playについて
「遊び」という言葉は僕らの日常の中に自然と溶け込んでいて、それが故に意識してその意味を考えなくなってしまっているものの一つだと思う。
しかし、「遊び」とは何なのだろうか。
僕は年少の娘を持つ父親である。普段から育児には積極的に参加している自称「教育パパ」である。子供と遊ぶ時にふと思うことがあった。それは目的や使い方などが意図(デザイン)されたおもちゃが多いことである。子供の興味を引くような音楽が流れるボタンがあったり、押すと動き出す機能を持つおもちゃに対して子供たちは最初は熱心に遊ぶ。だが怖いのはその光景を見て喜ばしいものと捉え、違和感を感じないことではないだろうか。本来、自由に創造する子供が目的限定された玩具によってその創造性を制限されていくのは勿体無い。改めてこの遊びについて真剣に考える必要がある。
遊びの五原則
1.遊びは楽しくなければならない。
2.遊びはそれ自体が目的であるべきで、何か他の目的であってはならない。
3.遊びは遊ぶ人の自発的な選択によるものでなければならない。
4.遊ぶは遊ぶ人が能動的に関わらなければならない。遊ばせてもらっていたら遊びではない。
5.遊びは現実から離れたもので、演技のようなものである。子供が何かの「ふり」をしていたらそれは遊びである。
上記の五原則はテンプル大学のキャシー・ハーシュパセクとデラウェア大学のロバータ・ゴリンコフが提唱したものだそうだ。彼らは遊びの重要性を指摘し、子供がそこから学ぶことができる遊びの重要性を訴えて世界中から注目されている研究者である。
僕が幼児期や小学生の低学年の頃を振り返ってみる。僕は山形の酒田市という田舎で育った。その頃は今のようなバラエティに富むおもちゃも知育に役立つものも少なくとも自分の周囲にはなかったと思う。同時に、自分の親が先回りをして、子供がやるべきことを導いたり、指示決定することもほとんどなかったと思う。現代は転ばぬ先の杖が如く周りの大人が失敗をさせないようにレールを引いている状況に思える。僕も含めて多くの大人たちは「良かれと思って」考えていることが、実は子供の成長の芽を摘むことになっていないかと足を止めて考える価値はあると思っている。
今井むつみさんの著書「学びとは何か」は終章で次のように述べている。
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