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やっちゃば一代記 実録(13)大木健二伝

やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
 京橋大根河岸の築地への移転
京橋大根河岸は昭和十年二月、築地市場に移転、発祥から三百年の歴史に幕が降ろされた。移転記念式典は二月十一日の紀元節の日(建国記念日)。楽隊を先頭に大勢の入場者が銀座通りを練り歩き、当時としては桁外れの祝賀行事となった。この式典について当時の東京朝日新聞はこう伝えている。
「市内八百屋さん二千五百名が勢ぞろいし、楽隊を先頭にして中央市場に練りこんだ。半纏に紺の股引、白緒の草履のいなせな一組、紋付羽織はかまの八百屋さん、なかにはモーニングも混じっている。(中略)折詰めお赤飯と瓶詰め、清酒で、八百屋さんたちはいい機嫌で『籠でゆくのは西瓜じゃないか、わたし築地にゆくわいな』と引越小唄なるものを合唱したものだ。」
築地市場はその一年前に一部が完成し、魚問屋が先行入場する予定だったが、買い出し人と問屋との争議の始末ががつかず、青果市場より遅れて入場した。ただ、魚問屋は新設の築地市場とは目と鼻の先の隣接地ですでに営業していたので、事実上、野菜と魚の市場は同じ土俵で商いをすることになった。これで築地市場は名実ともに日本最大の市場になったが、青果市場では移転に伴い、入荷品の全てがセリ取引に移行、また先取りが全面禁止されることになった。取引は売り手と買い手が個別に行う相対取引、また、河岸で陸揚げという性格上、取引前に一定量を確保する先取りという商行為が慣例だった。長年の商慣習を一変させる新取引に業者の多くは戸惑いをかくせなかった。
「築地に行ったら全部セリになるそうだ!。セリだと値段が見えちゃうから
旨みがなくなるってもんだ。」
「反対に抜け駆けができなくなるさ。同じ土俵で勝負するわけだ。みんなが一緒にやるから、どいつもこいつも幾らで買ったかお見通しだ!。」
「でも上げセリだから、買い手にには不利。欲しい奴は値ごろを無視して買っちまう。荷主が喜ぶ取引だよな!。」
「おまけに先取りもできないというじゃないか。神田は先取りが自由らしい。場所が狭いから、セリ前に荷物を動かさないとごちゃごちゃするというのが理由らしいが、いつでも荷物を引ける方がいいに決まっているよな。」
「セリの狙いは荷主にどんどん野菜や果物をつくってもらおうってこと。
まず荷主につくる気を起こすような値段を示さないといけない。セリなら買い手も売り手も納得のできる値段が出てくるからね。お上(東京府)は、築地を野菜相場の建値市場にしようと、えらく勇んでいるそうだぞ。」
築地移転を目前にした大根河岸の問屋街では、取引手段の変更をめぐり、不安の混じった賛否両論があちこちで交わされたのである。
 これまでは売り手の袖の中や前掛けの下でやり取りする手やりという方法が採られていた。例えば親指を握ると六銭あるいは六分、親指と人差し指とで七銭、または七分を意味し、いまも下関で行われている河豚の取引方法とが同様、値段が当人同士にしか分からないような仕組みになっていた。情実が入りやすく、闇取引のイメージもあった。
 健二は手やりをしながら値段を大声で言ってしまったことがある。売り手に怒鳴られはしたものの、一方で声を出した方が勢いが出るし、この方がよほど肌に合うと感じた。「なんだ、セリというのは、手やりを袖からだしてやるのと同じではないか。全く違う方法になるわけではない。むしろセリの方がライバルの手の内が分かりやすい。これは面白い取引きになる。」健二は武者震いしたものだ。

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