無償の愛

今日は、無償の愛についてしゃべりたいと思います。皆さんは無償の愛と聞いて、何を考えますか?親から受けるモノ、神様から受けるモノ、赤の他人から受けるモノ、このようなモノを無償の愛と皆さんは考えるのではないでしょうか?

私自身は、母親からの愛情を無償の愛だと感じます。生まれた時からそばにいてくれた。私がどんな存在で、今どんなあり方をしていようとも、全てを受け入れてくれる。つまり、「○○ができるから愛してるじゃなくて、あなたから愛してる」こんな親の在り方が理想ではないかと私は思うのです。

しかし、何もしないままでは、やはりいけません。できることを増やさなくては、大人にはなれない。「できる」を増やすことも重視しないと。

「ある」「できる」

一昔前の家庭を見てみましょう。家父長制の家族観です。
子供の世話や家事は全て母親がする。すると必然的に、子供は母親が好きになる。近くにいてくれて、安心する。一方で父親はどうか?家の大黒柱として外で仕事をし、威厳を持った態度で子に接する。子(男の子)にとっては超えられない壁、目標、あるいは邪魔な存在に見えるかもしれない。ここで見られるのは、母親が子を「ある」ことで愛を与え、父親は子を「できる」ことで愛を与える。この構図はステレオタイプなモノであり、母親が「できる」、父親が「ある」を担うこともあるでしょう。私の場合、父親は寡黙な人で、私の人生にほとんど干渉しない人でした。なので今でも、父が私をどう思っているのかはよくわかりません。一方で母は、「できる」も「ある」も両方を担っていたと思います。時に厳しく、時にやさしく受け止めてくれる。

もちろん、正解の家族観はありません。無理に作為を加える必要もないと思います。しかし「ある」「できる」の構図を発見し、分析するのは面白いですし、これから、子供を育てる人にとっても重要な考えだと思います。

皆さまの両親はあなたを存在で愛してくれますか?それとも、何かできることで愛してくれますか?よかったらコメントください。

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