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人は「元気」でなくてもいいし、「人生」を楽しむ必要などないし、街には「活気」などなくてもいい、バニラエッセンス真理統一教会、

四月二八日

久々に目にした生の子供の世界とは、猿山の光景だった。
あやつらには、言っていいことと悪いこと、していいこととしてはならないことの区別がつかない。他人に悪態をついたり、他人のあげ足を取ったりする人間(歳とは関係なく)がそれをしなかったり、限界というものをわきまえていたりするのは、自分も傷ついた経験があるからだ。しかし、子供(しつこいようだが、年齢とは無関係)は、人生経験の乏しいバカ故にその楽しみや喜びをマキシムに追求しようとする。たまに「子供らしい子供を育てたい」などという人がいるが、そんな恐ろしいものを育てるのはやめていただきたい。わざわざヒトをサルに育成してどうするのだ。

ブレイディみかこ『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』(筑摩書房)

午前十一時二四分。緑茶、白かりんとう。午前九時半ごろに隣の年金爺さんのピンポン。千円貸す。女に会いに行くのに電車賃が足りない、とか言ってたけどたぶんそれは嘘で、タバコを買いたいだけだろう。こういう分かりやすい嘘に俺はわりと寛容だ。人は息をするように嘘をつく、ということを俺は知り過ぎている。嘘をつかないと人はまともな「社会生活」をおくれないだろう。世辞は別として、近況報告や「自己分析」の類も嘘だらけだ。欺瞞といったほうがいいか。どんな人間にも必ず「急所」がある。この「急所」は時間的に形成された自己愛の分厚い繭につつまれていて、それを破るのは並大抵のことじゃない。頭の不自由な人間(あるいは非内省的な人間)ともなれば自分に「急所」があるということにさえ無自覚である。その「急所」こそがその人をその人たらしめている、というのに。私は他人と話をしているとき、相手が「何を語っているか」よりも「何を語っていないか」のほうに着目してしまう。親兄弟のこと、学校のこと、職場のこと、宗教のこと、夫婦関係のこと、「コンプレックス」のこと、「黒歴史」のこと、経済事情のこと、人はどんな話題においても、「最後まで触れないこと」が必ずある。それが彼彼女の「急所」と関連している可能性は高い。この「ウェブ日記」において俺は「だいたい」本当のことを書いているつもりだが、たぶんそれは自己瞞着だろう。こんなほとんど誰も読んでいない文章で嘘をつく理由など本来は無いはずだが、それでも私の芯を構成する自己愛的防衛機制を出し抜くことは出来ない。パスカルが嘘について書いてたことをいま思い出したので引用する。

人々がしゃべっている事柄が、その人々となんの利害関係もないことであっても、だからといって、その人が嘘を言っていないと絶対的に結論することはできない。なぜなら、単に嘘を言う目的だけで、嘘を言う人もあるからである。

パスカル『パンセ』(田辺保・訳 角川書店)

どれほど「赤裸々」な自虐的言辞を弄しているときも、やはり私は心のどこかで「賢い自分」を誇示したがっている。「俺お前らのいろんな嘘とっくに見抜いてるからね」というポーズを取りたがっている。私が直球の自虐趣味を好まないのはそこで発動されている自己愛の「分かりやすさ」にウンザリしてしまうからだ。私はもっと複雑怪奇で掴みどころのない自己愛が好きなのだ。大半の人間の自己愛は単純すぎて分析する気をほとんど起こさせない。きのう午後四時半から野々市のブックオフとセカンドストリートに行ってきた。ぜんぶで四時間以上歩いた。きょうも歩きたい。本を少しも愛してない俗人どものひしめく図書館になど行きたくないから。ブックオフで買った本は、『短編復活』、レイ・ブラッドベリ『刺青の男』、長崎福三『魚食の民』、五木寛之『青春の門(筑豊篇)』の四冊。セールをしてたうえにブックオフ公式アプリの二〇〇円引きクーポンを作ったので四〇〇円くらいで買えた。大河教養小説『青春の門』(講談社)の筑豊篇は十八歳のころに読んだが、さいきん私刑の場面を読み返したくなったので、買った。

それは黒っぽくいぶされ、天井から逆さに吊されている裸の人間だった。ふんどしだけの裸で、両手首が背中の上にしばられている。ふんどしがほどけて、黒々とした陰毛がはみだして見えた。
その男は地面から二メートルほどの高さにつるされ、その下で何かが黒い煙をあげてくすぶっている。
そばに棒を持った男たちが三人いた。彼らはその棒で裸の男の尻を音をたてて叩いたり、水をかけたり、綱にねじれをくれて、男をぐるぐる回したりしていた。
天上から吊されている男は、鼻から血をふき、白い目をむいていた。太腿に傷があり、そこから網の目のように黒い血が体をつたって流れた。

さがり蜘蛛〔原文傍点→太字〕

団鬼六のSM小説ではない。こういう描写にマゾッ気の強い俺は興奮してしまう。当時「この男になりたい!!」と無邪気に思ったものだけど、やっぱ痛そうだし嫌だ。ブックオフには中年二人組の「せどら―」がいて傍若無人にバーコードをスキャンしまくっていた。見てはいけない何かを見た気がした。「白い目で見られることに慣れている」といった荒んだ風情。ずっと大きな声な「世間話」をしていたがそうでもしないとますます惨めな気持ちになるからだろう。この世には「こんなことをするくらいなら死んだほうがマシ」と思わせる「ビジネス」が多すぎる。どうしてこの子らの親はこの子らが一生食えるだけの財産を残さなかったのか。だいたい子供が小学生くらいになればその将来が明るいか暗いかなんて分かりそうなものじゃん。下層労働者になるか上層労働者になるかくらい分かりそうなものじゃん。「食うためにクソみたいなことをやらざるを得ない人間」をどうしたらゼロにできるのか。ちかごろはそのことばかり考えている。たぶん俺はあきらかに恵まれている。そのことに無自覚だと思われると嫌なのでいちおう書いておく。「良いご身分ですね」といったことを今まで何度言われてきたか。俺はそういう隣の芝がせんぶ青く見えてしまうような「奴隷」どものマイルドな敵意が大好物なんだ。きのう古着も買ったよ。こちらもセールしていたので長袖Tシャツなどを安く買えました。そろそろ昼飯食って歩こう。まいにち三時間以上歩いている人間はたぶん自殺しないと思う。断言してもいい。森下翔太が日に日に逞しくなっていく。抱かれたいわ。

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