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素人の考古学ー千葉県木更津市の金鈴塚古墳見学

概要:
木更津駅近辺では6世紀代に多くの古墳が作られたが、その多くは明治時代からの街の発展とともに消えていき、わずか3基が墳丘の一部を残すだけとなった。
上総国の長須賀古墳群に属し、この地方は馬来田国造(まくたこくぞう)が治めていた。
そのうちの1基より小さな金色の鈴5個が出土し、「木更津市郷土博物館金のすず」に展示されている。今回この金のすずを目的に博物館→稲荷森古墳→金鈴塚古墳と回る事とした。
 
1. 木更津市郷土博物館金のすず
千葉県立上総博物館に金鈴塚遺物保存館を併合し平成20年10月に開館。木更津市周辺の出土品や生活用品・民俗資料などを旧石器時代から近代までを各時代ごとに展示している。国指定の重要文化財として「千葉県金鈴塚古墳出土品」があり「金のすず」もこれに含まれる。他に国指定の重要有形民俗文化財として「上総掘りの用具」258点が展示されている。他に千葉県指定文化財や木更津市指定文化財等多数あり。
 金のすずは金鈴塚古墳より出土したもので、高さ1センチ、径9mm、重さ1.25グラムの純金製の小さな鈴5個。古代の輝きを今に伝えるとともに小さな音色も聞こえるとのこと。
この地は、ヤマトタケル尊が東北征伐の際に上陸した地だと伝えられ、亡き妻の弟橘姫を祀る神社が有る。


金鈴塚古墳出土品(右下の箱に金のすず5個が入っている)




2. 稲荷森古墳
  墳長80mの前方後円墳。6世紀後半から7世紀初頭に築造。約500m北に金鈴塚古墳があり、鈴・鏡・刀・土器など出土。
木更津2丁目の稲荷森神社に古墳のごく一部(前方部の一部)が残っているのみで、周囲がコンクリートで固められ上に神社が祭られている。昔の地積図から推定すると100m以上の古墳だったらしいが、今はほとんどが住宅や公園になっている。隣の公民館の人に聞いても古墳だという認識のある人は一人も居なかった。

稲荷森古墳残存部
後円部あたりから前方部を見た

     
3.金鈴塚古墳
 金鈴塚古墳は6世紀後半の築造で全長95mの前方後円墳だが現在は住宅地の中に後円部の一部が残る。主体部は横穴式石室で、箱形石棺が設置されている。三段築成で二重の周溝を持つ。
格子戸ごしに良く見え、入口近くに石棺があるが、現在は台風後の補修が出来ず、古墳全体が立ち入り禁止になっていて道路から石室の格子戸が見えるだけだった。ここから「金のすず」が出土したが、他に銅鏡や多数の須恵器や金、銀、錦、瑠璃で飾られたまばゆいばかりの品々が出土した。
これら豪華な副葬品から、この古墳は上毛野やさきたま古墳とも文化的に関係を持った地方豪族の墓(馬来田国造の墓か)であり、大和政権とも強い結びつきがあったことがうかがえる。


赤丸部分が残っている部分 
石室の入口


横穴式石室、箱形石棺

                     以上
                     小兵衛

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