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「2分の1成人式」への疑問は晴れたか?

小学校の教頭をしていた時、毎年2分の1成人式を4年生が実施しているのを見て驚いた。
これは、全国的に広がっていたらしい。

将来の夢と親への感謝の気持ちを作文にしたため、参観に来た保護者の前で子どもが読み上げる。
担任の気合の入れようもすごかったが、保護者の方も熱かった。

中学校現場しか知らなかった私は、このセレモニーにどんな意味があるのかよく分からなかった。

しかし、実際に見てみるとすごい雰囲気なのである。
子どもは読み終えた後、親のところに行って作文を手渡すと親が号泣するのである。
中には、そのまま教室の外に子どもを連れだして、長い時間抱きしめている母親もいた。

子どもの成長と、子どもからの感謝の言葉に感激しているのである。
初めて見た私は素直に感動した。

それから、何年かしてこのセレモニーに批判が集まっていることを知った。
何らかの理由で両親ともにいない子や、大切な行事であるにもかかわらず仕事でどうしても学校に来れない保護者もいるではないか、そういう子にとっては地獄のような時間になるというわけである。

確かにそうである。
親が来ない場合は、学級担任が親代わりをしたりといった配慮はしていたにしても、他の子と違う扱いをされることをどれだけその子は受け入れていただろうか。

中には、虐待されている子もいるかもしれない。
毎日家で暴言を浴びせられ、時には暴力を振るわれるような子が、親に感謝の気持ちを言葉にするのは、かなりつらいことだろう。

そうした理由で、最近はこのセレモニーを廃止する学校が増えたという。

もう一つ、新しい視点に出会った。
まったく違う視点からの、2分の1成人式に対する疑問である。
それは、今の子どもたちは社会や地域とのつながりが希薄になっている。
関わる大人は、親か教師くらいしかいない子もいるだろう。
大人が働いていいる姿を見る機会もほとんどない。

そういう実情を考えれば、子どもたちには将来の選択肢そのものが極端に少ないことも考えられる。
10歳で夢を語るには、持っている情報が少なすぎるのだ。
だから、まずは多くの大人と接する機会をつくりだすのがさきじゃないのか、という疑問である。

これを実践したのが、東京都板橋区立板橋第十小学校の「1000人の大人と出会う授業」(総合的な学習の時間)である。
さまざまな工夫を凝らして、1年をかけて多くの大人と出会う機会を創り出すこの取り組みによって、子どもたちは「~になりたい」という思いから、「~のような生き方がしたい」へと昇華したという。
(2024年03月21日「1000人の大人と出会った10歳たち㊤ 人生の選択肢を知る」教育新聞デジタル)

疑問を感じたとき、ただ批判するのではなく、新しい形に作り替えるこの取り組みに敬意を表したいと思う。

それにしても、最初にこのセレモニーを考えた人は、両親がいない子の気持ちをどう考えていたのだろう。
たまたまその時のクラスにそういう子がいなかったのだろうか。
思いもしなかったのだろうか。
それとも、わかっていて始めたのだろうか。
もしそうなら、この取り組みが全国に広がっていく様子をどんなふうに見ていたのだろうという新たな疑問が生まれる。

というわけで、未だ疑問は晴れないままである。


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