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やっちゃば一代記 実録(17)大木健二伝

やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
 やま周り
青果市場で一旗揚げるには専属産地を多く抱え、商品を確保することが第一である。まだまだ庶民の胃袋は満たされず、物さえあれば商売になった。
 健二は【セリは男の花道】とばかりに連日強気買いで鼻息を荒くする一方
セリ人の『売ってやるのだ』という、どこか傲慢な態度に鼻持ちならないものを感じていた。もちろん、それが、産地を誰よりも多く抱えているというセリ人のプライドの一端であることは分かっていた。
 大根河岸で営業していた頃のことである。当時の青果市場の休日は、月に一度の十六日で、その前日、仕事を終えた健二は店の自転車を引っ張り出し、荷台にテントを括り付けていた。
「おい健二、キャンプにでも行くのか?どこの山だ?」
 「ちょっと葉山まで!。」
「葉山なんて山が近くにあったか?」
 「山はやまでも武藤さん、武藤次郎兵衛さんの畑です。三浦半島の葉山です。」
「三浦半島の付け根まで自転車で行こうってのか?大した根性だな!。」
仲間の業者は半分からかい気味に驚いて見せた。
小遣いが少なく列車に乗る余裕はなかった。
自転車を足代わりに休日返上で初めてのやま周りをしようというのである。築地から葉山までおよそ六十キロ。優に五、六時間はかかる。尻の皮が擦り剝け、骨をうずかせながら、どうにか葉山の近くに漕ぎつけた時には、日はどっぷりと暮れていた。
 夜目にテントを張る場所を探していると、小高い所に廃屋のような建物がある。天井の低いコンクリート製の展望小屋の様だ。そこで社宅の賄いに作ってもらった大きなおにぎりを三つたいらげ、テントを布団代わりにして横になった。五月の夜風はまだ冷たいが、疲れ切っていた健二はすぐ眠りに落ちた。樹木の葉がこすれあう音が子守唄のように聞こえていた。そのなかにコツコツと革靴の音が混じり、だんだん大きくなった。靴音は入り口のところで止まり、黒い影が入り口を塞いだ。
「貴様!、ここで何をしているか?スパイ容疑でお前を処刑する!。」
兵隊と思える影が軍刀を大上段にかざし健二に迫ってきた。
刃がきらっと光り、冷たい軍刀が首に振り落とされた。
 「ひっー!痛い!。」
自分の悲鳴に驚いて目が覚めた。コンクリートの廃屋の小窓から光が差し
健二の首にはテントの留め金が当たり、汗で濡れていた。
夜が明けかけていた。相模湾の紺碧水面は小波が立ってキラキラしている。
コンクリートの廃屋はトーチカで、軍政の色濃いご時世だけに、横須賀に海軍基地を置く三浦半島には見張り用に幾つも作られていたのだ。

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