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ユング心理学的類型論とMBTI

■結論 ユングが類型論を提唱した背景を押さえながら、MBTIや性格タイプを自分のなかに取り入れてゆきたいと思った              


■ユング研究者の書籍から読み解けるもの

昨今、巷における「MBTI」の認知度は大変高まっており、その捉え方は実に様々です。「note」の記事でも多くの方がその見解を開陳されており、それぞれに心を尽くして記されていることを私はひっそり感じています。                      

ところで、私もかねてから、MBTIや性格診断をどのように捉えるべきか思案していました。勿論、MBTI協会さんの公式見解を調べることがMBTIの捉え方に対する模範解答なのですが、こんな時は、どうしても自分なりの意味や理屈を考えたくなってしまう性分です。

そんな折、山根久美子氏著「自分を再生させるためのユング心理学入門」と河合俊雄氏著「ユング魂の現実性(リアリティー)」の2冊を読みました。

これらの書籍から、外向・内向の2つの態度と4つの心理機能(思考、感情、感覚、直観)の提唱者であるユングがこれらを論じるに至ったプロセスや背景を拾い出し、ユング自身が心理タイプをどのように捉えていたかを知ることで私のなかのMBTIや性格診断に対する理解が深まるのではないかと思い立ち、2冊の読みまとめをざっくりしてみました。                         

以下の内容は2冊の書籍から自分なりにまとめたものです。本に書いてあることと私の考察が混ざっているので、読みづらかったり、思い込みにより精度に欠いているかもしれません。あくまで個人的解釈ということで悪しからずご了承をください。              

■心理機能と性格タイプを考案した心理学者ユングとは          

ユング(カール・グスタフ・ユング)は、精神科医、心理学者であり、1875年にスイスで生まれ、1961年に85歳でその生涯を閉じています。ユングは、精神分析を確立し無意識という概念を初めて説いたフロイト(ジークムント・フロイト)に師事していましたが、途中、考え方やアプローチの違いから袂を分かち独自の心理学の道を歩むことを選びます。

ユングにとって、フロイトとの決別は精神的危機を引き起こすほどの出来事であったそうで、かつ、フロイト、ユングそしてアドラーを加えた3人は同じ時代に活躍した心理学者であり、ユングはこの状況のなかで自分の立場を確立する必要性を強く感じていたようです。

例えば、同じ出来事であってもフロイトは性を中心に理論展開をし、アドラーは権力あるいは劣等感にそれを求めています。ユングは、このように、それぞれの心理学的な傾向により同じ現象も異なる見方、結論に至ることに強く惹きつけれ、これらの体験が後のユングのタイプ論へと広がる小さな萌芽となったと河合氏はその著書で述べています。             

そしてMBTIのベースとなるユングの「心理学的類型論」は、フロイトと決別してから最初の大著でした。             

■ユングもどうやら自分の立ち位置を確認したかったらしい       

2冊の書籍から私は次の2点に着目しました。          
                                  ①ユングが心理学的類型論の発表に至った経緯として、フロイトとの決別による精神的危機を乗り越えるため、精神科医、心理学者としての立場を自らの手で立脚する必要があるとしたこと。

②精神的危機に陥っている当時のユングは、自身の心理的安定を図るうえで、複雑な世界から距離を置くためにあえてタイプ論を書いた(山根久美子氏著)ともされており、タイプという形態で物事を一般化、概念化することの利点を志向したということ。  

私たちは、MBTIや性格診断を用い、自分自身の性格や傾向といった、複雑な内面を捉えることを試みたり、他者を理解することに役立てることができます。そして、目に見えない曖昧模糊な自分に対し「タイプ」を与えてやることで、「タイプ」という「ふちどり」が自分の見える化を促進させる働きを持ち始めます。つまり、それは、自分を主体と客体に分けメタ認知を獲得することが出来るようになります。これは、長らく体調不良を訴える人に病名がついたことで初めて病と向き合える、ということによく似ています。                       

ユングが「心理学的類型論」を著述した経緯を踏まえれば、私たちがMBTIに代表される類型論に触れたくなること、自身や他者のタイプについて考察することは、社会のなかで他者と関係性をもって生きてゆく限り、自然の成り行きのように私は感じてしまいます。                

■タイプ論のプラスとマイナスのあいだで揺らぐ私たち

一方で、河合氏は著書のなかで類型論に対し以下の指摘をしています。                                 

タイプ論という見方をすることはどのような意味があるかを考察したい。どれが正しい見方というのではなくて、それぞれの心理学的な見方や表現の仕方が異なるのであるから、どの見方もそれなりに意味があることになる。しかしながら、真実に対してタイプという見方をすることは、多様性を可能にすると同時に真実に触れないことにもなりがちである。                 

河合氏は、個人がタイプとしてまとめられてしまうことで、本当の意味での多様性、ユニークさが認められなくなってしまう点を懸念しています。この懸念は私にもよくわかります。タイプ論において、良い点と注意点を十分に理解したうえで取り入れることが望ましいことは理解できるけれど、複雑な事柄が潜む日常のなかで、人はどうしたって両方のあいだを常に揺らいでいる存在、これが実際のところではないかと私は思っています。              

■タイプ論の肝は、実は宇宙との相関だったらしい???

更に、河合氏は著書で次のようなことも述べています。                         
この本(心理学的類型論)はヨーロッパ精神史と対決しており、特に精神と物質、精神や身体という対立を捉えていることがわかる。だからタイプ論は個性化(意識にのぼる得意な心理機能だけではなく正反対の無意識に位置する機能にも目を向けそれらを統合させること)の過程だけではなく、コスモロジー、世界の構造を扱っているのである。                             

果たして、これは何を言わんとするかというと、タイプ論における「内向・外向」「思考・感情」そして「直感・感覚」などの対立概念を統合する過程は、宇宙の構造のミニチュアであり、いわゆる入れ子構造だということなのかな、と私は解釈しました。宇宙の仕組み、それはあらゆる事象には対立する概念が包摂されている、ということかなと思いました。                                                                                            

■相反するものを受け入れて新たな上位概念を生み出す             

結論として、ユングが「心理学的類型論」のなかで目指したものは、相反する概念や価値を受け入れ、新たな上位概念を生み出すということではないかと私は読み解きました。なので、MBTIや性格診断をどう受けとめるかという具体的な事柄に転じれば、その利点と注意点の双方を踏まえつつ、自分や他者の良い面を活かすことに役立て、苦手や短所の部分はフォローしたり、好転するよう努めながら、自分らしさを形成してゆく、そのようなことになるのかなと思いました。                   

色々こねくり回した割に至極あたりまえな結論です。でも、ユングが心理学的類型論の構想を打ち立てるのに、ユング独自の深淵なる世界が存在していることは自明としても、幾分かは日頃の私たちと同じように自己との対話や他者との関係性に起因するものがあったことを、河合俊雄氏、山根久美子氏の著書から知ることが出来たことは私にとり大変有意義でした。    

私もユングが各種心理機能や類型論を提唱した背景を押さえながら、これからもMBTIや性格診断を自分の生活に取り入れてゆきたいと思います。

以上、長文のところ最後までお目通しをいただき有難うございました。                            

                                        

            

                                           
                 

                           


                                   

    


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