。

涙も止まり、話し終えた時、皆の顔に浮かんでいるのは
あきれ顔でも疲れ顔でもなく、笑顔でした。

「いつもポジティブだから、逆に話しにくい部分あったんだよね」

とまで言われる始末。
楽しむだけじゃなく、弱いところを見せられてもっと仲間になった感覚。
嘆いたからこそ辿り着いたんだと思います。

どんなにかっこ悪い姿を見せようが、泣こうが、
受け入れてくれる場があることで、
自分自身も何が嫌だったのか言語化できる場になる。

嫌なことがあって、すぐに切り替えるのも大事だけど、
まずはきちんと嘆くこと。
何が自分をこんな気持ちにさせているのか気づくこと。
それを1人で抱え込まずに共有すること。

ここまでできてやっと私は他のことに切り替えることができるんだなあ。
嘆くから受け入れてくれる人がいることを知れました。
これは私にとっての「祝い」です。

今までは切り替えたふりをして傷に蓋をしていただけでした。
でも。
嘆ききれば、最悪の事態を犯してしまえば、もう後は上を向くだけです。
そうやって前(というか上?)向きな気持ちになれました。

嘆くことは祝うための準備だったんですね。

「楽しかった」だけでももちろんいい思い出にはなったでしょう。
でもそこから嘆けたからこそ学びがありました。

考えてみると、今までをふりかえって思い出されることって
何かコテンパンにやられて立ち尽くし、凹んだ出来事が多いです。
ただいい思いをした出来事ってそれはそれでいいんだけど、
凹んだ時・たくさん時間をかけて、それでも苦しかった時の方が
鮮明に思い出されるし濃いなあ。

嫌な感情を持つことに怯えるんじゃなくて、
持ったことを認めたうえで私は何をするか?を考えたい。

ということに気づいた滞在期間でした。





Compathにはこうやって一つ一つの出来事に対して
向き合える余白があります。
せかせかしてたらそのままにしてしまうような些細な出来事に
向き合う時間がたくさんあります。

きっと訪れた人それぞれに何かしらの学びがあると思います。

私はCompathに行けて良かったし、
皆と出会えたこと・対話ができたことが
これからの自分の在り方を考えるきっかけになりました。

また東川町に行きます!!!





(まだ書きたいことあったから今後小出しにしそうです。)