こんこんと、倦まず弛まず
久々に大学の友人と会ってきた。
春休みに入って以降合っていないので直接会うのは二か月ぶりだった。
そもそも大学でも講義が同じ時しか顔を合わせることのない間柄(ヨッ友と言うほど遠慮がちな関係でもない)なので、「久々」そのものがあまり珍しくなかった。
いつも通り、久しぶりだった。
集合駅近くの海鮮居酒屋で食事にしゃれ込んだ、私を含めた三人とも酒の席の常識には疎いZ世代丸出しムーブなので、次にどんな行動をとればいいのかと相手の腹を探りあうようなふわふわしたタームがあったが、酒が混じるとそれも薄れていった。
話を聞いていると、特に何もしていない私とは違い、二人はしっかりと就職活動に勤しんでいた。自分の領分を見極め、面倒臭い手続きを幾重にもこなし、時には歯牙にもかけられない絶望をほどほどに受け止め、粛々と成長している様子が見て取れた。ちょっと感動してしまった。泣きはしなかったが。
そのせいもあってか、気を抜くと「チミ達はすごいよ・・・俺なんてさ・・・」みたいな言葉が口から漏れ出そうになる。意識して自省に励んだが、それでも二回くらいはそんなことを言ってしまったような気もする。
沖縄から大学進学を期に上京した一人は彼女と同棲して二年が経ち、都心に居を移して、結婚を視野に入れつつあるらしい。
もう一人は度重なる公務員試験のための予備校生活に限界を感じ、予備校をやめて普通に就職活動を行い、自分の興味の要点を掴みかけているようなことを言っていた。
少々話している展望はボヤっとしていたが、それもきっと時を重ねるうちに身の丈に合う、もしくはそれ以上に実の伴ったものになるに違いない。
どこか、彼らは私の想像をはるかに超えて逞しく、真面目に人生の駒を進めていた。
私は、きっと焦ったほうがいい、と思う。
不思議と劣等感や焦りを感じなかったのは、多分私たちのコミュニケーションがどことなく優しいものだったからなのかもしれない。
それは易しいではなく、優しい。
無暗に自分の見定めた物差しに見合わない他者を差別したりすることもなく、かと言って極端に悪意を向けてきた相手には反抗することはあれど、そこから必要以上に相手を腐すこともない。
こうやって言語化すると、聖人君子のように見えるが、それほど立派でもないのが彼らの美徳なのだと思う。
金銭管理がどこか曖昧だったり、絶妙に自意識が高じたりする。
ほどほどに欠点もあるが、それに対して身を焦がすような嫉妬や悪意を蓄えて、居もしない敵を作ることがないのが彼らの素晴らしいところだと思う。
友人に恵まれた私は、存外この環境に甘んじて、理由なく自身の停滞を潔しとしてしまっている。
大学四回生になろうとしている今日この頃。私は、ある人々からみたら見下げ果てるまでに断崖絶壁のふちに立たされているが、崖っぷちから見える景色が案外素晴らしくて、思いのほか朗らかな顔でいる。
多分、近いうちに手酷い目にあい、齢二十過ぎの醜い泣き顔を下敷きに日記を書く時が来るかもしれないが、その時には、笑ってほしい。
「こんなに不誠実で怠惰な奴が、しっかり因果応報のサンプルになってやがる」と
日々を真面目に生きる貴方のエンターテイメントの一助になれれば、幸いです。
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