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INTJ Se劣等からの脱却を試みる

〈私がINTJに至った要因や背景を自分勝手にあれこれ考えてみた その4〉

INTJの劣等機能によるところの不器用さの起源やらそれらに対する向き合い方について。同じテーマをぬか床みたいにかき回したり、黒酢の入った壺みたいに寝かせてみたり、そんなことを日々ぐるぐるやっています。

さて、手先が不器用故に何をやってもサッパリなさえない子供時代を送っていた私は、いつしか自身の活路を見出すべく、Niアクティビティの開発やSe劣等機能を向上させるプログラムを取り入れ、外界との折りあいをつける方策を模索することにしました。(それは後付けで、当時は屈辱からの逃避という自己欺瞞の日々でした。)

■Ni機能の向上には補助機能Te、外的思考によるシフトチェンジが必須     

さえない現実との折り合いのつけ方について「起承転結」で整理しました。   
                                      起→Se劣等者の外界とのかかわり方                                                                               承→Se劣等者の外界からの扱われ方                                   転→外界に対する諦念                              結→Niをコントロールして外界をカスタマイズする                        

■起:Se劣等者の外界とのかかわり方

一例。小学生の頃、担任の先生が「似顔絵が得意だからみんなの顔を描いてあげるよ~。」と邪気のない提案をした。子供たちは一斉に先生の前に列を作る。当然、私も先生に似顔絵を描いてほしい。が、その時にNi主機能+Se劣等の私は瞬時に洞察する。「みんなと言っても人気者の〇〇ちゃんがまず先だよね。私なんかがおこがましいよね。」と逡巡してしまう。結局、列に並んだが時間オーバーで似顔絵は描いてもらえなかった。何をするにもこの余計な回路が先に立つから機を逃す。ここぞのタイミングに出遅れる。誰かと同調したり、感情を共有しても競争に負けることが予期されるため、対象と距離をとり、冷静、客観になることで自己を防衛する。「似顔絵を家に持ち帰っても扱いに困るし」とさながらイソップ童話の「酸っぱい葡萄」の合理化、というやつである。

■承:Se劣等者の外界からの扱われ方

上記のような外界との関わり方をすれば、外界からは次のように扱われる。(当時の心境の再現のため外界に対してどうしても被害的になる)先生に甘えられない、人気者の子と遊べない、遊具の順番が回ってこない、センターはまず無い、幼稚園のおゆうぎ会ではわき役すらなれずミカンの木だし。しかも、オレンジ色の靴下を用意するよう言われ、母親と探すも見つからず(オレンジなんてそうそう無いだろ)それでも朱色っぽい靴下を見つけ、当日に履いて行ったらあろうことかリンゴの木に間違われ私は殊更に屈辱を味わった。                                           

■転:外界に対する諦念

ここでINTJの補助機能外的思考のTeが作動する。Niに加えて冷静、客観判断の「TとJっぽさ」によって自分なりに外界の全体像を掴む。世の中は自分のためにあるわけでないと。腑に落ちるとINTJは感情的に引きずらない。見切りをつける。そういえば、小学2年生のとき、友達と喧嘩したことを母に打ち明けたが、忙しかったのだろう、軽くあしらわれた。私は感情的に傷ついたが、同時に親と言えど他人をあてにしてはいけないのだと理解した。人は人、自分は自分。独力独歩で生きなければならないのだと理解した。

■結:Niをコントロールさせて外界をカスタマイズする

こうして、NiとTeを用いながら身の回りに起こる事象を自分なりに理屈をつけ、最適に解釈し外界を自身に寄せて行くことにした。具体例を挙げると、例えば「逆張り」。多数が好むことに関心は示さず、目がつけられていない事、価値に興味、関心を見出す。そうすれば、誰かと競争して資源を占有されることはない。興味、関心を「浅く・広く」ではなく「狭く、深く」になったのも他者との競合を避ける意味があると思う。更に、自身の内的世界で完結するものに楽しみを見出す。これは、読書やクイズ、辞書で慣用句やことわざの意味を調べたり、アイドルになりきって歌うとか。だいたい、脳内世界の容量は無限にあるし、色々想像して疑似体験をしてみたり、とにかく自分の好きなとおりに扱えるのだ。友達の機嫌を伺ったり、子供のワガママに付き合わされるよりずっと楽しかった。ひとりで過ごす気ままさを知ってしまった。

一般的に、INTJタイプに関する説明で幼少期のネガティブな側面が取り上げられることはあまり有りませんが、INTJ者の方々は、大なり小なりこうした多勢との軋轢を抱えそこから脱却するために、自身の能力や個性を際立たせてゆくという発達過程、生存戦略が、主機能Niを中心に無意識に用いられているのではないかと考えます。

■内的直観機能Niと外的思考機能Teは車の両輪である

INTJ者にとり、自身のオリジナリティ(INTJにとってはNiのこと)を担保し、展開させてゆくうえで、補助機能である外的思考、Teの力を伸ばすことはとても重要です。Teを伸ばすということは、様々な状況や事柄において、「悟る」「根拠づける」「決断する」「腹を括る」ということだと私は解釈しています。それにより、責任と引き換えではありますが、INTJ者個人の裁量度は上がり、日常でオリジナリティを駆使する自由を手に入れ、Ni由来の固有性を発揮できるようになると考えています。 

INTJ者にとって、NiとTeは車の両輪のような関係なのかもしれません。                                   

長文にお付き合いをいただき有難うございました。            

                                 


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