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7世紀~11世紀 国津神・天津神の兵団 大伴・伴(富永)氏の系譜と家臣団

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 「初代 征夷大将軍」大伴ノ弟麻呂卿 肖像のつもり
「隠さはぬ 赤き心を 皇方に 極め尽して 仕え来る
 祖の官と言立てて 授け給へる 子孫の清き名ぞ 
凡かに 心思ひて 虚言も 祖の名 断つな
 大伴の氏の名に負へる 丈夫の伴」
 大伴家=高皇産霊神(高木神)の末裔、神武を迎え入れた大伴ノ道臣の子孫。官職は「連(むらじ)」。大王家譜代豪族。近衛軍大将家。
818年「殿門改号」による門号氏族誕生。
 大伴門(おおとももん)→応天門 →大伴氏守護門
 佐伯門(さえきもん)→藻壁門(そえきもん) →大伴氏一門、佐伯氏守護門

⇔大伴ノ咋子 (*)くいこ・噛。阿被布古の息。587年蘇我馬子に協力し物部守屋を討伐。591年任那復興軍。608年隋使接待。610年新羅使接待。娘婿に中臣御食子。息に長徳(馬飼)、馬来田(望陀)、吹負(男吹負)。外孫に藤原鎌足。


【大伴ノ智仙娘】 (*)大伴夫人。中臣御食子の室。息に(中臣)藤原鎌足。

<隠岐国・上野国・伊豆国・駿河国・遠江国>


⇔大伴ノ馬来田 (*~683)まぐた・大納言・望多。咋子の息。長徳の弟。大海人皇子に出仕。菟田吉城にて参陣。672年「壬申の乱」に軍功。息に道足。

▽大伴ノ道足 (*~741)宿禰・隠岐守・参議。馬来田の息。息に伯麻呂。娘婿に藤原ノ鳥養。外孫に藤原ノ小黒麻呂。
▽▽大伴ノ伯麻呂 (718~782)宿禰・上野守・伊豆守・駿河守・遠江守。道足の息。息に弥嗣、名鳥。


<大和国・常陸国・遠江国・越前国>


⇔大伴ノ吹負 (*~683)ふけい・連・「大和将軍」・常陸守・男吹負。咋子の息。長徳の弟。大海人皇子に従う。大和にあって反乱を主導。672年「壬申の乱」に軍功。息に祖父麻呂、牛養。甥に藤原鎌足。


▽大伴ノ牛養 (*~749)参議・遠江守・中納言。大伴吹負の息。藤原仲麻呂とともに平城京の留守守司。<藤原ノ鳥養と対となる名でしょうか。>
▽大伴ノ祖父麻呂 (*)越前守。大伴吹負の息。息に古慈斐。

⇔▽▽大伴ノ古慈斐 (695~777)こじび・こしび・宿禰・土佐守・大和守。藤原ノ不比等の娘婿。「橘ノ奈良麻呂事件」に連座し配流。のち赦免され大和守。756年朝廷誹謗により禁固。息に益立、弟麻呂。

⇒780年陸奥守任官。大伴家で2番目。
大伴ノ益立 (*)(藤原)・兵部大輔・征東副使・陸奥守。760年鎮守軍監として陸奥国の雄勝城、桃生柵に赴任。762年陸奥介。伊治城に入る。770年肥後守。780年「伊治公砦麻呂の乱」勃発。征東副使・陸奥守に任官。後任の藤原小黒麻呂により功を奪われ失脚。大伴古慈斐の息。母は藤原不比等の娘。弟に弟麻呂。息に野継。
   
 <渟代→野代、能代と記されますが、四道将軍の武渟川別が、武沼川別と表記されるので、沼代(ヌシロ)と読むべきなのではないかと思い沼代と表記しました。又、沼代営とされますが、宿営や本営という言葉が発生して、営と呼ばれるようになったのかと考え、従来通りの柵にしています。>

↓▽ 大伴ノ弟麻呂↓

⇔大伴ノ長徳 (*~651)馬飼・右大臣。咋子の息。弟に馬来田、吹負。649年右大臣。息に守屋(杜屋)、御行、安麻呂。<藤原ノ鳥養と対となる名でしょうか。><子孫はのちに鶴岡八幡宮の社家となります。>


<近江国(巨勢)・河内国(蘇我石川)>

⇔大伴ノ安麻呂 (*~714)佐保大納言・大伴卿。長徳の息。兄弟に御行。室に巨勢比等の娘(巨勢郎女)、(蘇我ノ)石川内命婦。672年「壬申の乱」に軍功。684年宿禰。705年大納言。息に旅人、田主、宿奈麻呂、稲公。<巨勢比等は672年「壬申の乱」に近江大津軍の将。>


<筑紫国・薩摩守・因幡国・大和国・伊勢国・越中国・上総国>


⇔大伴ノ旅人 (665~731)(巨勢)・宿禰・太宰帥・大伴卿。安麻呂の息。母は巨勢氏。724年聖武天皇即位、太宰帥任官。729年「長屋王事件」に連座し左遷。大宰府行。730年多治比池守の後、大納言。息に家持、書持。娘婿に藤原ノ継縄。孫に永主。<多治比氏は一時、古代朝廷権力の中枢にいたのでは・・。>


大伴ノ稲公 (*)宿禰・因幡守・上総守(介)・大和守・稲君・いなきみ。安麻呂の息。宿奈麻呂の娘婿。義兄弟に家持、駿河麻呂。「橘ノ奈良麻呂の乱」を鎮圧。758年大和守。息に千里、千室。<橘氏に従わず、藤原氏を支持した大伴氏。>

⇒782年陸奥守任官。大伴家で3番目。


⇔▽大伴ノ家持 (718~785)佐保大伴・越中守・因幡守・薩摩守・太宰大弐・上総守・伊勢守・陸奥守・鎮守将軍(鎮守府将軍)・中納言。旅人の息。室は大伴宿奈麻呂の娘。義兄弟に駿河麻呂、稲公。安積親王の内舎人。763年「藤原ノ仲麻呂(恵美押勝)暗殺事件」に連座し藤原良継、石上宅嗣、佐伯今毛人と謀反の罪で捕縛され左遷。778年赦免され参議。782年「氷上川継の乱」に連座し、坂上苅田麻呂等と左遷。陸奥按察使鎮守将軍。任地にて死去。息に永主。息に永主。

▽▽大伴ノ永主 (*)宿禰・右京亮。家持の息。継人の藤原ノ種継暗殺事件に連座し配流。息に伴ノ春宗(陸奥介)、春世。養子に春雄。娘婿に藤原ノ豊彦。外孫に藤原ノ冬緒。

<備前国> 橘氏を支持した大伴氏。


大伴ノ宿奈麻呂 (*)宿禰・右大弁。安麻呂の息。室に大伴坂上郎女。備前守、安芸・周防按察使。娘婿に大伴ノ家持、大伴ノ駿河麻呂、大伴ノ稲公。
⇔▽大伴ノ古麻呂 (*~757)宿禰・左大弁・鎮守将軍(鎮守府将軍)。御行の息(長徳の息とも)。宿奈麻呂の息(養子か?)。兄弟に兄麻呂。中国に2度渡航し鑑真和人を連れ帰る。「橘ノ奈良麻呂事件」に連座し、藤原ノ仲麻呂の拷問を受け死去。息に竹良、継人。<罪により系図操作されるか。誰が実父か不明です。>


▽大伴ノ継人 (*~785)古麻呂の息。777年遣唐使。779年能登守、伯耆守、近江介。長岡京遷都に反対。785年藤原ノ種継暗殺事件を起こす。同族の竹良が謀反の首謀者の為、処刑される。息に国道。<罪により系図操作されるか。>


<佐渡国・陸奥国・隠岐国>


伴ノ国道 (768~828)宿禰・陸奥按察使。継人の息。継人の「藤原ノ種継暗殺事件」に連座し佐渡配流。803年赦免され帰京。823年淳和天皇(大伴親王)の名を避け伴氏となる。828年陸奥按察使。息に善男。


伴ノ善男 (811~868)参議・大納言・宿禰。国道の息。清和天皇に出仕。864年大納言。866年源ノ信と対立。866年藤原ノ良房の陰謀により「応天門の変」に、紀氏族とともに失脚。息に中庸、(甲賀)善平、(三河)員助。


伴ノ中庸 (*)善男の息。866年応天門に放火した主犯とされる。隠岐に配流。息に春雄、仲兼、元孫。<春雄の子孫が鶴岡八幡宮の社家。坂東以東の鎮守の神として大伴氏の子孫が配置されるのは歴史的経緯からも尤もな事と言えます。頼朝の狙いも、滝川一益を向けた信長の狙いも、道理のことと考えられます。>

<近江朝・大友皇子(弘文天皇)の子孫> 天智天皇の子孫。


葛野王 (*~706)(大友葛野)。大友皇子の嫡子。母は十市皇女(天武帝の娘)。息に池辺王、藤並王、田辺王。孫に淡海三船。


大友与多麻呂 (*)大友皇子(伊賀皇子)の息。兄弟に葛野王。父の菩提を弔う為に園城寺創建。祖父は天智天皇。<大伴氏の下で養育されるか。>


大友夜須麿 (*~738)大友・村主・夜須良麿。近江の豪族。志賀郡大領。


大友黒主 (*)大友・三井寺別当。大伴ノ列の息。近江の豪族。志賀郡大領。<神職ではなく、仏門に入った大伴氏もいると・・。>

「恵美押勝の乱」鎮圧・謎の大将軍・伴ノ涼太
中臣恵美=藤原ノ仲麻呂


⇔淡海三船 (722~785)(大友)・真人・御船王・刑部卿。大友皇子の曾孫。池辺王の息。764年「恵美押勝の乱」鎮圧に軍功。近江介。765年大伴古慈悲とともに朝廷批判で捕縛される。766年東山道巡察使。尾張介・山陰道巡察使・駿河守・美作守。太宰少弐・因幡守。


   

<三河国>

⇔大伴ノ御行 (*~701)宿禰・大納言。長徳の息。兄弟に安麻呂。672年「壬申の乱」に軍功。675年「大伴氏の長者」。684年宿禰。696年大納言。息に古麻呂(宿奈麻呂の養子となるか)、兄麻呂、三依。<大伴氏の嫡流は、三河に本拠を据えるか。>

▽大伴ノ兄麻呂 (*)御行の息。兄弟に古麻呂、三依。息に駿河麻呂、潔足。甥に継人。


▽大伴ノ三依 (*~774)三河守。御行の息。兄弟に兄麻呂、古麻呂。757年三河守。甥に継人、駿河麻呂、潔足。

⇒773年陸奥守任官・大伴家で初代。


<越前国・陸奥国>

⇔大伴ノ駿河麻呂 (*~776)宿禰・越前守・陸奥鎮守府将軍。兄麻呂の息。坂上家次の娘婿。大伴宿奈麻呂の娘婿。義兄弟に家持、稲公。746年「橘奈良麻呂の乱」に連座し失脚。773年陸奥守に任官。774年蝦夷と抗戦。775年参議。<「万葉集」に大伴坂上郎女との相聞歌を遺す。>

≪個人的感想≫ 大伴氏の「長者」嫡流が、三河・越前・陸奥に在地化したと考えれば、
 三河大伴⇒伴氏⇒冨永氏
 越前大伴⇒・・・木瓜使用の武家
 陸奥大伴⇒・・・源氏(将軍・頼義、義家)に従う大伴という流れでしょうか。

   
810年~866年にかけて急激に中央政界で勢力を削がれ、藤原氏にとって代わられる。

伴ノ弥嗣 (761~823)大伴ノ矢継・いやつぐ・越後守・太宰少弐・中務少輔・大蔵少輔。伯麻呂の息。<伝承では武威に秀でた人物ということです。>


大伴ノ名鳥 (*)伯麻呂の息。息に真臣。<名取熊野の由緒ありか?>

▽伴ノ真臣 (794~832)まおみ・直臣・右兵衛督。淳和天皇に出仕。息に健岑。娘婿に藤原ノ常嗣。


▽▽伴ノ健岑 (*~*865)こわみね・大伴ノ健岑。真臣の息。恒良親王の春宮帯刀舎人。842年「承和の変」に謀反の首謀者として捕縛される。隠岐に流罪。

   

<常陸国>


⇔大伴ノ弟麻呂 (727*731~809)(藤原)・常陸介・征東副将軍・征夷大将軍・乙麻呂。古慈斐の息。母は藤原不比等の娘。不比等の外孫。784年征東副将軍。790年征東大使。794年征夷大将軍(初代)。坂上田村麻呂とともに奥州遠征。息に勝雄。


<陸奥国・讃岐国・土佐国・因幡守・但馬国・大和国・紀伊国・日向国>


伴ノ勝雄 (777~832)(藤原)右兵衛督・陸奥守・按察使・讃岐権守。弟麻呂の息。不比等の外曾孫。淳和天皇に出仕。息(養子?)に須賀男。<文才よりも軍の統率者として秀でていたそうです。>


▽伴ノ須賀雄 (*)備後権掾・因幡権守・土佐権守・紀伊介・縫殿頭・大和介・但馬守・主殿頭。勝雄の息。もしくは伴ノ和武多麻呂の息。838年遣唐使使節一員。文徳天皇に出仕。<囲碁の名手。仁明天皇の御前で伴ノ雄堅魚と対局し、1勝4敗。>

伴ノ和武多麻呂 (*)日向守。息に春雄とも。

<讃岐国・土佐国・因幡守・但馬国・美濃国・大和国・紀伊国・伊勢国・若狭国・近江国・播磨国・備後国・肥前国>

伴ノ春雄 (*)紀伊介・紀伊守・播磨守。中庸の息。善男の孫。兄弟に元孫。一族の永主の養子。義兄弟に春宗、春世。陽成天皇に出仕。息に保平、忠行、保在。<雄の一字から須賀雄の息か。><子孫はのちに鶴岡八幡宮社家。>


▽伴ノ保平 (867~954)宿禰・朝臣・参議・肥前守・若狭守・紀伊守・伊勢守・大和守・近江守・播磨守・大和権守。春雄の息。兄弟に忠行、保在。醍醐天皇に出仕。朱雀天皇に出仕。939年参議。息に仲舒、彦貞。


▽▽伴ノ彦貞 (*)近江守・播磨守・美濃守・讃岐介。保平の息。息に忠陳。

伴ノ保在 (*)大伴・保右。春雄の息。清廉の跡職を継承。息に仲信、仲盛。


伴ノ仲盛 (*)保在の息。息に盛武。


伴ノ盛武 (*)仲盛の息。甥に佐親。

   

<周防国・下野国・能登国>


伴ノ河男 (*)下野守・周防守・下野介・鋳銭長官。国道の息。866年「応天門の変」に兄・善男に連座し能登国へ配流。


(相模伴氏)


伴ノ仲信 (*)大伴。保右の息。清廉の跡職を継承。兄弟に仲盛。息に為国。


伴ノ為国 (*)大伴・(為匡)。仲信の息。従兄弟に盛武。息に佐親。


伴ノ佐親 (*)大伴・(資近)。為国の息。息に定長、定通。<定通から分流、鎌倉の伴氏。子孫は鎌倉鶴岡八幡宮社家。>


伴ノ定長 (*)大伴・(貞永)。息に広貞、定俊。


伴ノ広定 (*)大伴・(寛貞)。息に広親、広信。

<鶴岡八幡宮社家> 春雄→忠行→右職→清廉→保右→(略)
→定通→通方→正方→守方→忠国。


伴ノ通方 (*)大伴・(道形)定通の息。兄に実義。息に正方、清方、信報、貞方。


伴ノ正方 (*)大伴・(昌形)。通方の息。息に守方。


伴ノ守方 (*)大伴・(盛形)。正方の息。息に忠国、信守、忠茂、守康、信国。


伴ノ忠国 (*)大伴・(忠邦・忠匡)主殿大夫。鶴岡八幡宮若宮社家。守方の息。兄弟に信守、忠茂、守康、信国。

  

<坂東大伴大夫家>


伴ノ定通 (*)大伴・(貞道)。息に実義、通方。


伴ノ実義 (*)大伴・(実良)。定通の息。弟に通方。息に知実、実盛。


伴ノ知実 (*)大伴・大夫・(友真)。弟に実盛。息に正信、知宗、(中原)成俊、為信。


伴ノ正信 (*)大伴・大夫・(昌信)。従兄弟に俊盛。息に正弘。甥に(中原)俊宗、俊重。

<坂東源ノ頼義軍、義家軍> 武門の先矢(はなや)・先槍(はなやり)の家、冨永・富永家の成立


⇔大伴ノ員季 (*)冨永員季・(富永・設楽)・(数季・一季)。源ノ頼義に出仕。坂東の郎党、1062年五軍(頼義馬廻を固めた第五陣)の将。清原氏の加勢により逆襲に転じた源氏軍の先手の将。安倍宗任の小松柵を攻略する。<三河の伴氏の関係か。伴ノ資高と関連ありか。><惣追捕使の伴氏と、尾張目代の藤原季兼とのかかわりが気になります。両家の婚姻で同族化するか。>


⇔伴ノ助兼 (*)大伴・冨永資兼・(設楽・富永)・次郎傔仗・大夫・資兼。三河半国総追捕使・伴ノ助高の息。三河の豪族。源ノ義家に出仕。義家の側近。弓の達人。「後三年の役(1083)」に活躍する。清原武衡軍と戦う。<三河国足利荘と係わる家系。頼義の郎党・大伴員季の一族か。>

<奥州平泉藤原氏の家臣> 陸奥に在地の大伴氏


伴 * (*)大伴・伴ノ・藤八。藤原泰衡の家臣。奥州(奥六郡)一の怪力で勇名。


その他の軍事氏族。犬養、毛野、葛城


<靭負(ゆきえ)> 宮城門守衛818年「唐風」門号

「連(むらじ)」
若犬養門「わかいぬもん」
「若犬養連」 稚犬養氏
→皇嘉門「こうかもん」


海犬養門「あまいぬかいもん」
「海犬養連」犬養氏
→安嘉門「あんかもん」


≪個人的感想≫ 県犬養氏、安曇犬養氏を含めて、4伴造氏。
朝廷管轄地を「県(あがた)」と称する。宮門、屯倉の守衛に当たる。


<京の守り>
玉手門「たまても」
「壬生」 壬生氏
→談天門「だってもん」

壬生門「みぶもん」
「壬生」壬生氏
→美福門「みぶもん」
≪個人的感想≫ 毛野氏族。下野邦壬生・鹿沼を拠点とする。のち小槻氏。

<京の守り>
伊福部門「いふきべもん」
「伊福部」氏
→殷富門「いふもん」
≪個人的感想≫

猪使門「いかいもん 」
「猪養」氏
→偉鑒門「いかんもん」
≪個人的感想≫

丹治比門「たじひもん」
「丹治比連」・丹比氏 火明命の後裔
→達智門「たっちいもん」
≪個人的感想≫

山部門「やまべもん」
「山部」氏
→陽明門「やんめもん」
≪個人的感想≫

健部門「たけるべもん」
「建部」氏
→待賢門「たけもん 」
≪個人的感想≫ 戦国時代の近江国六角氏家臣団に建部氏あり。

的門「いくはもん 」
「的」氏
→郁芳門「いくふもん」
≪個人的感想≫ 葛城氏の支流、戸田氏の別称。

新勢力(兵家・つわもののいえ)の台頭
藤原北家・摂関家の家臣団と軍団


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