200個もあるじゃないか

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最近の記事

2024年 3月17日の日記

今日ほんとに何もしてない。何もしてないときこそ日記が捗るぜ。オラオラ。  寝起きはやや健康的なんだけども、それにしてもよくない思考のどっぱまり、陰気のガーターに一直線に突き進んでしまった。 吠えてぇな。カラオケ行きてぇと思ったよ。でもこういう時に行くカラオケって大抵うまかないのよね。「ワイは何の曲もまともに歌えんのか・・・」って、自分の高い期待値の落差から勝手に絶望するだけの一人カラオケになりそう。結局行ってないし。 マクドナルドに行った。お金使っちまったなあ。千円にはな

    • 2024年2月27日の日記

      この頃、四回生の春。就職先は決まったがかと言ってぬか喜びもできない。そんなに時期に差し掛かっている。  どうにも大学の同回生をみると、就職が決まってから以降はバイトで日銭をほどほどに稼ぎつつ日々のサイクルを獲得し、資格の勉強を片手間にあとは遊び惚けるのが通例らしい。仕事は始まってから覚えるということだそうだ。  自分の業種の場合、これが通用しない。画力は日々の積み重ねだし、学校によっては卒業制作で自分の実力と明確に向き合いながら作品を練り上げたりする。自分はそこには与し

      • 2月5日の日記

        今日も正直何もしていない。朝起きて、ゴミ出しして、買い物した後に薬局行って・・・。 昨日は病院行って先生とギクシャクした会話をしながら今後の治療方針について話し合った。何分引っ越したのでできれば近所の病院に通院したいものの、どうにも一度前まで通院していた病院に働きかけることが必要らしく。しかも新しい通い先に関しては用意してくれないとのこと。一度こっちでどの病院に行くかのめどを立てない以上は紹介状も書かないということらしく。田舎との違いに驚いた。実家では近所のかかりつけ医が

        • 青い米を作るぞ 二月二日の日記

          今日は昨日五時半に寝たため十一時に起きた。膝の痛みは引いている。まさかディズニー行って膝をいわすとは思わなかった。老いなのか・・・ これが? 気を取り直して大泉学園駅まで行き、(通りがかったブックオフで『新世界より』を買った)ハードオフへ向かった。道中は原宿さんとマッハ・キショ松の哲学堂を聞いていた。面白い。 ハードオフへ向かうバスが行先を自己申告するタイプだったのでややギクシャクした。加えて私は「行先をもう伝えているのだから希望のバス停で止まるだろう」なんて思って

        2024年 3月17日の日記

          1月29日の日記

          前回の日記から一年近くたっている。書かなかった理由は継続力の無さももちろんかもしれないが、日々起きたことを記録するという役割においてnotionがあまりにも個人の目的として有用に働きすぎているのがある。 notionはメモアプリで、自身で好きなように項目立てが出来る。さらにうまく使いこなすとタスク管理はもちろんのこと、数式を入れることでエクセルシートのような使い方も可能だそうだ。自分はそこまでやってはいないが、読んだ書籍の記録と日々のタスク管理を重点に使っている。 だった

          膝小僧 こんこんと鳴る土踏まず 後ろは熱く前冷たい

          自作の短歌書いてやがる… しかもタイトルに。 笹井宏之さんの短歌が好きだ。意図していなかった言葉の取り合わせ、その余白が感情の秘孔をついてくる感覚がある。 芸術の意義は概ね言語による一元的伝達とは別のコミュニケーションのアプローチを模索することにあると思うのだけれど、その点で現代短歌とかは実感が得やすい対象なのかなぁ、と思ったりする。 言葉による直接の意味ではなくて、あまり関連がないような言葉と言葉が合わさることによって、そこにしかない情感や記憶、手触りみたいなものを

          膝小僧 こんこんと鳴る土踏まず 後ろは熱く前冷たい

          こんこんと、倦まず弛まず

          久々に大学の友人と会ってきた。 春休みに入って以降合っていないので直接会うのは二か月ぶりだった。 そもそも大学でも講義が同じ時しか顔を合わせることのない間柄(ヨッ友と言うほど遠慮がちな関係でもない)なので、「久々」そのものがあまり珍しくなかった。 いつも通り、久しぶりだった。 集合駅近くの海鮮居酒屋で食事にしゃれ込んだ、私を含めた三人とも酒の席の常識には疎いZ世代丸出しムーブなので、次にどんな行動をとればいいのかと相手の腹を探りあうようなふわふわしたタームがあったが、

          こんこんと、倦まず弛まず

          朝日記

          「パイの奪い合い」という言葉が苦手だ。利益というものが分配されるものでは無く独占されるものだという考え方にも通底している気がするが、もう少し正直に言えば、私は「競争」という概念が肌に合う人間ではない。 「それは君がありとあらゆる競争に負けたからでは?負け犬の遠吠えかな?」 と言われそうだけれども、それこそ、自分は幼年期からウィンタースポーツをやっていて、物心つく前から競争っぽいものに算入されて、否が応でも勝敗の結果を見せられたクチだ。「勝った」こともあるし、「負けた」こと

          あんぱいあ

          恐ろしい程なにも思いつかないけど日記を書くよ。 なんやねん。 内心の冒険が出来なさすぎる。というより、「小説書きてぇ~」なんて思っている反面、内心でキャラクターが動くのが怖すぎる。なにこれ。 結局なんだかうまくいかず米澤穂信の小説とかを読んだりする。どうしようもない。 やる気というものはやり始めたら湧くものだという、しかし何かを決断して飛躍させることにいつも二の足を踏む私は創作という行為が向かないのかもしれない・・・なんて思ったりもする。 単純に自己愛が強すぎて内心

          イブン

          ・朝起きて九時半予約の病院に行った。道中に本を読みたいと考えて森見登美彦の『熱帯』を読んでいたが、全くと言っていいほどに頭に入らない。どうしたのだ。私は。 火曜日は一般の外来も診察に来るため、非常に混んでいた。採血で二十分待つことになるとは、正直それを見越して本を持ってきたのに集中力がなくてなんだかしんどかった。 会計の時に特定疾患受給者証を忘れてしまい、普段の三割増しの診療費を払う結果となる。つらーー。 ・そのまま昼はサブウェイを食べた。食べただけになってしまった。グリル

          しっぺいからのどんまなり

           コロナにかかった。とうとうかかった。  自体は12月11日、ちゃっかりのどの痛みに寒気と咳に痰という風邪の症状オンパレードを展開し、自室でさみしく布団にくるまっていた。翌日の12日に近所の発熱外来にて検査を受け、サクッと陽性の結果が手元に戻ってきたのだ。  それから数日は怠い身体と詰まった鼻の煩わしさと、各種医療機関が如何に若人に冷たいかを痛感させられ続けるだけの日々である。  まず検査を行った診療所では、かねてからの持病の通院履歴を見るや否や「かかりつけ医に相談して

          しっぺいからのどんまなり

          12/5の日記

           大学でサッカーの話題になり、自分の無知さで一笑い取ろうと思ったら普通に引かれた・・・・ごめんよ。 いやごめんて  けどほんとうにサッカーを知らない。なんだったら今回の予選で起きたことを別の何かに例えて「凄さ」を伝えるツイートもあったけど、その例えすらわかんない。 なにもしらないです。申し訳ない。  なんか特定の流れにひたすら置いて行かれて生きている。スプラトゥーンもやらず、apexもやらず、ポケモンもやったことない・・・。  しらないことだらけだ。  けどこうい

          そういう情感もある

          ・耳かきが好きだ。綿棒やスクリュー型等の様々な耳かきがあるけれど、なんだかんだ竹でできたスプーン型の耳かきに落ち着いてしまう。 ・なにかとつけて話題になるAIのイラスト生成、自分としても絵を描く人間なので一時期はその登場にかなりまごついたが、今となってはそこまで気を割くようなことではなくなった。 ・その気心の変化の起点は、描くという行為そのものの楽しさや手ごたえをようやく得つつあるからだと思う。  自分の手で何かが描ける、という技術的な習得とカタルシスそのものにどこか惹か

          そういう情感もある

          散文 日記 メモの処理

          ・現代では人間の持つ有害性をなるべく漂白しようとするのが一応の動きとして存在するが、もう少し「なぜ私たちはそう思うのか、誰かに危害を加えたり、見下したりしたいのか」をもっと具体的に見つめる必要があると思う。 安直なスローガンで教化された道徳観は、新たな差別の萌芽になり得る。 ・最近アマプラの 「この動画は再生できません。」を観た。 生々しい質感の会話を得意とするかが屋の2人が、物語の「解説パート」に入ると途端に段取り演技っぽくなる。因みに前座で行われる他の役者さんパートはか

          散文 日記 メモの処理

          コード 内省 薄氷 コミュ障

          ・実家の母が下宿先に来た。都内で昔ながらの友人に会うためらしく、宿泊先として利用した次第だ。  私と母はかなり会話をする方だ、むしろ他の家族と比較したら会話しすぎる部類かもしれない。ある種自分のしょうもない長話を聞いてくれることに甘えているのかもしれない。兎角、よく話した。  よく話したのだが、では自分の内心が詳らかに相手に伝わったとは思えなかった。あくまで、「母に伝わるコードを選択して発信している」といった具合だ。  この状態がそれなりの時間続くと、普段の自分とは違う

          コード 内省 薄氷 コミュ障

          すくなくとも私にはいないぞ

          「すずめの戸締り」のネタバレが記載されています。ご注意を。 ・大学が全休だったので新海誠監督の「すずめの戸締り」を観た。 正直思うことは多いけど羅列したい。 ・まず、今回の話の大きな構造の核として機能した「震災」について、鑑賞特典のブックレットからもかなり監督の中での「災害とどう向き合うか」が具体化されていた。というより、監督の内心で自己完結しすぎているような気がする。 特に今回の映画は、主人公が起きた災害のかなり直接的な被災者であり、それが主人公の行動の動機にも多少な

          すくなくとも私にはいないぞ