よし、ボートだ!第2話

初めての競艇は、いろいろ教えられながらよくわからないまま、勝った、いや勝たせてもらった。

しばらくは休みも合わず、開催も合わずで競艇場に行くことはなかった。

何度目かの誘いに休みが合った。

今度の場は、大都会の真ん中にある。メッカとも呼ばれるそこは、異様な熱気の中にあった。
「今日は大きい賞金が掛かったシリーズの準優だ。」

「明日の優勝戦に乗る6人が決まるんだ。分かるか?ほぼ全ての開催は6日間の闘いだが、最終日最終レースに選ばれ勝つためにみんな鎬を削っているわけだ。」
「今日の10レース以降の1着2着の6人がそれだ。」
この開催に召集されたレーサーはほぼA1、全選手の勝率上位20%足らずから60人ほど集められてきた。全員、やる気。
そんな中から4日間で積み上げたポイント上位18名がアドレナリン全開で挑む優出。それはシビレる、観る方も当てられる。
「違う。そんなことはどうでもいい。」

「俺達は勝ちに来たんじゃない。稼ぎにきたんだ。勝負どころは9レースまでだ。どうやっても優出できない連中が今日どんなレースをするのか、怪我せず帰りたいのか、もう一丁上積みしたいのか、明日も含めてどう〆て帰っていくのかを推理するんだ。」

マキオさんは怒ったようにそう言った。


データ、統計、天候、組合せ、性格・・
その全部を駆使して推理する、予想ではなく推理。今に至るまで僕の底にある考え方は、マキオさんからの受け売りだ。
推理の結果、稼げなければ買わない、当たり負けるようなら買わない、買目が絞れないなら買わない。
勝ちにきたのではない、稼ぎにきたのだ。

その日は結局3レースを単勝、複勝、単勝と買い、すべてモノにした。財布の中身は3倍以上に膨れた。僅かだが稼げた。

マキオさんはほぼトントンと言う成績だったと思う。いや、どうだったかな、「ちょっと無理した、筋が悪かった。」と言ってたのか「まずまず、だな」と言っていたのか・・
というのも、ほどなく僕は勤めていた店を辞め、マキオさんにくっついて博徒見習いに身を落としてしまったからだ。

ほぼ毎日、来る日も来る日もなんらかの博打を打つ。
マキオさんから命じられていたのは「打つ理由、稼げるという理由があること」だけ。偶然で勝ってはいけない、必然でなければ。
自ずとパチンコ・パチスロからは遠ざかり、麻雀は弱い相手を見極めて・・
日々、仕事として取り組んだ、この世界で生きていくんだと考えていた。

大学は留年した、当然だ。辞めようかと相談したが「金ならあるんだろう、なら払っておけ。お前がモノになるかはまだ判らん。」と諭された。

マキオさんは惜しみなく手の内を明かしてくれた。知っていることはなんでも教えてくれた。
氷の世界をたった二人で、いやもしかしたらマキオさん一人で生き抜いていた。
いったいどこを目指していたのだろう・・

理由がある、という点で競艇に勝る博打はない。選手生命が長い、各場には特徴がある、番組には意図がある・・
選手同士には貸し借りがある、喰い合わせもある、がそれが過剰でもない・・
八百長の可能性まで考えてしまうマキオさんは、どんな生き方でなにと戦っていたのか、時々怖くなった。

マキオさんの勝率は7割を超えていたと思う。僕でさえ、ずいぶん贅沢な暮らしをさせて貰った。当時流行のデザイナーズブランドのスーツやシャツを着て、夜の街に繰り出し、女の子の友だちもあちこちに増えた。
マキオさんが選ぶとどうしても玄人っぽくなるので、衣装については僕がコーディネートしていた。
関東や九州の場へも遠征したが、半分は物見遊山、稼ぎに行ったわけではなく羽根を伸ばした記憶しかない。温泉や繁華街に行くついでに、場も覗いてみたという感じだった。
二人ともやはり若かった。楽しくてしょうがなかった。



だが、別れは突然やってくる・・



(続く)





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