ホラティウス

「人生は人間に、大いなる苦しみなしには、何も与えぬ」『風刺詩』より。「なんで人生ってこ…

ホラティウス

「人生は人間に、大いなる苦しみなしには、何も与えぬ」『風刺詩』より。「なんで人生ってこんなにしんどいんだろ」なんて日々考えながら、徒然なるままに生きてます。洋楽の意訳、ふと思い浮かんだ詩や文章をだらだらと書こうと思います。

最近の記事

無償の愛

今日は、無償の愛についてしゃべりたいと思います。皆さんは無償の愛と聞いて、何を考えますか?親から受けるモノ、神様から受けるモノ、赤の他人から受けるモノ、このようなモノを無償の愛と皆さんは考えるのではないでしょうか? 私自身は、母親からの愛情を無償の愛だと感じます。生まれた時からそばにいてくれた。私がどんな存在で、今どんなあり方をしていようとも、全てを受け入れてくれる。つまり、「○○ができるから愛してるじゃなくて、あなただから愛してる」こんな親の在り方が理想ではないかと私は思

    • タラレバ話が嫌い。

      私はタラレバ話が嫌いです。タラレバ話とは、読んで字のごとく「もし~たら、こうやったのに」とかのことです。大抵はできもしなかったであろうことについて言うときに、使われます。 なぜ、「タラレバ話」は私をこんなにもイラつかせるのでしょうか? 直観的な理由としては、その話が全くの不毛な話で、時間の無駄だと思われるからです。「起きたかもしれないこと」を起きなかった現在で話す。これは可能性の話なんて高尚な代物ではありません。それ以下のモノです。心の内で思うことでさえ、恥ずかしいと思わ

      • 1=0 2から始まる

        一ではダメだ。 ひとつしかないのは何もないのと同じなのだ。 静かな部屋で1人佇んでいるときそれは存在しないも一緒。 知識だってそうだ。 ひとつしか知らない、一つの文化しか知らないのならそれは何も知らないのと同じだ。 比較して初めてそれを知る。つまり、この世は2から始まるのだ。

        • "let it go"の訳

          私が好きな曲の一つにlinkin parkの「iridescent」という曲がある。トランスフォーマー3でよく知られていると思う。私はあの悲しく、絶望した感じがとても好きで、辛いことがあった時や、何か我慢できない時によく聞く。 私自身の解釈では、曲は二つの部分に分かれていると考えている。歌詞は同じものを繰り返しているのだが、前半部と後半部では違った意味に聞こえてならない。前半は暗く、荒廃した世界で1人絶望しているイメージを抱く感じなのだ。 しかし、後半部ではサビに向かって

          宇宙即変化。世界即主観

          どうしようもなく漠然と不安を感じたり、ストレスをため込んでしまう人のなんと多いことか。そんな時は、世界は全て主観であり、すぐに変化していくのを思い出すんだ。そして、どうか暴れてくれ、外向的とか内向的とかそんなもん知らん。心の中でもいいから暴れてしまえ。周りを傷つけろ。人生に反抗するのだ。そしたら、私が教えたことに対して引っかかりや気づきが生まれるはずだ。すなわち、世界は本当に主観なのか、変化など起きているのかと。

          宇宙即変化。世界即主観

          共同体から外れた異邦人は、いずれ同胞となり、また共同体になる。

          共同体から外れた異邦人は、いずれ同胞となり、また共同体になる。

          責任

          自分に対する責任という言葉に敏感な人がいる。彼ら曰く自分は望んでこの世に存在しているわけではないそうだ。両親が勝手に愛し合い、この残酷な社会に無責任にも産み落とされてしまった被害者であると彼らは言うのである。なら、裁判で両親を訴えたらどうだと思う。今の法律にはそのようなものを扱うものはない。せいぜい、養育費に関することとかである。そうか、子供の教育費、その他もろもろのお金は、両親に課された罰金なのか。(つくづく、言葉や比喩は素晴らしいものである。そして厄介だ。)子は親を敬い、

          豊かなれば

          私は飢餓を経験したことがない。戦争も不治の病も経験したことがない。これは幸いなことであろうか?現代の多くの人は表面上では、幸いなこと、素晴らしいこととしてくれるが、内心では、あたりまえだろと考えているのではないだろうか。  そんな時代に生きる私は、一体何を成すのだろうか。何に不満を抱いているのだろうか。いつの時代にも、今日というかけがえのない日を全力で生きることは、多くの哲学者や偉人がこぞって奨励してきたことである。もちろん大切なことではあるが、事なかれ主義、時間殺しの我々に