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恋愛SF小説『ブルー・ギャラクシー 天使編』5

天使編5 11章 紅泉こうせん


どうして、こんなにわかりが悪いんだ、こいつらは!?

「降伏すれば、命は保証する」

と言っているのだから、さっさと降伏すればいいではないか。他でもない、"正義の味方"の約束なのだから、信用できることはわかっているはず。

それなのに、無人艦隊をこちらに差し向けて、闘わせているうちに逃亡しようとは。

「だって、逮捕されたらもう、不老処置の更新はできなくなるものね」

探春たんしゅんは言う。

しかし、それは、市民社会に手出しした自分たちが悪いのだ。まっとうな企業の社員を誘惑して、要人を洗脳するための薬物を作らせたり、違法な武器を製造させたり、それに気づいた者を洗脳したりするから、司法局が乗り出すことになったのではないか。

辺境で違法組織同士が争っているだけなら、あたしは別に……たまたま関わってしまった場合でなければ……邪魔しないのに。

そもそも、小惑星基地を包囲するにあたって、こちらはわざと手薄な方角を作っている。そうしたらやはり、そちらから逃げようとして、大慌て。バイオロイドの奴隷たちは半分置き去りにして、人間の幹部たちが先を争うように、船で脱出していく。

とりあえずは、伏せておいた別艦隊に一網打尽を命じ、こちらは目の前の無人艦隊との勝負に集中した。

宇宙空間での艦隊戦は、単なる消耗戦に過ぎない。物量の勝った方が勝つ。

前衛の小型船から放出された機動機雷が、敵味方ぶつかり合って、無数の爆発を起こす。レーザーやプラズマ弾が飛び交い、機雷や強襲艇を消滅させる。小型船が機雷に体当たりされ、吹き飛ぶ。また別の船は、敵の船に体当たりして核爆発を起こす。

あらかた無人艦とはいえ、資源とエネルギーの無駄遣いだ。こんなことを、どれだけ繰り返せばいいのだろう。

「悪あがきするから、手間がかかるんだよ」

あたしと探春は指揮艦の司令室にいて、戦闘用装甲服の中から、戦況を見据えていた。

この指揮艦は、艦隊中の他の船と見分けがつかないから、狙い撃ちされる危険はまずない。砲撃や爆発に巻き込まれないよう、位置取りにも用心している。それでも、過去の戦闘の中では、思わぬ被害を受けたこともある。最後まで、油断はしない。

「深追いするから、手間がかかるということもあるわ」

と冷静な探春が言う。企業内の共犯者だけ逮捕して終わりにすれば、はるばる辺境まで出向くこともなかったのだと。

しかし、黒幕になっていた違法組織を潰さないことには、同様の行為をしている他組織に対して、示しがつかないではないか。

あたしだって本当は、こんなことをしているより、ミカエルといちゃついている方が、ずっと幸せなんだけど。

それでも、それだけでは退屈する自分を知っている。

戦わないと、自分が腐る。

腐ってしまっては、ミカエルからの尊敬も受けられないだろう。

とうとう、敵の攻撃が終息した。逃亡した艦隊も半数が吹き飛び、残りは降伏した。あとは、残骸の中から生存者を拾い集め、人間とバイオロイドに分けて、監禁すればいい。世話はアンドロイド兵にさせれば、問題ない。

違法組織の中枢にいた人間たちは、司法局に引き渡せば、それぞれ裁判にかけられ、刑が確定する。

惑星連邦に死刑はないから、どうせ、快適な施設への隔離だけだ。連中は、何も反省などしない。捕まった不運を呪いながら、老いていくだけ。それでも、不老処置の効果が残っているうちは、若い姿でいられる。

命令に従っていただけのバイオロイドたちは、再教育施設に送られ、適切な教育を受ける。そこで奴隷根性を薄れさせ、人間社会の仲間になればいい。子孫を残すことは許されないけれど、家庭を持つことはできる。

これで通算、何十万人のバイオロイドを、施設に預けたことになるだろう?

送る側のあたしたちより、受け入れて世話をする職員たちの方が大変だ。バイオロイドの中には、うまく自立できず、子供のように職員にすがってしまう者も多い。誰か人間と付き合うと、べったり依存して重荷になってしまったり、突き放されて絶望してしまったり。

まあ、そうやって少しずつ、本物の人間に近づいていくしかない。

それでも数としては、使い捨てられ、抹殺されるバイオロイドの方が圧倒的に多い。あたしたちにできるのは、大海の水を、コップで汲み上げ続けるくらいのこと。汲み尽くせないとわかっていても、何もしないよりはまし。

「さて、引き上げるか」

辺境の宇宙空間を背にして、残りの艦隊を連ね、中央星域に向かう。帰還する、という感覚だ。

辺境で生まれ育ったあたしたちだけれど、長年、市民社会で暮らしているので、もうすっかり、中央暮らしに慣れてしまっている。バカンスの時も、平和な植民惑星で過ごすことを、当たり前と思っている。

ただ、今度からは、麗香姉さまの元にミカエルがいる。

彼はもう、市民社会に戻ることはできないから(少なくとも、ほとぼりが冷めるまでは)、あたしたちも、故郷の《ティルス》で過ごす時間が増えるだろう。

彼のことを思うと、つい、顔がゆるむ。

『リリーさん』

と、はにかみ混じりに呼ばれるのが好き。紅泉こうせんという、本当の名前はいずれ教えるとして、今はリリーで構わない。百合は、あたしの大好きな花だから。

他にもサンドラとかガーベラとか、任務用の偽名は持っているけれど、頻繁に名前を変えるのはわずらわしいから、長く〝リリー〟を愛用しているのだ。

そうだ、ミカエルに何か、お土産を持っていこうかな。男の子が喜ぶものというと、何だろう。

それとも、あたし自身を押しつけちゃおうかな。きわどいドレスを着て、首にリボンを巻いて、全部あなたのものよ、好きにして、とか言ったりして。

いやいや、子供相手に、こちらの欲望を発散してはいけない。今はまだ、キスだけで我慢しよう。控えめなキスで。

それでも、ミカエルがどんな風に頬を染め、もじもじするか空想すると、こちらも身もだえしてしまう。

可愛いんだから、本当に。

早く青年になってくれないか、という欲もあるけれど、今のままの、可憐な美少年でいて欲しい気もするからなあ。

ああ、生きててよかった。こんな贅沢な悩みが持てるなんて。

探春は、まだご機嫌が戻らず、必要がない限り、そっぽを向いているけれど……

戦闘も片付いたことだし、後で一緒にお風呂に入って、背中を流してやればいい。腕枕で眠らせてもいい。そういうスキンシップをすれば、少しは態度が和らぐはず。

あたしたちが親友であることに、何の変わりもない。いつかは探春にだって、王子さまが現れるかもしれないんだから。

あたしにとってはかけがえのない従姉妹だけれど、それでも、探春があたし一人しか〝心の支え〟にしていないのは、問題がある。

これまでだって、探春に焦がれる男が何十人もいたのに、みんな袖にしてしまって、勿体ない。始終、男に追い回されるようだと、逆に嫌気がさすのかもしれないけれど、女として生まれたからには、やはり、男を相手にするのが自然ではないか?

いや、そう言うと、『人類はとうに自然から離れた』とか、反論するからなあ。いったいどんな男なら、探春の氷のバリアを溶かしてくれるんだろう。

幼馴染みのシヴァが、もう少し辛抱強く、粘っていたならば……

いや、あいつではだめだったか。あいつの良さは、探春には通じていなかった。

あいつ、どこかで、ちゃんと生きているんだろうか。生きているなら、意地を張らないで、連絡くらい寄越せばいいのに。

天使編5 12章 ミカエル

はっとして、目が覚めた。

寒い。躰がぎしぎしと痛むほど、冷えきっている。

なぜ、こんなに寒いんだ?

自分のいる場所が、すぐには理解できなかった。濡れた地面の上だ。枯れ葉が厚く積もった、森の中。雨の直後らしく、どこもかしこも、ぐっしょり濡れている。あたりにはまだ霧がかかっているが、うっすらと明るいのは、明け方だから?

自分を見下ろしてみた。着ているものは、白いシャツブラウスとダークグレイのズボン。靴も履いている。だけど、全て泥まみれだ。

ぼくは下着一枚で、快適な船室のベッドの中にいたはずなのに!?

これは夢!?

それともまさか……これまでのことが、全て夢!?

ばかな。しっかりしろ。リリーさんは現実だ。ぼくの想像力で、あんな人が創れるものか。

身震いしながら起き上がったが、服も髪も湿って凍りつきそうだ。雨は上がっているが、木々は雫を垂らし、地面には水溜まりができている。

麗香さんの船は? ぼくはどうして、こんな所に転がされていた?

湖はどこに……いや、ここはまだ《アヴァロン》なのか!?

とにかく寒くて、じっとしていられない。歩こう。そして、道を見つけよう。どこへ通じる道かはわからないが。

腕をさすり、枯れ葉の上で足踏みしながら、周囲の藪の中に、通れそうな道を捜した。林道か、獣道くらいはあるはずだ。誰かがぼくをここへ運び、置き去りにしたのだろうから。

ところが、霧の向こうで何かの叫びが聞こえた。甲高い人の声。それに、複数の犬の太い吠え声が重なる。

どきんとして、身がすくんだ。違法組織は大抵、警備犬を飼っている。知能強化された、大型の犬たちだ。上位者に従わない者は、一噛みで絶命させられる。ぼくにも、その恐怖は染みついている。

茂みが、がさがさ割れる気配がした。ぼくが隠れ場所を捜す暇もない。霧の奥から、誰かがよろめき出てきた。

鏡を見ているかと思ったくらい、ぼくにそっくりな少年だ。白いシャツブラウスにダークグレイのズボン、さらさらの金髪。しかも、髪は乱れて、服は泥まみれ。

その子はぼくを見て、驚くのではなく、ほっとした顔をする。

「ああ、よかった。もう、ぼく一人かと思ってた……」

明らかに、ぼくを仲間と認めた顔だ。逃亡バイオロイドの仲間だと思っているのか!?

「早く、あっちへ行こう。さっき湖面が見えたから。対岸まで泳げば、きっと……」

その子はぼくを急き立て、腕を引っ張るようにして、道のない森の中を強引に進もうとする。

違う、ぼくはきみの仲間では……

そう言いかけて、言えなかった。誰が見ても、同類そのものではないか。ぼくに強力な保護者がいるなんて、どこの誰が信じてくれる?

何か事情が変わって、ぼくはここに置き去りにされたのだろうか。それでは麗香さんの身にも、何か災いが?

「ねえ、きみはどこの組織から……」

尋ねかけた矢先、後ろで再び茂みが割れ、黒い塊が飛びかかってきた。金髪の少年はあっけなく押し倒され、湿った枯れ葉の上に転がる。

その首に、首輪をつけた大型犬が噛みついた。深く噛みついたまま、激しく揺さぶる。

細い首からは、動脈血とわかる鮮血が吹き出した。少年は声もなく、弱々しくもがくだけ。みるまに、手足から力が失せていく。

ぼくには、助けようという発想もなかった。反射的に駆け出し、遮二無二、藪を割ってそこから逃げた。

恐怖でしびれたまま、ひたすら駆ける。木の枝でシャツが破れ、あちこち傷だらけになったが、もはや痛さも感じない。逃げなければ、ぼくも同じ運命だ。
 
 不意に視野が開け、数メートルの高さの崖の上に出た。流れる霧を通して、青黒い湖面が見える。

金髪の子の言葉が甦った。対岸まで泳げば……そうすれば、犬の追跡から逃れられる!?

崖をお尻で滑り降り、ざぶざぶと湖に踏み込んだ。しびれるほど冷たかったが、恐怖心の方が強い。必死で泳いで、岸から離れた。途中で、邪魔になる靴を脱ぎ捨てた。平泳ぎしかできないが、ひたすら沖へと泳ぎ続ける。

背後の陸地で犬の吠え声を聞いたので、ますます必死になった。もし、あいつが泳いで追ってきたら。

はっと気がついて、息を吸い、水面下に潜った。犬に潜水はできないはずだ。いや、できるかもしれないけれど……ぼくの姿が見えなければ、あきらめてくれるかも。

我慢の限界まで潜っていて、息継ぎのために顔を出すと、また潜って前進した。少しでも遠くへ。

あとはもう、泳いで、泳いで、ひたすら泳ぎ続けて……

永遠に泳いだような気分になっていた頃、靴下だけりの足が地面に着いた。湖を泳ぎ渡ったのだ。こちら岸もまた、深い森が続いている。だが、霧が薄れているのが不安だ。

水から上がると、一気に躰が重くなった。全身が鉛のようだ。すっかり冷えきっていて、力が出ない。

倒れそうになるのをこらえ、木々を伝って歩いた。靴下だけなので、石や枯れ枝が足裏を傷つけるが、それに構うゆとりもない。少しでも、遠くへ行かなくては。

あれは、おそらく〝兎狩り〟だ。

生存期限のきた奴隷たちを森へ放ち、犬や新兵たちに追わせる……訓練と処刑を兼ねた行為。

話には聞いていたし、映画でも見ていたが、まさか、自分が獲物にされるとは……

そこでようやく、頭が働いた。

自分が、あの少年とそっくりの制服を着せられていたということは……それを指図したのは、もしや麗香さん!?

誰か敵対者が麗香さんを捕まえたり、殺したりしたなら、ぼくのことなど、なおさら生かしておく値打ちはないはず。その場で処刑して終わりだ。わざわざ服を着せ、森に捨てる意味がない。

左手を確認した。やはりだ。ぼくの指からは、サファイアの指輪が消え失せていた。残っているのは、指輪の痕だけ。

そういうことか。

あの人は、ぼくをすっかり安心させ、眠らせた後で更に麻酔をかけ、着替えさせて、森に置き去りにした……どこかの組織の〝兎狩り〟が、翌朝に行われることを知っていて。

なぜなんだ。自分の手で殺せば簡単なのに。わざわざ他人に殺させようとするのは、どういう了見なのか。

頭の中がぐるぐる回る。

足元に奈落が口を開けていて、そこへ落ちこみそうになる。

麗香さんは最初から、ぼくのことなど認めていなかったのだ。リリーさんのいつもの〝恋愛ごっこ〟にすぎないから、預かっておいて、熱が冷めるのを待てばいいと……

いや、違う。

それならば、笑って放置しておいたのではないか。

あれほど毎晩、時間をかけて辺境の歴史を語ってくれたことは、ただの暇潰しなどではなかったはず。地下の研究施設を見せてくれたのも、ぼくを教育するため。

では、危険だと思われたのだ。ぼくが、予想よりも賢かったから。あるいは、予想よりも真剣だったから。

このままだと、いずれ、リリーさんとヴァイオレットさんの間に、決定的な亀裂を作るかもしれないから。

麗香さんにとっては、ぼくのような馬の骨より、手元で育てたヴァイオレットさんの方が、はるかに可愛くて当たり前。どちらかを選ぶしかないなら、実績のある方を残すのが合理的。

ぼくのことは、治療が間に合わずに死んだことにすればいい、と思ったのか。それとも、運悪く他組織の抗争に巻き込まれた、とでも言い訳するのか。よく似たバイオロイドの子供を整形し、冷凍死体にでもしておけば……

いや、既に火葬したとか、埋葬したとか言うだけでいい。そして指輪を形見として渡せば、リリーさんは、麗香さんの言うことを信じる。自分自身が善良だから。

麗香さんは最初から、こういう予定で、ぼくを遠くの都市へ連れ出したのだ。

でなければ、あるいは……

これは、試験なのかもしれない。この程度の困難、自分で乗り越えられないのなら、リリーの伴侶になる資格はないと。

それならば、昨日まで飲まされてきた薬は、ただのビタミン剤か何かだったのかもしれない。きっとそうだ。ぼくの脳内では、依然として腫瘍が育っているに違いない。試験に合格しなければ、助ける値打ちもないというわけだ。

冷えきった躰の底から、かっと熱が湧いた。疲労した肉体を動かすに足る熱だ。

――死んでたまるか。

もう一度、リリーさんに会うまでは。そして、真実をぶちまけるまでは。

人間にとってはバイオロイドなど、ただの道具なのだろう。

麗香さんにとっては、一族の者たちですら、自分の研究材料なのではないか。

リリーさんはきっと、お気に入りの作品。

しかし、ぼくは生きている。心がある。使い捨てになど、されてたまるか。

絶対に、生きてリリーさんの元へ戻る。負けるものか。あんな魔女なんかに。

そして、リリーさんに教えるんだ。麗香さんは、貴女が尊敬するような人じゃないって。あの人のことを、信じてはいけないって。

それでも、現実は絶望的だった。寒風が吹きつけ、体温を奪っていく。濡れた服は、すぐに何とかしなければ。犬が追いかけてきたら、その時のこと。

人気はないので、周りを茂みで囲まれたわずかな空き地で、素裸になった。濡れた服を堅く絞って、乾かすために茂みに広げる。

下着を絞って全身を拭き、そのままごしごし擦り続けた。それに疲れると、足踏みしたり、腕を振り回したり、屈伸したりした。

おかげでどうにか、体温が戻ってくる。戦闘用の強化体ではないが、バイオロイドはそもそも丈夫なのだ。

(それにしても、これからどうしたら……)

まだ陽光は射さないが、霧は晴れてきた。薄汚れた服で迂闊に道路に出れば、逃亡バイオロイドだとみなされ、射撃練習の的にされるかもしれない。

いいや、麗香さんの放った探査鳥にでも発見されたら、それで終わりだ。こうしている姿さえ、昆虫ロボットなどに撮影され、届けられているのかも。

枯れ葉が乾いていれば、その中に潜って暖をとることもできたが、昨夜の雨で濡れたままだ。いや、昨夜ではなく、もっと前なのかも。

服が乾くのには、まだ時間がかかる。ついに、空腹と疲労で脱力してしまい、うずくまって膝を抱えた。

服を着ていないだけで、こんなに惨めとは。

人類は裸の猿だというが、本当の猿なら、裸でいて惨めなどとは思わないだろうな……

そこで、はっとした。何かが森を駆けてくる音がする。枯れ葉を蹴立てる気配、複数の荒い息づかい。

あっと思った時には、前足の体当たりで地面に押し倒されていた。首輪をした猛犬が、ぼくの喉を狙ってくる。湖を渡ったくらいでは、逃げ切れなかったのか。

必死で腕を突っ張り、犬の口先をそらしたが、もう一頭いる。二頭にのしかかられて、身動きがとれない。

どちらか片方だけでも、ぼくより体重がある大型犬だ。このままでは、頸動脈を食いちぎられる。そういう訓練を受けた犬たちだ。

だが、やがて気づいた。犬たちはぼくを押さえ込んだまま、任務を果たしたというように、尻尾を振るだけだ。

生け捕りに変更したのか? それとも最初から、動くものを捕まえたかっただけ?

森の奥から、ヒューッという口笛が聞こえた。犬たちはぼくの上で向きを変え、返事をするように吠える。

今度は、人間たちのお出ましだ。十人前後の気配が、ざわざわと近付いてくる。

「おやおや、はぐれバイオロイドか」

呑気そうな声が降ってきた。

「もういいぞ。どけ」

犬たちが、ぼくから離れた。素裸のぼくが上体を起こすと、何体もの護衛兵を連れた人間の男が、枯れた茂みの向こうにいる。

ゆるくカールした金髪に褐色のサングラス、着古したようなキャメル色の革ジャケット。三十代くらいに見えるが、実年齢はわからない。

「ユン、どこかで〝兔狩り〟をやってるか?」

すると、後ろにいた秘書タイプの、短い黒髪の女が答えた。

「はい、対岸で一騒ぎあったようです。事前に、管理機構に届けが出ていますね。部外者は近づかないようにと」

「ということは、湖を泳ぎきったのか。たいしたものだ」

サングラス男の合図で、戦闘服のアンドロイド兵士がぼくの腕を取り、ぐいと引き起こした。まさか、素裸で女性の前に立たされるとは。悔しさと恥ずかしさで、どうしていいかわからない。

「やれやれ、因幡の白兎だな」

サングラス男は苦笑している。関係ないのだったら、ぼくを放っておいてくれ。

「ジャン=クロードさま、お願いです、どうか」

横から、澄んだ細い声がした。見ると、ぼくと同じくらいの背丈の、ほっそりした少女だ。カールした長い黒髪に、膝まである暖かそうな白いコート。

その少女が、サングラス男に取りすがるようにして言う。

「どうか、助けてあげて下さい……お願いします」

バイオロイドの侍女なのか? だが、バイオロイドの願いなど、人間の主人が聞くはずはないのに?

「ああ、わかってる。見てしまった以上はな」

ジャン=クロードと呼ばれたサングラス男は、気のない様子ではあったものの、少女の願いに応じた。

「一匹くらい、対岸の連中も気にしないだろう。セイラ、おまえが世話をしてやれ」

「はい!!」

セイラと呼ばれた少女は、灰色の瞳をきらきらさせて、ぼくに近づいてきた。そして、兵に腕を取られたままのぼくに言う。

「あなた、もう大丈夫よ。安心して。わたしも前に、ジャン=クロードさまに拾っていただいたの」

安心だって!?

この世のどこに、安心が!?

少女は手を振って兵たちを下がらせると、するりとコートを脱いで、紺の上品なワンピース姿になった。そして、ふかふかの白いコートを、ぼくの裸の肩にかけてくれた。そんなことをしたら、コートが泥で汚れてしまうのに。

セイラはまるで子犬でも拾ったかのように、いそいそとぼくの世話をしてくれた。

シャワー、着替え、傷の手当て、温かな食事。

ぼくはジャン=クロード一党の暮らす繁華街のビルに連行され、身体検査を受け、無害なバイオロイドと判定されたのである。

「元気になったら、ジャン=クロードさまのために働けばいいのよ。わたしもね、前のご主人さまの車が爆破された時、大怪我をして、道路に転がっていたところを、拾っていただいたの。ジャン=クロードさまに助けていただかなかったら、そのまま死ぬところだったのよ」

セイラは善意に溢れ、無邪気そのものだった。仕事をする時は、長い黒髪を赤いリボンで束ね、くるくると軽快に立ち働く。その姿は、見ている方にも快い。

だから、こちらの名前を問われた時は、ついうっかり、ミカエルと答えてしまうところだった。

珍しくもない名前だが、その名で検索をかけられたら、やはりまずいだろう。〝リリス〟狙撃事件の巻き添えとして死んだ少年のことが、中央では報道されている。もしかして、体格が一致するなどと気づかれては困る。

「ラ、ラファエル」

これは、ぼくが殺した少年の名前だ。同じ研究室に配属されたため、二歳年上のぼくに懐いてくれた。

しかしその頃、ぼくはウリエルとガブリエルに誘われ、脱出計画を練り始めていた。あの時点では、それ以上、脱走の仲間を増やすのは危険すぎた。バイオロイド同士の会話は、常に警備システムに記録されているからだ。

警備システムが怪しいと判断すれば、人間の警備員に報告する。

符丁を織り込んで会話するだけで、ぼくたちは手一杯だった。保管庫からウィルスを盗み出し、他の実験用ウィルスに混ぜてこっそり培養することは、神経をすり減らす綱渡りだったのだ。

殺人ウィルスを基地に撒いて脱出した時、ラファエルの死体は確認しなかったが、当然、床を埋めた死体の中に混じっていたはずだ。血と吐瀉物と排泄物にまみれて。

自分がなぜ死ぬのか、彼にはわからないままだったろう。

自分が生きるために、ぼくはあの子を捨ててきた。

仕方なかったのだと、意識の外に追いやろうとした。そうして今では、ほとんど思い出すこともない。

この身勝手な後悔だけは、リリーさんにも言いたくなかった。話して、慰められる資格など、ぼくにはない。

バイオロイドの仲間を全員殺しても、ぼくは生き延びたかった。人間たちが見る映画やニュースを断片的に見ただけでも、この宇宙には、違法組織以外の世界があるとわかっていたから。

セイラにはもちろん、ぼくの過去など見通せるわけもなく、にっこりして、ぼくを受け入れてくれた。

「そう。仲良くしましょうね、ラファエル。わからないことは、わたしにでも、誰にでも聞いて大丈夫よ」

ぼくは既にショックから回復し、頭を働かせていた。麗香さんの考えがどうであれ、当面は、この組織に身を隠しているしかない。精一杯、ここで役に立ち、生き延びなくては。

違法都市のどこかに、司法局の〝隠しオフィス〟があるはずなのだ。わずかな人数ではあるが、駐在員がいて、情報収集や種々の工作や、市民救出の拠点になっているという。

いや、実際には、都市側に察知されているらしいが、通常は『害にならない』ので無視されていると習った……麗香さんに。

そこに駆け込みさえしたら、リリーさんに連絡を取ることができる。そこから先は……どうなるか、甘い期待は持てないけれど。

ジャン=クロードという男は、新興の中小組織のボスだった。

基地にしているのは、雑居ビルの数階分のみ。他に、買い取った工場や店舗が幾つかある程度。

セイラの話しぶりでは、部下もそう多くないようだ。精々、十数人。

警備隊長のアフマド(褐色肌の大男)と、秘書のユン(短い黒髪の黄色系美女)が、彼らを取り仕切っている。

ジャン=クロードは朝食を済ませると、中核の部下たちを引き連れてどこかへ出ていき、ぼくとセイラは数人の男たちと共に、留守番に残される。

最初は、彼らに何か性的な虐待をされるかと思った。人間の男は、暇があれば、ろくでもないことを考える。

しかし、彼らはそれぞれ事務仕事や戦闘訓練などをしていて、ぼくらに要求するのは、雑務や食事の支度くらいのこと。

セイラはアンドロイド侍女たちを指図して、掃除や品物の整理などをさせ、自分自身も楽しげに立ち働いている。

「ラファエルは、お料理のことがわかる? それなら、お昼の指図を任せていい? 人数は五人分ね。材料は、在庫から選んでね。わたしは、車のお掃除を監督してくるわ。午後には、注文してある食品と雑貨が届くから、整理を手伝ってくれる?」

特に、難しいことを要求されるわけではない。当たり前だ。ただの下働きなのだから。

そういう仕事の合間には、厨房の片隅でセイラとお茶を飲んで、おしゃべりする余裕もある。

「あなたのいた組織は、どうだったか知らないけれど、ここは、とてもいい所よ。まじめに働いていさえすれば、ちゃんと守ってもらえるわ」

最初、セイラの言う意味が、ぼくにはよくわからなかった。

「守って、もらえる?」

「そうよ。お部屋でも洋服でも、必要なものはもらえるわ。ユン姉さまがお買い物に行く時に、連れていってもらうこともできるし」

確かにぼくは、手狭ながら個室を与えられているが。

「姉さまって……」

すると、セイラは笑う。

「最初はもちろん、ユンさまと呼んでいたのよ。でも、わたしは奴隷じゃなくて、組織の一員なんですって。仲間ということよ。ただ、一番年下だから、みんなの言いつけを聞くようにって。だから、ユン姉さまと呼ぶようになったの。他の男の人たちも、出張した時に、お土産を買ってきてくれたりするわ。あなただって、みんなの弟になれるのよ」

驚いた。何という、狡猾な人間たちだ。疑うことを知らないセイラを、そんな甘言で操るとは。

だからセイラは、毎日いそいそ働いているのだろう。いずれは使い捨てられる運命だと、最後の瞬間まで悟らないまま。

だが、ぼくもまた、無邪気な子供であると思われているのだろう。それならば、感謝しているふりで、いそいそと働いてみせなくては。

***

三日もすると、ぼくはユンから直接、雑用を言いつけられるようになった。運び込まれる雑貨や食料の収納。新たな発注。人間の部下たちからの伝言を、他の誰かに伝える使い走り。

人間たちの食事の支度は、ほとんどセイラが受け持っていた。料理用や給仕用のアンドロイドはいるが、季節に相応しい献立を決めるのは、セイラの役目。

「ジャン=クロードさまは、お魚料理とアップルパイがお好きなんだけど、毎日続けて出すわけにはいかないから、今日はミートローフと、桃のタルトにするわ。アフマド隊長は、肉料理全般がお好きだけど、特に豆と羊肉の煮込みが好物なの。ユン姉さまは和食と、四川料理がお好き。不公平にならないように、順繰りに、みんなの好きな料理を出すのよ」

セイラは確かに、彼らの妹のように可愛がられていた。男たちは仕事から帰ってくると、セイラに声をかけていく。

「手が空いたら、後でコーヒー頼むよ。セイラが持ってきてくれると、味が違うからな」

「来週、小惑星農場に行ってくるから、欲しいもの買ってきてやるよ。花がいいか、果物の木がいいか?」

以前の組織で酷使されていたセイラは、今の安寧が嬉しくてならないのだろう。心の底から、自分を拾ってくれたジャン=クロードを敬愛しているのだとわかってきた。

「セイラ、明日は鰻料理を頼む」

夕食後に彼に言われると、水割りのセットを差し出しながら、にこにこと答える。

「はい、わかりました。それでは、和食仕立てにしますね。デザートは、何かご注文ありますか?」

「いや、それは任せる……ただし、甘い物は、ほんのちょっぴりにしてくれ」

「はい、あんこは苦手でいらっしゃいますものね。では、果物のシャーベットか何かにいたしましょう」

「おまえは、自分の好きなデザートを食べていいんだぞ」

「はい、わかっています。わたしは、黒蜜たっぷりのあんみつにしますから」

何という、ずる賢い男だろう。工場から新品のバイオロイドを買っても、こんな敬意は受けられない。

道端で拾ったからこそ、だ。

セイラは、いざとなったら、喜んで主人の盾になるだろう。

それではジャン=クロードは、ぼくからも、純朴な感謝を期待しているのだろうな。

(いいとも。素直なバイオロイドを演じてやる。いつか、逃げ出す隙ができるまでは……)

「元気になったか、坊主」

片隅に控えるぼくに目を留めて、ジャン=クロードが話しかけてきた。この時は、既に拾われて五日ほど経っている。外出の多い彼とは、なかなか会話の機会がなかったのだ。

ぼくの名前がラファエルだとセイラから聞くと、彼はサングラスのまま、ちょっと首をかしげた。

「悪いが、その名前の部下は、新たに採用したばかりなんでな。おまえには、別の名を使ってもらう」

そういうことなら、こちらに選択の余地はない。どうせ、ただの記号に過ぎないのだから、何でもいい。

「そうだな、天使つながりで……ミカエルにしよう」

ぎくりとし、腹が冷える気がしたが、本当に偶然の命名らしいので、抗議はできなかった。不安だが、仕方ない。よくある名前なのだから。

「生活方面の雑用は、今のところ、セイラ一人で足りてるからな。ミカエル、おまえには、組織の事務を手伝ってもらおう」

そんなことなら問題ないが、ぼくは一応、奴隷らしい不安を見せた。

「ぼくは、難しいことはできません……雑用しか、したことがありませんので」

「わかってる。ユンが教えるから大丈夫だ。俺はバイオロイドを五年で殺すことはしないから、少しずつ進歩していけばいい」

何だって。奴隷を五年以上、生かす!?

まさか、そんなことがあるはずない。〝五年で処分〟は、辺境における絶対の掟だろう。

もし、絶対でないのなら、これまで殺されてきたバイオロイドたちは、何だったのだ。

嘘だ。嘘に決まっている。

ぼくもセイラも知識の範囲が狭いから、その程度の嘘で、安心させられると思っているのだろう。

いや、とにかく、ぼくは『世間知らずの逃亡奴隷』なのだから、彼の言うことを信じ、安心するふりをしなくては。

だが、咄嗟にうまい演技を考えつかない。本当に無知な奴隷だったら、どう反応する? ありがとうございますと言うのか!? 膝をついて、彼を拝むのか!?

ぼくが反応を決められないでいると、ジャン=クロードはサングラスを外した。素顔をまともに見たのは、初めてだ。手入れの良さそうな、なめらかな小麦色の肌。リリーさんより色の薄い、灰色がかった青い目をしている。秀才風というよりも、安手のジゴロのようなハンサムだ。

彼は薄い唇で、にやりと笑った。

「信じないのは勝手だが、新興組織には、使い捨ての余裕なんかないんだよ。拾ったものでも、最大限、活用するしかない。とことん使うから、そのつもりでいろ」

もちろん、信じないし、安心しない。

だが、とりあえず、焦る必要はないだろう。脱出する隙ができるまで、一年やそこらは待つことができる。脳腫瘍が進行する心配はあるが、脱出に失敗したら、即座に命がない。

ぼくはこうして、ジャン=クロードの組織に馴染んでいったのである。

天使編5 13章 紅泉

麗香姉さまの元へ向かえたのは、ミカエルを預けてから、四か月ほど後だった。

大企業の研究所に職員として入り込み、違法組織とのつながりを洗い出し、辺境まで出張ってその組織を潰すのに、それだけの時間が必要だったのだ。任務の最中には、余計な連絡などできなかったし。

「やっほう! ようやく、ミカエルに会えるわっ!」

事後処理を片付け、高速艦で姉さまの暮らす隠居屋敷に向かった時は、再会の感動を予期して浮かれきっていた。

抱きしめて、頬ずりして、顔中にキスしたら、ミカエルはどんな風に反応するかしら!

舌を入れるようなキスは、先の楽しみに取っておくけれど、唇の端にキスするくらいは、構わないはず!

ところが、《ティルス》の勢力圏に入るとすぐに、姉さまからの伝言を持ったアンドロイド兵が、連絡艇でやってきた。

『来るには及ばず。ミカエルは留守』

という姉さま自筆のメッセージは、まるきり意味不明だ。

「留守って何よ、留守って! ここまで来て、回れ右なんかできますか!」

あたしは憤然としながら、姉さまの隠居屋敷に到着した。薔薇園を見渡すテラスには、いつも通りお茶の支度がしてあり、長い黒髪の美人が待っている。今日はアプリコット色のワンピースで、金色の真珠のイヤリング。

いつもなら惚れ惚れと眺めるところだが、今日はそれどころではない。

「姉さま!! ミカエルはどうしたんです!!」

あたしが詰め寄っても、姉さまは泰然としたままだ。

「無駄足になるから、ここへは来なくていいと言ったのに。《ティルス》でダイナと遊べばいいのよ」

「後で寄りますよ。だけど、あんなメッセージ一つであたしが納得するなんて、姉さまだって思っていなかったはずです!!」

「まあ、お掛けなさい。お茶でも飲んで、気を落ち着けて」

あたしは慣れた木の椅子にどっかり座り、横には、コーラルピンクのツーピースの探春が静かに着席した。探春は道中ずっと、あたしの浮かれようを、冷ややかな横目で見ていたのである。今度こそ、ミカエルとは相思相愛だというのに。

バイオロイド侍女が、香り高い煎茶の茶碗を置いていく。一緒に和菓子も並べられたが、今は食い気は後回し。

「ミカエルは、修行の旅に出しました。いつ帰るかは、まだわかりません」

と姉さまが言う。

修行の旅ぃ!?

「何ですか、それ!! 大体、あの子の治療はどうなったんです!?」

「必要な治療は、済ませました。もう、脳腫瘍で死ぬことはありません。今は、知り合いの組織に預けています。ミカエルには、そこでしばらく、実務の勉強をしてもらいます」

「実務って……?」

「組織の経営、他組織との取引、戦闘指揮、その他。辺境で生きていくための、基礎知識全般ね」

そうか、そういうことか。姉さまの、教育者としての面が出たのだ。しかし、婚約者のあたしに何の断りもなく。

「あの子は、まだ子供ですよ? 姉さまの元で勉強していれば、それで十分じゃないですか」

いくら賢くても、培養カプセルから出てきて、七、八年しか生きていない。もう何年かは子供扱いされ、守られる権利があるはずだ。

けれど、姉さまは確信犯の穏やかさで言う。

「本当の子供とは違うわ。技術者としての基礎知識を植え込まれて誕生しているのだし、人間に反逆して逃亡してきたのだから、立派な闘士です。おまけに自分の意志で、あなたの伴侶になると決めたのよ。それなら、あなたに相応しいことを証明してもらわなくてはね」

そこか、問題は。

「あなたと連れ添うということは、つまり、わたしたちの一族の一員になるということですからね。あなた一人が惚れ込んでいても、それでは足りないのよ」

「それは、そうかもしれないけど……」

「そもそも、ミカエル本人の希望なのよ。あなたを守れる男になりたいから、一日でも早く、実務の勉強をしたいって」

あたしを、守れる男になる。

ずしんと胸に響いた。ミカエルが、そんな決心で動いてくれたなんて。

あたし、愛されている。それだけで、心がしっとり潤うわ。

あたしを女と思ってくれる男なんて、この世のどこにもいないかと、もう半分あきらめていたから。

「ミカエルが一人前の男になるためには、外に出て痛い目に遭ったり、怖い思いをしたりして、経験を積まなくてはいけません。ここで毎日、花畑の中に座っているわけにはいかないわ」

うう。子供の頃から、姉さまには教え諭されるばかりで、本当に反抗できたためしがない。

「それなら、最初に、そう説明してくれればよかったのに……」

「そうしたら、あなたはミカエルが心配で、任務に集中できなかったでしょう。あなたが先に死んでしまったら、ミカエルも、絶望の底に叩き込まれるのよ」

ううう。ますます反論できない。

探春は、澄ましてお茶を飲んでいる。もしかして、このことを知っていたのかも。

「とにかく、ミカエルは今日まで、立派に働いています。あなたが囲い込んで、甘やかす必要はありません。彼を信じて、このまま修行させておきなさい。区切りがついたら、会えるのだから」

「それって、いつです?」

「そうね。あと半年か一年くらいしたら、会わせてあげてもいいわ」

「半年ぃ!?」

「その後はまた、ミカエルは修行を続けますからね。邪魔してはいけませんよ」

「そんな!! それじゃあ、七夕並みじゃないですか!!」

天の川、つまり銀河をはさんで、引き裂かれている恋人たち。

「七夕なら、会えるのは年に一度、たった一晩だけよ。あなたたちの場合、会えば三日か四日は一緒にいられるでしょう。それに、手紙を書けば、わたしが届けてあげます」

「接触は、たったそれだけですか!?」

あたしはほとんど、半泣きだったと思う。そんなに長く離れていたら、ミカエルが他の女に目移りしてしまうではないか。

だって、あたしとミカエルは、まだほんのわずかな日数しか、一緒に過ごしていないのだ。あたしと探春の間にあるような強固な絆は、ミカエルとの間には、まだ育っていない。

けれど、姉さまはいつも通り端然として、揺るぎもしなかった。

「ミカエルが一人前になるまでの、ほんの何年かの辛抱ですよ。男の修行に、女は邪魔でしょう。ミカエルが自信をつけたら、あとは彼の判断で行動すればいいのだから」

あたしはすっかり、意気消沈してしまった。ミカエルを信じてはいるけれど、自分の男運の悪さも、よく知っているから。

半年、一年、会えなくても、ミカエルは、あたしのことを思い続けてくれるかしら。

(まさか、これきり、なんてことはないよね)

あたしは、お守りにしてきたエメラルドの指輪を眺めた。任務中は外していたけれど、ここへの旅では指に戻して、にんまり眺めていたものだ。

ミカエルはこれから、たくさんの女に出会う。より広い世界を知る。あたしみたいな厄介な女を伴侶にするより、もっと穏やかな女とひっそり暮らす方がいい、なんて思ってしまうかもしれない。

市民社会には戻れないとしても、うちの一族の庇護があれば、《ティルス》やその姉妹都市で、安全に暮らしていけるのだ。

(こんなことなら、ミカエルと一緒に薔薇のお風呂に入っておけばよかった……本物のキスをしておけばよかった)

ミカエルが青年になるのを待つ余裕なんて、あたしには、なかったのかもしれない。じわじわと、悲しい予感が湧きつつある。もう二度と、そんな機会は訪れないような……

ううん、だめ。悲観は、よくない運命を招く。

ミカエルの愛情を信じて、ゆったり構えていればいいのよ。あたしたちは、運命の出会いを果たしたのだから。

修業期間なんて、あっという間に過ぎるわ。

それなのに探春は、涼しい顔で言う。

「ミカエルはきっと、女性にモテるわね。あのまま成長したら、素晴らしい美青年になるでしょうし」

くそう。

今回もまた、あたしの失恋に終わると思っているな。

自分が男嫌いだからって、あたしの恋愛まで、軽蔑の目で見なくてもいいじゃないのさ。

ミカエルはまだ子供だけれど、これまで出会ったどの男より、あたしの理想に近いと思う。

というより、どんな男が理想なのか、これまでのあたしにはわかっていなかった。ミカエルに出会って初めて、

(こういう風に接して欲しかったんだ)

と納得できた気がする。

外見が上品で好ましいとか、行動がスマートだとか、そんな表層的なことではなく、ミカエルとは魂が通じ合う気がする。

何を愛し、何を嫌うかの感性が似ていると言ってもいい。

ミカエルがあたしを愛しいと思ってくれること、守りたいと願ってくれること、それがあたしを幸福にする。

(女でよかった)

と素直に思えるのだ。闘うだけの人生では、あまりにも悲しいもの。

お願いだから、どこでどんな経験をしても、前のままのミカエルでいて。あたしに再会したら頬を染めて、きらきら輝く瞳で見上げてきて。

会えなくても、あたしはあなたを愛し続けるから。

   天使編6に続く

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