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節分と七五三〜行事に感じる真摯さ厳かさ〜

子どもを預けていた保育園は、こだわりや志しの強めのところで、節分の時期には、入り口の門扉に、鰯の頭と柊木の枝葉が飾られていた。
入る時には一瞬ひるむ気がした。それは、自分の心の中の鬼がドキッとしていたのだろうか。

子どもが小さい時は、行事も何かと頑張った。

七五三は大人都合で、息子は実年齢で、娘は数え年ですることにした。早くから予約した子どもメインの写真館へ張り切って行った。案の上か子どもはこちらの思うようにはさせてくれず、娘の方は着物を着ることを拒み、息子のみの写真で終わった。でも、参詣当日は、その予習が良かったのか娘も着物を着ることが出来た。

せっかく二人そろって着たのだから写真撮りたい…。子ども写真館では当日は無理だし…そうだ、近所に写真館あった。あの通り沿いで証明写真撮ってもらったことあるところ…さっそく電話すると当日OKだった。

駆けつけると、ささっと準備してくれて撮影。楽しいムード満載のところとは違って緊張もしたか、二人で映った写真はきょとんとした表情のものだったが、撮る前にさっと、うす紅をさしてくれたことや、息子一人の写真は、背中の着物の柄をみせるようなポーズできりっとして、そうだ、これは通過儀礼なんだと感じる瞬間だった。店主の、いかにも写真家という風情もそう思わせてくれたかもしれない。穏やかな物腰の中に矜持が感じられた。

 さて、再び節分の話。今朝のテレビでは、「豆まきばなれ」という話があがっていた。ぶつけることや怖い気持ちが残ることを懸念する意見も最近ではあるけど、邪気を払うという精神や因習はどこかで残ってほしいように思う。鬼の目にぶつけるのというのはあるけど、そもそも、豆「撒き」で、穀物をまくと幸せが訪れると考えられたことが由来のよう。絵本では心の中に、泣き虫オニや怒りんぼオニなどいろんなオニがいるお話があった。そんなことをちょっと思って向き合う機会でもあるといい。一日であっという間に過ぎる行事ではあるけど、保育園では準備期間も含めてたっぷり堪能させてくれる。

 節分の話題をテレビで見て、娘が保育園の時のことを話し出した。
「年長さんの時はオニをする方になって、自分で作ったお面をつけて、金棒持って行ったんだけど、(お面をとって)戻ったら、自分の金棒が落ちていて、『これ誰の?』って聞かれて、『〇〇の』って答えたんだよね。」それが心残りという話。
 私が「でも、そこでとっさに『オニじゃない?』という5歳児も怖いよね」と言うと、「年齢相応ってことかー」と笑っていた。

 さて、その娘は成人式は振袖も着ない、式にも行かないと言っている。そういうタイプの人だ。私も行ったという事実だけはあるけど、特別感慨深かったり楽しかったわけでもない。さて、どうしようか。大人の飲み物はびんやラベルがお洒落に見えるのか、よく美味しそうと言っている娘。ちょっと奮発して、ここまでがんばったねと、美味しい飲み物をたしなめると通過点になるかな。ただ、私が一緒に飲みたいだけか。

 明日は何に向かって豆を撒こうかな。

 そして、最近ぎりぎりになる雛人形
 今年はなるべく早く飾ろう


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