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魂の内視鏡・虎落笛パラダイス・出火原因は俺の情熱

二月二二日

十二時起床。
紅茶、マカダミアナッツ、アーモンドなどかじりながらパソコン開く。十時半ごろには目が覚めるのだけど、やはりどうしても「あと五分」権を繰り返し行使してしまう。
「早飯早糞、芸のうち」などというけど、早書きもそこにいれていい。あいにく僕にはそれが欠けている。どうしても忸怩たる内省が避けられない。想念の赴くままにひたすら文章化できる<無神経さ>は持って生まれたものだ。

フェリックス・ガタリ『人はなぜ記号に従属するのか』を読んだ。「脱領土化」「機械状」「リトルネロ」「モル的・分子的」「リゾーム」といった異様特殊な用語群にもだんだん慣れてきて、なかには気に入ったものさえあるのだから不思議。どんな「秘教的な本」も「挫折」しないで読み進めているとじょじょに<暗順応>する。話を聞いている相手の顔が薄ぼんやりと見えて来る。息も合ってくる。しまいには抱擁を交わせるかもしれない。まあそんなことは世の筋金入りの読書家なら皆すでに経験で知っていることだろうけど。たとえば私にとってマルティン・ハイデガーなんてもう叔父さんみたいなものだから。厄介な思索に一日中かまけているマルティン叔父さん。北杜夫の小説ではないけど、誰にでも一人くらい身近にそういう「変わったおじさん」がいるだろう。読書家という人種はそんな「変わったおじさん」との付き合いを色んなところで色んなかたちで持っていて、だいたいほぼ毎日そのうちの誰かと顔を合わせ議論あるいは談笑などしている。そしてそんなことを繰り返しているうち最後には自分自身が「変わったおじさん」になってしまうのである。
あえて立ち止まってみれば、日常巷で人々が何気なく使っている「抽象概念」のほうがはるかに難解で、受容しにくい。「愛」とか「人権」とか。

私ははじめてガタリと会ったのは、シェリー・ロクニルとの共著『ミクロ政治学』(法政大学出版局)でだった。軍事政権が崩壊した一九八〇年代のブラジルに乗り込み、そこで闘争している人々の対話を重ねた記録。書斎に閉じこもらぬ<知識人>による華々しき哲学的実践の軌跡。「ルラとガタリの対話」というのがあったけど、このルラは今の大統領だろう。ちなみに彼の本名はルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルヴァ。八十年代に労働者党(PT)の結成に参与し、その党首にもなった。

「誤読」を自覚した上で、ガタリが言わんとしていたことを箇条書きでまとめたい。

・社会変革の動因はミクロ領域にこそある。
・お前を「何ものか」にさせたがる大小様々の鋳型的装置に警戒せよ。
・「公の制度」はいっけん「樹木状」に構成されて見える。
・「公の制度」が無意味な冗長性として無視するミクロ的欲望の「復権」。
・意味・記号の創発は「いまここ」で起きている。

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