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恋愛SF『レディランサー アイリス編』1章ー1

序章 ジュン

 父は一人娘のあたしに、〝普通の青春〟を送って欲しいと願っていた。学校帰りに友達とパフェを食べ、週末には、ボーイフレンドと一緒に街を歩くような。

 でも、それには無理があった。そもそも、親が〝普通〟から外れていたのだから。

 父は輸送船《エオス》の船長で、『辺境航路の英雄』と呼ばれた男。母は、辺境の違法組織から逃亡してきた『生きた戦闘兵器』。

 どちらも、違法組織の〝連合〟から、首に懸賞金をかけられていた。その二人の間に生まれたあたしは、誘拐や暗殺の危険の中で、強くなるしかなかった。あたし自身は、〝普通の女の子〟に過ぎないのに。

1章ー1 エディ

 リナ・クレール艦長は三十代前半の有能な女性で、他艦には、本気で熱を上げている男もいたらしいが、ぼく個人について言えば、魅力的な年上の女性に対する、普通の憧れがあったにすぎない。

 もっとも、何かのきっかけがあれば、恋愛に育ったかもしれない憧れだが。

 そのクレール艦長から、突然に言われた時は、驚いた。

「フレイザー少尉、今度の上陸休暇の時、わたしに時間をくれない? 個人的に、なんだけど」

 場所は艦長室に近い通路で、周囲には誰もいず、密やかな雰囲気の問いかけだったが、ぼくは勘違いしてのぼせたりはしなかった。互いに勤務時間中だったし、公私混同をする人ではない。

 そもそも、クレール艦長の私生活については、ほとんど知らなかった。独身だが、恋人ならいるかもしれない。いや、いない方がおかしい。

 ただ、軍務と私生活は、完全に切り離している印象があった。だから《トリスタン》艦内でも、クレール艦長の休暇中の行動を詳しく知る者は、たぶんいなかったと思う。

「はい、喜んで」

 と答えたのは、部下としての義務感からである。艦内でびっくりパーティを企画したいとか、艦内の人間関係について相談したいとか、その類いのことではないかと思ったから。

 もっとも、そういう相談事なら、三人の子供を育てた母親である、副長のリン大尉の方が向いているはずだったが。

 ぼくが新米の技術士官として、第57艦隊の軽巡航艦《トリスタン》に配属されてから、半年ほどが過ぎていた。ようやく士官として振る舞うことに慣れ、他の乗員とも打ち解け、《トリスタン》を自分の居場所と感じるようになった頃である。

 艦が二か月を超える通常パトロールを終え、艦隊基地のある植民惑星《アル=ラート》に帰還すれば、二週間の上陸休暇がもらえる予定だった。補給や定期点検の手配さえ確認すれば、ぼくも安心してバカンスに行ける……と思っていた。

(叱責ならそれまで待たないだろうし、個人的に空手の稽古をつけてくれ、でもないよな。そんなことなら、艦内でできる。料理を教えてくれ……も違う。艦長なら、料理もできそうだ)

 艦橋での当直に向かいながら、あれこれ思い巡らすうちに、不安が湧いてきた。

(ひょっとして、ぼくは軍人に向いていないとか、忠告されるのかな……何か失態をやらかす前に、辞めた方がいいとか?)

 仕事自体は、ほぼ完璧にこなしているつもりだ。艦体や装備類の維持管理、機械兵部隊の保守点検。配下の整備兵たちも、たった五名だが、何とか統率している。というか、経験豊富な彼らに助けられている。

 二小隊ある戦闘部隊との連携も、重視している。休暇中に研修を受けたり、他艦の将校に質問したりして、自分なりの工夫や勉強も続けている。新米の技術士官としては、まずまずの部類に入るはず。

 しかし、たとえば、自由時間にケーキを焼いて、お茶を淹れ、艦内の皆に振る舞ったりすることが(皆には喜ばれているとしても)、厳格な階級制度の中では、望ましくないことなのかもしれない。

(艦内の秩序を乱すとか、士官としての威厳に欠けるとか……そういうことかな)

 現代の軍には、二種類の人間がいる。生涯を軍人として過ごすつもりの『プロ』と、一時期だけ、資格取得や資金稼ぎのために勤める『セミプロ』である。

 軍は危険度が高い分、他の職業より報酬が高いので、事業の資金稼ぎのために入隊する者も少なくない。また、政治家になるための箔付けとか、会社を継ぐための条件とかで、数年間の軍務を経験したいという者もいる。

 だからといって、彼らが不真面目なわけでは決してない。仕事はきっちりこなし、数年で晴れ晴れと除隊していくことが多い。

 一般市民から見れば、どちらも軍服を着た『軍人』だ。しかし、その心構えには大きな差があった。

 命を張る覚悟の差、と言ってもいい。

 資格や能力の点から、十分、士官に昇進できるのに、責任が重くなることを嫌がって、昇進を断る者も多い。

 ぼくは一応『プロ』のつもりだし、だからこそ二年間の兵卒暮らしを経て、士官への道を選んだのだが、

(何年か務めてみて、気持ちが冷めたら、辞めればいい)

 という気持ちもどこかにあった。大学を出た時点で、どうしても絶対、軍人になりたい、というわけではなかったからだ。

 有り体に言えば、

(プロの軍人である父や祖父たちの、期待を裏切るのが面倒臭い)

 という気持ちが強かった。

 だから、プロに徹するクレール艦長には、ぼくの覚悟の甘さが透けて見えるのかもしれない。自分の元にいる士官がそれでは、万が一の場合、頼りないと思うのかもしれない。

 だが、それなら仕方ない。こういう自分なのだから。何か叱責されたり、忠告されたりしたら、その時に考えることにしよう。

   ***

 二日後、《トリスタン》は、無事に《アル=ラート》の衛星基地に到着した。《アル=ラート》は人口八百万人、地球型の美しい植民惑星である。乗員たちは補給や引き継ぎなどの雑務を済ませると、それぞれに散っていく。ある者は客船に乗って、近隣星系の家族の元へ。ある者は《アル=ラート》上でのバカンスに。

 同じように他艦から降りてきた同期生たちに会い、

「エディ、飲みに行かないか?」

 と声をかけられた時は、

「悪い、学校時代の友達と会うから」

 と答えておき、衛星基地から地上基地に降りるシャトルに向かった。全て、クレール艦長の指図通り。

 シャトルは大気圏に突入し、雲を抜けて、緑の豊かな大陸に舞い降りた。沿岸部に位置する広大な地上基地には、56から60までの艦隊の司令本部がある。兵舎や倉庫や工廠、訓練所や娯楽施設が点在し、多くの輸送機や車両が発着している。惑星首都には及ばないが、ちょっとした小都市だ。

 ぼくはレンタル車に乗り、地上基地から出た。海岸に向かうドライブを楽しんで、目的の店に到着する。シーフードが売り物の、洒落たレストランだった。まだ昼時には早いので、客は少ない。

(艦長はまだだな)

 と確認してから、海を眺められる窓辺の席で、早目のランチを楽しんだ。軍人の体内時計は任務や艦ごとに違うので、基地の時計と合っているわけではないが、この時はたまたま差が少なく、時差ぼけはしていなかった。

 デザートにさしかかる頃、私服姿のクレール艦長が、軽い足取りで店に入ってきた。涼しげな淡い緑色の、優美なサンドレス姿だ。ほっそりした首には、同色のストール。足元はベージュのサンダル。口紅はオレンジベージュで、爪も同じ色だった。隅々まで隙がなく、女優のような美しさ。

 艦長は店内をさっと一瞥し、嬉しそうな顔でぼくに軽く手を振ってから、甘い香りと共にふわりとやってきた。

「お待たせ、フレイザー少尉」

 この感じ、見た者には、個人的な待ち合わせに映るだろう。店内の男性客からは、うらやましげな視線を受けたと思う。

「すみません、先に食べてしまって」

「いいのよ、わたしも軽く頂くわ」

 そして、ぼくを真正面の席から見て、にこりとする。

「来てもらえて、よかったわ。バカンスのお供は、若いハンサムに限るわね」

 冗談だとはわかったが、ぼくは照れて、艦長の方がお美しいですとか、誘って頂いて光栄ですとか、ごにょごにょ答えた。後から思い返すと、自分の迂闊さ、呑気さに頭を抱えたくなる。これがジュンなら(十五歳当時であっても)、まず背景を疑ったろうに。

 サングリアをお供に、楽しく差し向かいの食事を終え、

「いい天気だから、ちょっと散歩しましょうよ」

 と言われ、店の横の階段から海岸に降りても、ぼくはまだ呑気なままだった。空は青く、海は初夏の陽光に輝いている。クレール艦長のドレスが、ショートカットにした栗色の髪、緑の目、小麦色の肌を引き立てている。

 どんな用件にせよ、休日の何時間かを、こんな女性と一緒に過ごせるのは、この上なく幸運なことだ。

 まるで映画の一場面のように、艦長はサンダルを脱ぎ、それを手に持って、裸足で波打ち際を歩いた。穏やかな波が、何度も小麦色の素足を洗う。ぼくは波に濡れない位置で、平行して歩いていく。

 やがて艦長は、海中で思わぬ深みにはまったか、小石か何かを踏んだのか、ぐらりと揺れた。ドレスの裾が、波をかぶる。ぼくが慌てて海中に踏み込み、差し出した腕の中に、彼女は吸い寄せられるようにはまり込んだ。

「そのまま、聞いて。動かないで」

 その声には、命令の響きが含まれていた。艦長はすんなりした両腕を、ぼくの胴にしっかり巻きつけてくる。胸のふくらみがこちらの腹に押しつけられ、さすがにどきんとしたが、すぐに理由がわかった。

 この場所なら、波の音で、声は打ち消される。一番近くにいる市民も、こちらには興味なさそうな家族連れだけ。離れて監視する者がいても、艦長がしゃべる口許は、ぼくの上半身で隠される。

 こうまでしなければ話せないことを、クレール艦長は、ぼくに伝えようとしていたのだ。

「……あなたを巻き添えにして、悪いと思うわ。でも、わたしたちには、仲間が必要なの。この半年、あなたを見ていて、信頼できると思ったのよ」

 ぼくは膝下まで波に洗われ、薄手のズボンに染みる水の冷たさを感じていた。遠目には、デート中の幸せなカップルにしか見えなかっただろう。だが、内心では冷たい恐怖に打ちのめされていた。

 ――あの噂は、本当だったのか。

 それまで、話半分にしか聞いていなかった。若手将校の間で、密かに『決起』の計画が進められているという噂だ。

 ――軍の中枢部は、既に腐っている。違法組織の〝連合〟に洗脳されているか、誘惑されているかのどちらかだから。ならば、まだ洗脳の及んでいない若手で、軍の腐敗を一掃するしかない……

 単なる与太話だと思っていた。あるいは、願望交じりの都市伝説だと。昔から何度も、そういう噂が流れては立ち消えていったと、父や祖父たちから聞いている。だが、クレール艦長は、このぼくに、その計画の仲間に入れというのだ。

「すぐに決めなくていいわ。まだ時間はあるから。でも、決して口外しないで。あなただけでなく、他のみんなの命が危険にさらされるから。わたしたちがどこまで秘密を保てるか、全て、それに懸かっているの」

 それから身を離して、残念そうに言う。

「ごめんなさいね。あなたの気持ちはわかっていたの。でも、告白しないであきらめるのは嫌だったから」

 この台詞は、どこかにいる監視者に聞かせるためだ。そんなものが、有力な若手将校を常に見張っているとしてだが。艦長は、監視されることを前提に動いている。もしも何か間違ったら、ぼくも監視対象になるということか。

「もう少し、一緒にいてもらっていいかしら」

 上官が部下に片思いなんて恥ずかしい、という演技をしながら、艦長はぼくと並んで渚を歩く。ぼくが狼狽し、ろくな会話もできないことは、年上の女性に口説かれて、応じられない若者なら、当然の反応なのかもしれない。

「今日のことは、気にしないで、忘れてしまってね。勤務中に、あなたを困らせるつもりはないのよ」

 艦長が、命がけでぼくを勧誘してくれたことはわかった。艦長と仲間たちの、真剣な気持ちもよくわかる。他言するつもりは、絶対にない。

 ないが、しかし……

 不可能だ。今の惑星連邦軍を、わずかな若手将校だけで乗っ取ろうなんてことは。

   ***

 夕方、クレール艦長と穏当に別れた後、ぼくは軍人の泊まらないだろう辺鄙な温泉ホテルを探して、投宿した。

 濡れた靴はほとんど乾いていたが、改めて真水で洗い、乾燥機に入れる。着ていた服も全て洗濯ユニットに放り込み、シャワーを浴びて、備え付けのバスローブでソファに落ち着いた。

 夕食は部屋に届けてもらうことにして、習慣的にニュース番組を見る。しかし、内容は少しも頭に入らない。

 ――他言しないと約束していなかったら、父か祖父に相談したのに。

 我が家では、父も父方の祖父も、曾祖父も軍人だ。父方の親戚にも、軍人が多い。だから、現在の惑星連邦軍が深刻な問題を抱えていることは、一族みんながよく知っている。だが、簡単に解決がつく問題ではないことも、知っている。

 軍の中の誰が、違法組織に洗脳されているか……あるいは、正気のまま、違法組織の手先に成り下がっているか、どうやって調べられるというのだ。

 何か事件でも起これば別だが、表面上、何もないのに、軍の全員を薬品尋問にかけることはできないだろう。実務的には可能でも、政治的に不可能だ。絶対に反対が起きて、潰される。司法局でも政界でも財界でも、問題は同様だからだ。

 そもそもぼくは、軍人というより技術者だ。戦うことではなく、船や基地の技術面の管理が仕事。大学の研究室に残ってもよかったし、民間企業のエンジニアになってもよかった。ただ、父や祖父の影響で、子供の頃から、軍が視野にあっただけのこと。

 ましてや、政治的なセンスなど、全くない。クーデターなど、想像を絶する。

 いや、成功したらそれは革命と呼ばれ、歴史の転換点になるのだろうが。

 クレール艦長と仲間たちは、もしも軍を掌握できたら、次は政界を刷新しようというのだ。そして、軍を強化し、辺境の違法組織の根絶を目指すと。

 理想論だ。いや、極論だ。現在、曲がりなりにも安定した市民社会が続いているものを、腕力で覆そうなんて。

 腐敗というのはわかる。だが、汚染されている人間は、ごくごく一部だろう。圧倒的多数の市民は善良であり、平和な日々を当たり前と思っている。軍による大規模な洗脳調査、その結果の粛清など、望んではいない。

 そのまま軍部独裁にならないと、どうして保証できる。

 クレール艦長自身は、汚染されていない人物のみが軍と政治の中枢に入れば、ただちにシビリアンコントロールの体制に戻すと言うが、他の同志がどう変貌するか、わからないだろう。

 その同志というのも、もしかしたら、違法組織の操り人形かもしれないではないか。

 既に技術力では、辺境の方が上を行っている。研究開発に何の制限も受けない違法組織は、不老不死を目指す技術でも、洗脳や精神操作の技術でも、戦闘艦隊の能力でも、市民社会を超えていて当然だ。

 ――同志のそれぞれが、それぞれの責任で、密かに仲間を増やすことになっている、とクレール艦長は言っていた。その同志の名前は、当然ながら、一人も教えてもらっていない。発覚した時、知らないことが多い方が、互いに安全なのだ。

 当然、クレール艦長と同志たちが誘いをかけた者が、全員、賛同して仲間に加わるわけではないだろう。それどころか、怖気づき、逃げ腰になる者がほとんどではないのか。

 それならば今日、明日にでも、決起計画は軍の上層部の知るところとなり、逮捕状が出されるのではないか? 逮捕ならまだいいが、どさくさに紛れて、抹殺などということにならないか?

 クーデターなんて、何年後であっても、無茶だ。市民社会の中に、違法組織の持ち駒がどれだけ潜んでいるか、誰にもわからないままで。

 彼らは水面下で議会を操り、財界を操り、学者やジャーナリストを動かして、社会の動向を決める……と言われている。このままでは違法組織はますます強大になり、いつかは市民社会を公然と支配するようになるかもしれない。

 それがわかっていても……誰にもどうにもできない。人類社会は、もう何百年も前に、二つに分裂してしまった。古い道徳を守る市民社会と、一切の制約を持たない辺境の違法組織とに。

 そして、たぶん、勝負は既についてしまったのだ。

   『レディランサー アイリス編』1章ー2に続く

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