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 やっちゃば一代記 実録 大木健二伝

八日市場村
 八日市場村で一番の季節は春だ。集落のグルリには掘割があり、そこが
利根川からの揚水で水嵩を増す頃、土手の木々は川面に新緑の葉陰を落とし、小さい羽虫が緩い流れをかすめるようにうるさく飛び回る。羽虫に飛
びつく魚、その魚を長いくちばしでひょいと摘み上げる白鷺。春はそこら
中の小さな命を鼓舞し、健二はそんな自然の移りようの兆しを誰よりも早
く嗅ぎ取ると、掘割や水路、山へと飛び出していた。
 水辺は鯉、鮒、泥鰌、鰻、雷魚など種類も数も多かった。魚取りに夢中
になっているさなかに、ときどきパーンという音が混じる。数十羽の鴨が
葦原からばさばさと飛び立ち、上からぱらぱらと鉛玉が落ちてきた。健二
たちは葦の陰に頭を低くし、息を殺して鴨猟の終わるのを待った。
 魚取りの絶好機は田に水が落ちていく真夏である。田植えの盛りに、掘
割から水が引く日は朝からわくわくした。ふんどしや猿股姿の子供たちは
バケツと竿を手に目を輝かせ、堀端の水位が下がるのを待った。川底が見
えてくると、先を争ってぬかるみに飛び込み、泥水を跳ね上げている鯉、
鮒、鰻を掴み取り、竿ですくった。
 蝮、しま蛇、ザリガニ、タニシ、イナゴ、熊蜂の巣・・・・村の山河や
田畑にいる小動物の類はすべからく健二の狩猟の対象だった。蝮は長い棒
で嚙まれないように取るのが上手だった。これは大人たちの強壮剤にんり、
しま蛇は味噌漬けなり、ザリガニ、イナゴは鶏の餌になった。健二の獲物
は大人たちを喜ばした。ことにザリガニは卵の黄身を赤くするので、それ
だけで高値で売れると褒められたが、健二にすれば自分がその卵を食べた
いがためにザリガニ取りに精を出したのである。鶏小屋から卵を目立たな
い程度に頂戴してきては、麦の混じった炊き立てのご飯の上に生卵を割っ
て落とした。半熟の半分くらいのとろっとした橙色の黄身といっしょに、
かきこむご飯は絶品だった。

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