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青い米を作るぞ 二月二日の日記

 今日は昨日五時半に寝たため十一時に起きた。膝の痛みは引いている。まさかディズニー行って膝をいわすとは思わなかった。老いなのか・・・
これが?

 気を取り直して大泉学園駅まで行き、(通りがかったブックオフで『新世界より』を買った)ハードオフへ向かった。道中は原宿さんとマッハ・キショ松の哲学堂を聞いていた。面白い。

 ハードオフへ向かうバスが行先を自己申告するタイプだったのでややギクシャクした。加えて私は「行先をもう伝えているのだから希望のバス停で止まるだろう」なんて思っていたが、ちゃんと自分の降りるバス停になったら降車ボタンを押さないといけないらしい。学習したよ。
 ハードオフへ向かったのは学校の課題でコラージュを作らなければならず、そのための小物を集めようと思ったが予想以上に難航した。なんとなく頭で決めていたテーマと符合するモチーフがなさすぎるし、なにより残り一週間で出来ることが限られている。前もってやっておくという基本的動作が相も変わらず備わっておりません。ギリギリチャンスを全力と勘違いして生きている。
 初めて行ったが、あるのはがらくたの山、しかも人が使ったというそこはかとない年季がただよう空間で、そこでひたすら物をあさるのは妙にサバイバルじみていた。いろんな人々の残滓が宿る箱を搔き分ける。汚な「エモい」がずっと周りを包んでいる。そうだ、一時流行ったあの情感も本来もっと人々の生活の延長線上なんだから汚くて当然だ。きっとツイッターで定期的にバズった炉端でタバコを吸うメイドも怠惰な生活を自己陶酔の材料にしている退廃カップルもきっと汚いにちがいない。六畳間で同棲するサブカル男女から喫煙者特有のうんこみたいな口臭したら面白いな。それも「エモい」でいいんじゃないか? ここまで言うとハードオフが汚いみたいな物言いになってしまった。汚いかどうかはわかりません。気持ちの問題です。

結局、城のオブジェを一個買って終わった。それと同時にスマホで自分の収支を確認しややげんなりした。先月先々月ともに出費が嵩んでいる。自制心は無いのかね、私にはさ。それでいて学校課題での出費が約束されているのだからやるせない。
色々うろうろして結局「米を青色に染める」というアイデアでやり通すことに決めた。どうなるかは分からない。死ぬほどショボくなるかもしれない。
家についてからは日課の毎日アニメを描いた。今日は新沼さんの振り向き作画をトレスした。髪の毛の形がわからないんでね。フォトリアルな作品でも髪型に関してはスネ夫ヘアーみたいな処理をして興味深い。
今日も一万歩歩いている。だが普通に間食が多いため太った。走ろう。
明日は仮面ライダーの映画を観に行く。遊んでばっかだなぁ、と思う反面どこか義務を漂わせた亡霊に私は取り付かれている。心の底から「遊ぶ」という実感を持てた瞬間は少ない。どの物事もそこはかとなく「やらされている」

絵について、もっと気楽に自分にとって難しい出力をしてもいいのかもしれない。どこかで「全神経を集中させないと自分はゼロから1を作れない」と思っている節があるし、そのせいか他の絵描きさんみたいに一枚ないし一キャラ描くことへの抵抗がすごい。「下手だったらどうしよう」とか、「ここまで練習してきたのだから絶対上手く描くぞ」みたいな強迫観念がありすぎて一筆が重たい。ダンジョン飯の作者さんの落書き集を買って読んだが、表現したり漫画を描くことが生活の語彙と密接にかかわっているのが素晴らしいと思った。全てが勝負のように片意地貼っていると自分に見栄はったり取り繕ったりして自分の身にならないから、もう少し肩の力を抜いてもいいんじゃないかね。


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