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『ペルシアン・ブルー22』

   28 スメニアの章

 さあて、困った。

 何とか舌先で魔王を言いくるめたものの、あたしだって、そんな便利な方法を知っているわけではない。ただ、魔王がミラナに未練を持っているなら、そこに付け込めないかと思っただけ。

 本当は、王子がこいつの首を落とした瞬間、飛び出して首を拾い、そのまま香水瓶に封じるつもりだった。でも、頭と胴体が分離した瞬間、それは無駄だとわかったのだ。

 こいつの意識は、頭部だけに宿っているのではない。波動として、全身に染みついていることが見えたから。あたしが首を奪って逃げても、すぐ胴体の方に追いつかれてしまう。胴体だけでも、あたしより強いだろう。

 それより、ミラナを傷つけたことで、こいつが動揺したことの方が問題だった。こいつ、どうやら、このミラナという娘に惚れているのだ。根性が曲がっているから、素直にそうと認められないだけで。

「さあ、どうするんだ、やってみろ」

 魔王は、あたしを挑発するかのように言う。本当は、ミラナを助けてほしくて、じりじりしているくせに。

 けれど、傷の手当てをあたしに教えてくれた一族の長老たちも、悪霊に憑かれた人間を解放する手段までは知らなかった。わかっていることは、彼らの一般的な性質だけ。

 悪霊は、ひがんだ魂の波動に引かれて集まる。いったん凝集の核ができると、次々と新たな悪霊が寄ってきて、重なり合い、歪んだ考え方のまま凝り固まる。言葉による説得は通じない。都合よく、一部だけ分離してもらうことなど、できるはずがない。

 けれど、この状況では、とにかく何かをしなくては。

「アルタクシャスラ王子、あなたの短剣を貸して」

 あたしは、麗しい黒髪の王子に声をかけた。ペルシア兵は元来、剣より弓を得意とするものらしいけど、彼は外国風の長剣の他に、帯から吊るした黄金の短剣を持っている。外側は宝石で派手に飾り立てられているが、刀身は鋭利な鉄だ。

「そして、ミラナが助かるように祈っていて」

 差し出された短剣を借りて、あたしは魔王の躰に近づいた。

「あなたの心臓を使わせてもらうわ。どのみち、あなたに心臓は必要ない。血が流れていないんだものね。でも、そこは悪霊たちの住処になっているのでね。えぐり出せば、悪霊の一部がついてくる。それをミラナの躰に埋め込むわ」

 鈍く光る切っ先を魔王の黒衣の胸に当て、あたしはにやりとしてみせた。

「怖いなら、やめてもいいわよ」

 こいつは天の邪鬼だ。弱みを見せるのが怖いものだから、言われたことにいちいち反発するのだ。やはり、彼は冷笑を浮かべて言った。

「やってみろ。俺は不死身だ」

「それじゃ、遠慮なく」

 あたしは呼吸を整え、切っ先に神経を集中させた。

 勝負は一瞬。

 力を込めた鋭い短剣が胸骨を割り、魔王の凍った心臓に届いた。彼の躰に染み込んでいた悪霊たちの凝集に、一瞬の動揺が走る。

 すかさず、そこにありったけの力を打ち込んだ――金属の短剣を楔として、あたしの全身の〝気〟を送り込み、魔王の肉体を内側から破裂させたのだ。

 凄まじい結果になった。

 完全に癒着していなかった頭部が外れ、壁にぶつかって跳ね返る。全身の関節がきしみ、骨が砕ける。筋肉が裂けて吹き飛び、ちぎれた内臓が室内にまき散らされる。折れた肋骨が肉片付きで、あたりにばらばらと振り注ぐ。

 血液が循環していないので、凍った肉を切断した時のように、出血らしい出血はなかったけれど。

 そこにはもう、かつて人間だったものの残骸しかなかった。腕や足は乱暴な巨人がもぎ取ったかのように、あちこちに放り出されている。

 一瞬、宿るべき住処を見失った怨念の大部分が、途方に暮れたような様子で、宙に取り残された。あたしは大地と大気から最大限の力を引き出し、突風を巻き起こして、悪霊の集合体を窓から吹き飛ばす。

 木枯らしのような悲鳴をあげて、彼らは霧のように夜空に散り、渦を巻き、背景の星々を覆い隠した。

 もちろん、そのままでは、奴らはすぐに戻ってくる。そして、王子かミラナを新たな依り代にしようとするかもしれない。彼らの好きな波動ではないだろうが、宙に浮いたままでは、いずれ霧散してしまうからだ。

 あたしは隅に転がった魔王の首を拾い上げ、その口が何か言おうとするのを無視して――まだ意識はあるらしい――帯にはさんでいた香水瓶に吸い込ませた。素早く蓋をして、外から封印してしまえば、少しは時間稼ぎになるだろう。

「ちょっと待ってて!!」

 あたしは呆然としている王子に叫び、いつもの絨毯の代りに、そこにあった毛皮の敷物を舞い上がらせて、窓から外へ飛び出した。そして、あたりに漂う悪霊たちの中を突っ切る。わざとゆっくり、彼らの注意を惹くように。

 それから、岩山の上空へと昇っていく。

 背後を見なくても、わかった。慣れた依代を失った悪霊たちが再び凝集し、あたしを敵とみなして追ってくる。山地を取り巻く結界を成していた悪霊たちも、その怒りに共鳴して、追跡に加わってくる。

 かなりの大軍だが、とりあえずは、それでよし。この悪霊たちが人間の軍隊に襲いかかり、彼らに取り憑くようなことになっては厄介だ。まずは、人間たちから引き離す。

 とはいえ、あたしがこのまま逃げ切れるかどうかは、怪しかった。悪霊たちもまた、大地や大気の〝気〟を吸収しているのだ。明確な意識や思考力は持っていなくても、力そのものはあたしより強い。おそらく、数百人、数千人の怨霊が寄り集まっている。

 あたしは火が燃える岩山を高く飛び越え、平らな砂漠に出てから、思いついて急上昇をかけた。高く。どこまでも高く。

 わずかな雲を突き抜け、空気が冷たくなり、星がまたたかなくなる高さまで。

 もちろん、奴らはまだ追ってくる。

 もっと高く。空気のなくなる高さまで。

 ついにあたしは、真空に近い宇宙空間にまで上昇していた。さすがに寒い。毛皮の敷物にすがりつき、自分の周囲の空気だけは辛うじて保っているけれど、大地ははるか下方に遠ざかり、雲を散らした青い球体となって、暗黒の空間にぽつりと浮かんでいる。

 この球体の、何と小さく、そして貴重なことか。

 青く輝くその宝石の周囲は、どこまでも深い、底無しの闇であるからだ。

 彼方には荒れ果てた月が見え、さらに遠くには、白く無慈悲に輝く太陽がある。

 そして、更に遠く小さく輝く、無数の星の群れ。太陽と同質の光を放ってはいるけれど、あまりにも遠すぎるため、かすかな点にしか見えないのだ。

 以前、遊び半分で、これに近い高さまで昇ったことはあるけれど、この高度に達する前に、苦しくなって引き返したことを、あたしは思い出していた。

 この空虚な空間には、あたしに力を与えてくれるものが何もないからだ。もしかしたら研究次第なのかもしれないが、太陽から放射される粒子の流れも、そのままでは密度が薄くて利用しにくい。

 それに、ここまで上昇するために、体内で循環させておくべき活力を、かなり使ってしまった。もうそろそろ限界だ。これ以上飛ぶ力も、戦う力もあまり残っていない。

(やっぱり、無茶だったかな……)

 いつも、ヤスミンに怒られていたものだ。動く前に、まず考えなさいと。でも、ヤスミンがいる時は、考えることは任せておけばよかったから……

(ごめん、あたし、迎えに行けないかも)

 けれど、心細くなったのは、悪霊どもにしても同じだったらしい。彼らにはあたしより余力があったけれど、それでも不安がっていた。こんな場所まで、依代もなしに来たことがなかったのだ。

 元々、何かに依っていなければすぐ拡散してしまう、不安定な存在である。まとまった思考をすることのできない、情動の塊のようなもの。

 彼らは、この広大な空虚の中で、唯一彼らにわかるもの――生きている、温かいものに引かれて集まってきた。そして、止めようもなく、吸い込まれるような勢いで、あたしの体内に入り込んできたのである。

 ――しまった。

 冷たい霧のようなものに入られた、と思った瞬間、あたしは反射的に心臓をかばい、身を縮めていた。両腕で胸を抱え、わずかな空気に包まれた毛皮の上で丸くなる。

 人間よりはるかに長いあたしの人生でも、初めての体験だ。一体どうなるのか、見当もつかない。

 あたしの体内に、何か冷たい波が広がっていく。しんしんと、冷たく染みとおっていく。手足の先が凍え、かじかんでいく。冬の極地で氷浸けにされているかのように、冷気で頭が締めつけられる。

 まずい、気が遠くなりそうだ。

 このまま意識を失ったら、あたしは単なる、こいつらの入れ物になってしまうのではないか!? 意志も記憶も、すべてこいつらの中に拡散し、薄れ果ててしまうのでは!?
 
 冗談ではない。

 そんなことになるために、三百年も耐えたわけではない。

 あたしは絶対に、こんなものに乗っ取られたりはしない――ヤスミンが、あたしを信じて待っているのだから!!

 自分で自分の怒りに火をつけたことで、少し意識がはっきりした。そうだよ、あたし、怒ったら強いのが取柄じゃない?

 やがて、冷気にしびれたような頭の底から、ざわざわと声が湧き上がってくる。誰かが話している。訴えている。嘆いている。

 ――ここはいやだ。

 帰りたい。戻りたい。大地の懐に抱かれたい。安心したい。温めれたい。寂しいのはいやだ。冷たいのはいやだ――助けて。助けて。助けて。

 それが、悪霊たちの切実な望みとわかって、あたしは少し拍子抜けした。

 何百人、何千人分もの意識が溶け合っているくせに、それでもまだ、寂しいのが辛いって!? そして、このあたしに何とかしてくれって!?
 
 呆れるではないか。

 あたしは、どんなに邪悪で冷酷な奴らかと思っていたのだ。全力で戦わねばならないものと思っていた。それなのに、まるで迷子の子供のような頼りなさ……

 彼らの声を聞き取ろうとしていると、遠い記憶が伝わってきた。水底から浮かび上がる気泡のように、切れ切れの、かすかな記憶のかけらがはじけていく。

 悪天候で作物が実らず、ひもじさに苦しみながら死んだ者。

 友達だと思っていた相手に、財産をだまし取られた者。

 悪い病気にかかって、村はずれに捨てられた者。

 奴隷に生まれて、鞭打たれながら働かされた者。

 売春宿に売られて、幾度も妊娠し、最後には客に首を締められた者。

 宦官にされるため無理に去勢され、回復しきれずに死んだ者。

 何百人、何千人分もの苦しい記憶が、次々とあたしの脳裏に浮かんでくる。

 生きることは苦しいこと。辛いこと。助けてほしかったのに、救いはどこにもなかった。でも、本当に何もないのだろうか。人生とは、ただこれだけのものなのか。どうしてもあきらめきれず、躰を失った後も、何かを求めて漂い続けていた……

 ――ばかばかしい、外からくる救いなんかあるものか!!
 
 あたしは怒りと痛ましさとで拳を握る。生きることは戦うことだ。戦い抜いてそれでだめなら、その時はいさぎよくあきらめられる。

 自分の魂は、自分にしか救えないものだ。

 そして、そういう覚悟を持つ人間同士ならば、互いに寄り添って慰め合うこともできる。外部からの救いが、もしあるとしても、それに感応するのは自分の力。

「この阿呆ども!! あんたたちは、自分で自分の人生を捨てていたのよ!! なぜ、少しでも戦おうとしなかったの!!」

 彼らの感情の海に浸りながらも、あたしはまだ、自分自身を失っていなかった。

「戦う覚悟を持てば、そうして力一杯戦い抜けば、たとえ負けてぼろぼろになっても、満足して死ねるのよ!!」

 そりゃ、あたしもまだ死んだことはないけど、そうだと思っている。

「あんたたち、間違ってるわ。怖がりの人間が、いくら集まっても、怖さはなくならないのよ。それよりも、一人で立ち向かう覚悟を持ってごらん!! それが無理なら、あたしといて、あたしのすることを見ていてごらん!!」

 すると、ざわついていた彼らは、まるで有り難い説教を聞くかのように、つぶやきを静めていくではないか。あたしにすがり、あたしの心と躰の熱で温められようとしているのだ。

 ――では、たったこれだけのことだったのか。

 悪霊たちは、長い年月、救いを求めて漂っていた。そして、今はあたしを頼り、あたしから何かを得ようとして、あたしの体内に留まっている。あたしに嫌われないように、おとなしくして。

 ああ、がっくりきたわ。

 弱虫の集まりなんじゃないの。

 まともに怒るのも、ばからしい。

「ああ、わかった、わかった。もう、べそべそするんじゃないわよ。大丈夫、あたしと一緒にいれば、少しずつわかってくる。楽になってくるからね……」

 あたしは自分の躰を抱くようにして、あたしの中の霊たちに話しかけた。子供をあやすのと同じことだ。

 この霊たちがあの魔王と呼応したのは、彼の恨みのためではなく、悲しさのせいだったのかもしれない。

 まったく、頭の悪い奴。もっと利口なら、あたしを敵にする必要もなかったのに。

 もっとも、これは、あたしが奴を助けてやったことになるのか。

「もう平気、もう怖くない。これからずっと、あたしの中にいればいい。生きていても、辛いことばかりじゃない。楽しいこともある。嬉しいこともある。あたしと一緒に過ごしていけば、少しずつ楽になっていくから……」

 赤ん坊をあやすように言い聞かせながら、あたしはゆっくりと地上に降りていった。降りるにつれ、空気が濃くなり、まといつく気流が暖かくなる。大気に満ちる力を吸収し、冷えた躰を温めることができる。手足の冷たさがゆるみ、こわばりがほぐれていく。

 雲の層を抜け、大地の熱が伝わる高さまで降りてきた。霊たちはあたしの体内にいるけれど、声は弱まり、満足そうにおとなしくなっている。

 よし、これならば、あたしは大丈夫だ……彼らを抱えていても、自分を失わないで済む。

 砂漠の中の岩山は、もはや結界に守られてはいなかった。あたしは毛皮の敷物を飛ばして元の部屋に舞い戻りながら、前には感じなかった波動を感じている。

 これは……わずかだけれど、ヤスミンの気配だ。どこか地面の底の方から、かすかに伝わってくる。

 生きていたのね。ここに囚われていたのね。嬉しさのあまり、爆発しそう。

 けれど、ヤスミンの無事を確かめる前に、急いですることがある。

 アルタクシャスラ王子は、部屋中に飛び散った魔王の破片の中で、なすすべもなくミラナに付き添ったままでいた。背中を裂いた深い傷を布で押さえ、止血しようとしているけれど、もちろん、そんなことでは助からない。

 あたしが部屋に飛び込み、毛皮の敷物から飛び降りると、王子は、

「スメニア、無事なのか!?」

 と憔悴した顔を向けてくる。

「おかげさまで」

 あたしは簡潔に言って、ミラナの側に片膝をついた。有り難いことに、まだ息がある。

「よし、この毛皮の上に寝かせるわよ」

「どうするつもりだ。もう手遅れなのだろう? きみはただ、魔王を倒すためだけにあんなことを……」

「そんなことはないわよ。まあ、任せて」

 ヤスミンが協力してくれればもっと確実なのだが、もはや、これ以上ミラナを放置できない。

 あたしは、毛皮の上にうつ伏せにした娘の前に膝をつき、大地や大気に流れる〝気〟を集め、切れた血管をまず修復していった。大きな力は必要ないけれど、細かい注意力が大切だ。血流を迂回させつつ、切れた血管を固定し、無事な細胞を集めて、少しずつ血管の壁を伸ばしていく。

 それから、脳と下半身をつなぐ神経。これが切れていては、たとえ命が助かっても下半身が動かない。手足の先まで届く感覚の流れを追い、皮膚から集まる微弱な反応を調べつつ、間違いなくつないでいかないと、後で大変なことになる。

 そして、砕けた背骨のかけらを丁寧につなぎ合わせ、元通りになるよう固めていく。さらに、切断された筋肉の修復。皮膚の再生。

 まったく、悲鳴をあげたくなるような精密作業よ。傷つけるのは簡単だけれど、治すのは大変なんだから……

 こんな大手術は、もう何百年もしたことがない。それも、一族の長老たちの手伝いをしながら、厳しく叱られて、習い覚えただけ。あたしよりヤスミンの方が、治癒は得意技だ。それでも人間の肉体は可塑性があるから、固定さえ丁寧にすれば、何とか形になってくれる。

 時間はかかったが、どうにか血流は元に戻り、背中を横切る傷口も、あらかたふさぐことができた。綺麗な布で上から押さえ、ぐるぐる巻きにしておく。後で、薬草も探してこよう。きっと発熱するし、しばらく寝込むことになるだろうから。

 あたしはミラナをそっとを仰向けにして、顔を近づけた。そうして、失われた生気をおぎなう息吹きを、唇から唇へと送り込む……

 やがて、ミラナの呼吸が落ち着いてきた。顔色も、少しはましだ。失った血液が再生産されるのにしばらくかかるけれど、とりあえず、命はつなぎ止められた。

「さあ、これでよし」

 あたしは、ほっとして身を起こした。途端に、ぐらりと目眩がくる。これはまずい。あたしも相当、消耗しているのだ。

 横で見ていたアルタクシャスラ王子が、慌てて支えてくれた。

「スメニア、大丈夫か?」

「ちょっと、疲れた……休ませて」

 そのまましばらく美形の男性にもたれ、優しく支えていてもらうのは、いい気分。ゆっくり大地の〝気〟をもらって、自分を回復させていく。

「ミラナは助かるのか?」

「まあ、しばらく休養しないといけないけど、若くて健康だから、回復するでしょう」

 王子は、ほっとしたように肩の力を抜いた。

「感謝する。ミラナを死なせたら、パリュサティスに一生恨まれるところだった……」

 それから王子は深刻な顔になって、あたりを見回した。魔王の胴体はばらばらにちぎれ飛んで、あたりに散乱している。悪趣味な展示物のようだ。

「魔王はどうなった、完全に死んだのか? きみはさっき、彼の首を封じたようだが」

 あたしは少々考えた。

「首は確かにここに封じてあるけど、元々、普通の意味で生きていたわけではないから……死んだわけではないわね。それでも、封印を破って飛び出してこないところを見ると、かなり力を削いだとは思うわよ。彼に憑いて力を与えていた悪霊の大部分は、あたしに憑き直したの」

「何だって。きみは、それで平気なのか」

 あたしは微笑み、王子ににもたれたまま、両手を広げてみせた。

「大丈夫。要するに、彼らの恨みや嘆きに引きずられなければいいのよ。あたしの人格が安定しているので、だいぶおとなしくなってるわ。今後何十年かの間に、少しずつ浄化されて消えていくでしょう」

「そうか、よかった」

 王子はほっと息をつく。

「きみがあの魔王のようになってしまったら、まったく、どうにもならないところだった」

「あいつもそんなに、悪い奴ではなかったけどね」

 今になれば、そう思える。

「三百年も閉じ込められていたきみが、そう言うのか?」

 思わず、笑みが浮かんだ。

「あいつがミラナを助けようとしたから、あたしが付け込めたのよ」

 すると、王子は悲しげな声になった。

「そうだな。そのために、自分を滅ぼしたんだ。本当は、少しばかりひねくれていただけの、寂しい男だったのかもしれない……わたしは、ミラナに辛い思いをさせたのかもしれないな」

 王子に支えられ、あたしは肉片の飛び散る床を眺めた。これをかき集め、元の姿に再生できるだろうか?

 うんざりする。あたし一人では、とても無理だ。でも、もしも、ヤスミンが力を貸してくれたなら。


   『ペルシアン・ブルー23』に続く

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