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第83話 藤かんな東京日記⑦〜美乃すずめと進化の話〜


親にバレるバレないではない

 2024年1月31日19時、上野の韓国料理屋で社長と美乃すずめさんと食事をした。
 すずめさんに会うのは今年に入って初めてである。年末年始はどうして過ごした? 実家には帰った? などの近況報告から話は始まった。
「去年のかんなちゃんのニコ生に出た話を、お母さんにしたで」
 すずめさんは言った。昨年の12月、私が2ヶ月限定で開設したニコ生「藤かんなチャンネル」に出演した話を、母親にしたらしい。その時のニコ生のトークテーマが「家族へのAVバレ」だったとも(第73話参照)。
「かんなちゃんはまだ両親にバレてないって話してたやん。だからもしバレた時、親御さんはどんな反応するかなって話を、お母さんとしてん」
 私のことを話題に上げてくれてありがとう。「すずめママはなんと言いましたか?」と、固唾を飲んですずめさんの話を続きを待った。
「もうええ歳した大人なんやから、自分のことは自分で決めたらいいねん。両親なんて関係ないって言ってた」
 すずめさんに後光がさしているように見えた。私の正面に座ってる社長は「おお」と唸りながら頷いている。
「ただお母さんは私に『あんたがAV女優やってることを心から良いとは思ってないで』とも言ってきた」
 そう言って、少し寂しげに笑った。

 彼女は2年前に自分の写真集を持って、AV女優をしていることを母親に告げに行った。その時は「娘の裸は見れない」と写真集を見てもらえなかった。しかしその後、母親とは良い距離感の関係を作れているらしい。
「私とお母さんは仲が良くない時もあったけど、将来母が年取って、もし1人で生活できなくなったら、私は介護とかすると思うねん。だって、私を産んでくれた人やから」
 すずめさんはなぜそこまで母親のことを想えるのか聞いた。私にはまだ彼女の気持ちが理解しきれない。彼女は少し考えて言った。
「この仕事始めて、東京に住んで、孤独を知ったからかな・・・・・・。実は1年前まで、地元帰ろうとしててん」
「え!?」
 笑っているすずめさんを見つめた。
「でも、ある人の言葉でやめた」
 そして彼女はそのある人の話をした。

美乃すずめを支えた大切な言葉

 1年前、彼女はAV女優を続けていくことを少し悩んでいた。地元に帰り、徐々にAV業界から消えていこうかと考えていた。すでに地元の物件の内覧日も決めていたらしい。もちろんエイトマンの誰にも知らせずに。
 そんな時、エイトマン社長の尊敬する、某企業の社長と話す機会があった。名前を太田さん(仮名)という。
 太田さんはずっと東京の中心地に拠点を構えていたが、色々と心境の変化もあって、東京の郊外に拠点を移した。そこは穏やかで暮らしやすく、道を歩いている人たちもファミリー層や高齢者ばかり。一見平和な毎日を過ごせているように思えた。
 しかし穏やかな毎日を手に入れた一方で、徐々に自分の中から何かが消えていくのを感じた。ギラギラと働いていたこれまでの自分が、吸い取られていくように思えたらしい。

「太田さんが言ってん。『田舎に住むと、やっぱりメンタルもやる気も下がるよね。僕も都心から離れてちょっと落ちぶれたかも』って。それ聞いて私、ハッとしてん。神戸に帰るなんて思ってたらあかんわと思って、その日のうちに物件の内覧予定もキャンセルしてん」
 すずめさんは当時のことを振り返って言った。「あの言葉がなかったら、きっと今、美乃すずめはここにおらんかったわ」と。
 その話を聞いて、自分が東京への引っ越しを決意した時のことを思い出した。
 東京に住もうと決めて実際に引っ越すまでは、やはり悩んだ。土地勘もない、知り合いもいない東京で暮らすのは正直怖かった。
 一度は引っ越しをやめようかと考え、社長に相談しに行った。すると彼はこう言った。
「藤かんなは絶対東京に住んだ方がいい。これから活躍の場が増えてくる。増えてから東京に行っても遅いねん。東京に住んでるからチャンスを掴める機会が絶対出てくる。物事を成功させるためには、戦略と熱量と投資。東京へに住むのはその投資やねん」
 半ば叱咤されるようにケツを叩かれた。そういえば彼と初めて会った時も『怖い』と感じた。怖いと思ったものにこそ飛び込んだ方がいいのだ。
 そして東京に引っ越すことを決めた。

「まだAV女優で頑張ってみようと思った時に、藤かんなとつばさ舞が出てきてん。あなたたちが頑張ってるの見て、本当に嬉しかった。よっしゃ、私もやったるで! って勇気をもらった。ありがとう。これからもやるで!」
 すずめさんは言った。実際にそうやって言葉にされると照れくさい反面、とてつもなく嬉しかった。この人の軌跡を踏んで、さらに高みに行かなくてはならない。きっと私たちはそれを繰り返すことで、誰も想像もできなかった世界を見られるのだろう。

すずめの弟は遺伝子を残したい

「そういえば健ちゃん元気?」
 健ちゃんとはすずめさんの弟、健人くんのことである。昨年のエイトウーマン写真展ではスタッフとして働いてくれた。
「元気元気。まだ献血いってるで」
 すずめさんは少しいたずらっぽく笑った。
「あの話すごかったよなあ!」と話題は健人くんのことになった。

 半年前、この同じ韓国料理店で社長、すずめさん、健人くん、私の4人で食事をした。そこで健人くんの趣味を聞いた。
「僕、献血によく行くんです」
 献血に行く理由は人それぞれだと思う。世のため人のため、ジュースやカップラーメンがもらえるから、血を抜き取って循環をよくするため、などなど。健人くんは一体どんな理由で献血に行くのだろうか。
「僕の遺伝子を100%残すためです」
(えっ!)
 そこにいたみんなが健人くんを見つめた。彼は話を続ける。
「自分の子供ができても、その子には僕の遺伝子の50%しか受け継がれないですよね。でも輸血なら僕の遺伝子は100%誰かの中に入っていく。だから僕は臓器移植のドナー登録もしてるんです」
「ええっ!」
 社長と私は驚いて固まる。「そういう理由で献血行ってたん? むっちゃおもろいな」と、すずめさんは健人くんの隣で笑っている。
 彼はとても控えめで優しい人だ。生への執着、命のギラツキなんて見せたことがなかった。そんな彼が自分の遺伝子を100%残したいと考えているなんて。そして思うだけでなくちゃんと行動していた。誰が彼の心の内を想像できただろう。
「世界征服しかねへんな・・・・・・」
 社長は健人くんと見つめながら呟いた。
「ええやん、世界乗っとったろう」「遺伝子100%って本能の究極や」などと盛り上がりながら、その日の夜は終わった。

「やっぱり人間は進化するね」
 帰り道、社長は言った。
 彼はよく「年少者の方が年長者より優れてる」という話をする。人類は常に進化している。後に生まれた人間は先人の経験の上に新たな経験を積んでいくのだから、もっと新しい発想、創作、経験ができる。
「俺は自分の子供に、赤ちゃん言葉とか使ったことない」
 社長はそう言っていた。我が子の方が自分より優れていると心から思っているから、今でも接する時は対等らしい。
「よく、子供を『育ててやってる』と勘違いする親おるけど、実は親の方が子供に育ててもらってるねん。俺は自分の子供ができて、それをすごく思う」
 親になったことのない私には、まだこの気持ちがわからないが、いつか分かる時がくればいいと思う。
「いつか、健ちゃんの遺伝子100%の話を題材に小説を書こう思います」
「むっちゃ面白いと思うわ」
 そうしてそれぞれタクシーに乗って帰った。

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