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織田軍その10 南畿内方面軍 北畠信雄の家臣団と軍団

織田信雄(北畠具豊)の家臣団と軍団のページです。
織田家 南畿(東)方面軍 南畿二大軍団のひとつ北畠軍大将。
 伊賀攻略「信長様御名代」

北畠<織田>信雄(南伊勢・伊賀国41万石)

「 伊賀国、三介(信雄)殿に仰せつけられる。 」 

南畿(東)方面軍。 織田一門初の方面軍軍団長、北畠信雄。
 南伊勢が南北朝以来、北畠家の影響力の及ぶ範囲です。
南下することに専念できる軍団です。紀州熊野、大和高野山、
手強い宗教勢力を南紀(西)方面軍と挟み撃ちすることが主任務だった。

北畠信雄(織田信雄)の家臣団 南伊勢衆旗頭

1574年神戸信孝とともに大嶋親祟を攻撃。1576年高野攻めに敗退。1579年伊賀乱入に敗北。1581年伊賀平定。

織田信雄 (1558~1630)北畠具豊・茶筅・三介。織田信長の息。母は生駒氏。1569年南伊勢の豪族、北畠具房に養子に出される。1571年北畠具教の娘(四女)と婚姻。1581年伊賀国を攻略する。<信雄と信孝が争わずに共闘していたら、織田家の天下は続いていたのでは・・・。>

<信雄の一門(連枝衆)>

 母・吉乃の縁か、生駒屋敷に集う面々で構成されています。
 伊勢湾経済圏
(安濃津湊)
⇔○津田一安 (*~1576)織田・掃部助・(信正)・忠寛。織田一門。楽田城主、筑後守寛真の息。北畠信雄の家老。信長に勘当され11年間甲斐に暮らす。のち織田家に帰参。1568年頃に伊勢安濃津城主。1569年に北畠氏を攻略し、北畠信雄の後見人として大河内城主。1569年武田家への使者。1569年南伊勢一揆を当主・北畠具房の出陣で鎮圧。1573年伊勢大湊奉行。1575年越前一向一揆征伐に従軍。のち私腹を肥やしたため、信雄成長するに及び日置大膳に命じ田丸城において誅殺される。養子に北畠一門の子弟。<1549年の父の謀反で放浪し、武田を頼るか。帰参してからは出世街道。>

⇔▽稲生* (*~1569*1570)勘解由左衛門尉。津田一安の与力。1570年本田氏の船江城を攻撃するが戦死。<「曽原の合戦」で戦死か?。>

(大野湊)
⇔○佐治信方 (1553~1574)(織田)・八郎・為興。佐治為景の息。織田信長の妹(お犬)婿。尾張国大野城主。伊勢湾水軍衆。織田信忠与力。北畠信雄一門衆。1574年伊勢長島に従軍し戦死。息に一成、中川秀休。22歳。<死去年は1571年の長島攻めとも。喪を隠す必要があったのでしょうか。>

⇔▽佐治一成 (1569~1634)(織田)・与九郎・興九郎・臣蔵。尾張国大野城主。伊勢湾水軍衆。信方の息。前室に浅井長政の娘(三女)。後室に信長娘。北畠信雄一門衆。小倉松寿と義兄弟。弟に中川秀休。息に為成。

小坂雄吉 (1526~1601)小坂井・前野・孫九郎・宗吉・雄吉。前野宗康の息。信雄の母方の縁者。元・川並衆。1569年森正成とともに北畠信雄の守役。弟に前野長康。息に小坂雄善。吉田城主。娘婿に山口重政。<生駒家と縁が深い。>

小坂雄善 (*)小坂井・助六郎。雄吉の息(嫡男)。北畠信雄一門衆。吉田城代に前野吉高。<生駒家と縁が深い。><『武功夜話』でしか登場しないらしいです。>

小坂雄長 (1576~1636)小坂井・孫八郎。雄吉の息(次男)。弟に小坂一長、山口吉長。北畠信雄一門衆。息に小坂雄忠、小坂雄綱。<生駒家と縁が深い。>

森 正成 (*)(中江)・甚之丞。信雄の母方の縁者。小坂雄吉とともに北畠信雄の守役。北畠信雄一門衆。息に正好、雄成。<生駒家と縁が深い。伊勢桑名郡中江から尾張に移住した森氏。犬山の織田信清の配下。><志摩国の鵜方氏は森氏と関連あり。>

<信雄の側近衆>
土方雄久 (1553~1608)彦三郎・彦左衛門・勘兵衛・河内守・雄良。北畠信雄家臣。1576年信雄の命で立木久内とともに、長野具藤・北畠式部・坂内兵庫等を謀殺する。1579(天正7)年第一次伊賀乱入に参加。第二次伊賀乱入に軍功。信雄に寵用される。4万5千石。<信忠の息・織田秀信家臣の瀧川治兵衛は土方姓のようです。瀧川一門なのでしょうか。>

立木* (*)久内。北畠信雄家臣。信長に臣従し、1576年北畠具教一門を殺害する。<神戸信孝の家老の立木氏は一族か。>

足助* (*)十兵衛尉。北畠信雄家臣。信長に臣従し、1576年北畠具教一門を殺害する。<三河足助一門でしょうか。>

小川長正 (1555~1582)小伝次・久兵衛。岩倉織田信安の家臣・小川正吉の息。信長に臣従し北畠信雄の与力。1576年北畠具教一門を殺害する。瀧川雄利の副将として「伊賀征伐」に従軍。雄利を救援する軍功。<「変」後の一揆により戦死するか。>

池尻* (*~1582?)平左衛門。北畠信雄家臣。1577年「北畠具親の乱」に伊勢「森城攻略」。1579(天正7)年第一次伊賀乱入に参加。伊賀乱入後、瀧川雄利を補佐し伊賀支配。福地城主。1582年「変」後に伊賀にて一揆が発生し攻撃される。<尾張楽田出身、美濃池尻氏の養子とも。><福地宗隆は与力か。>

曽我尚祐 (1558~1626)又太郎・兵庫頭。元、足利義昭の右筆。北畠信雄家臣。

雑賀* (*)松庵。尾張雑賀氏。<織田信秀家臣、雑賀右京進の一族とも。>

<信雄の譜代家老> 

古参家臣と斯波一族で構成されているようです。浅井・岡田は「本能寺の変」後の外様老臣。

*津川義冬 (*~1584)源三郎・玄蕃允・近治・(雄光?)。尾張守護斯波氏の一族、津川義近の弟。北畠具教の娘婿、信雄と義兄弟。北畠信雄家臣。信長に臣従し1576年北畠具教一門を殺害する。伊勢国松ヶ島城主。三家老(津川・浅井・岡田)のひとり。1579(天正7)年第一次伊賀乱入に参加。

津川義近 (1540~1600)斯波義銀・三松軒。斯波義統の息(嫡男)。信長打倒の陰謀が露見し隠居する。一族に信長赤幌衆の毛利秀頼。のち北畠信雄家臣。1589年「聚楽第落書事件」に捕縛される。徳川家康い出仕。

蜂屋* (*~1593)斯波・五郎介・大膳大夫・謙入。尾張守護・斯波義銀の弟。北畠信雄家臣。1584年3月兄・津川義冬が信雄により殺害された為、伊勢松ケ島城に籠城する。1589年「聚楽第落書事件」に捕縛される。のち秀吉に出仕。<息子のいない蜂屋頼隆さんと何か縁があるんでしょうか(頼隆さん室の丹羽長秀さんからの縁戚関係でしょうか。)・・。小牧長久手に従軍しているようです。>

浅井長時 (*~1584)刈安賀・田宮丸。浅井新八郎の息。織田信忠の与力。1582年「変」ののち信雄家臣。伊勢長島城主。三家老(津川・浅井・岡田)のひとり。

岡田重孝 (*~1584)助三郎・長門守・直景・直孝。尾張星崎城主。岡田重善の息。父・重善は織田信秀の郎党で小豆坂の七本槍の一人。織田信長直参馬廻衆。1573年朝倉追撃戦に軍功。1581年「高野山攻囲」に神戸信孝に従い一手の将。1582年「変」ののち織田信雄に仕え信雄三家老(津川・浅井・岡田)のひとり。<本能寺の変ののちに信雄の家臣となったようです。信孝の指揮下にもいたので信頼されなかったのでしょうか。>

<尾張譜代衆>
天野雄光 (*~1609)佐左右衛門・佐々右衛門・景俊。従五位下周防守。北畠信雄家臣。1576年北畠具教一門を殺害する。1582(天正10)年「本能寺の変」に際して、伊賀国の一揆を鎮圧する。

今枝重直 (1554~1627)弥八・内記・定直。北畠信雄家臣。のち豊臣秀次の臣。

真野正次 (1562~1622)駒蔵・勘右衛門。北畠信雄家臣。

久保勝正 (1548~1618)勘次郎・平左衛門。北畠信雄家臣。のち秀吉、家康に仕える。

吉田家隆 (*)主水正・家澄。信長・信雄に使える。のち秀吉馬廻。

沢井雄重 (*~1608)政長・吉長・左衛門・修理亮。元政の息。1567(永禄10)年美濃国稲葉山城攻略に軍功。1569(永禄12)年伊勢北畠に養子となった北畠信雄の家老となる。のち福島正則、松平忠吉に出仕する。

中川忠勝 (*~1614)半左衛門・伊勢守。中川重政の息。織田一門。北畠信雄家臣。

*森 雄成 (*)(中江)・久三郎。甚之丞嫡子。柏井衆。小坂雄吉に従い北畠信雄に出仕。<生駒家と縁が深い。伊勢中江から尾張に移住し、再び中江に戻る森氏。>

*森 雄秀 (*)(中江)・清十郎。甚之丞次男。雄成の弟。信雄の家老として遇される。1576年北畠具教を殺害する。三瀬進攻に軍功。<生駒家と縁が深い。><森清十郎・正好と同一人物か。庶子として次男となるか。息・左門は秀信の小姓。>

⇔▽河口宗勝 (1548~1612)川口・久助。河口宗吉(宗良)の息。福富秀勝の娘婿。水野信元旧臣。1577年尾張沓掛城主。のち織田信雄に出仕。弓に秀でる。弓頭。<浪人時代があったというのは1560年頃の今川軍の影響でしょうか。尾張在住の様子なので信元追放後は、織田信忠軍団に配属されていたのでしょうか。1582年「本能寺の変」後に信雄に従った様子です。>

村瀬重治 (*~1633)磯貝重也。小三郎・左馬介。幼少から信雄に出仕。後、小牧の役で軍功。

真野正次 (*~1615)駒蔵・勘右衛門。北畠信雄家臣。

加賀井重宗 (1532~1594)駿河守。北畠信雄家臣。

加賀井重望 (1561~1600)弥八郎・重茂・秀重・秀望。重宗の息。北畠信雄家臣。

<信雄の軍団・三河衆>

⇔阿部忠政 (1531~1607)四郎五郎・四郎兵衛。大久保忠次の息。阿部定次の養子。北畠信雄家臣。のち徳川に出仕。

<信雄の軍団・伊勢衆>

木造具政 (*)兵庫頭。旧北畠氏一族。北畠晴具三男、具教の弟。兄を見限り信長に臣従する。北畠信雄家臣。戸木城主、戸木御所。

木造具康 (*~1604)左衛門佐・大膳・具正・長政・長正・長忠。北畠一族で、北畠具教の甥。木造具政の庶子。北畠信雄の家老となる。のち織田秀信、福島正則に仕える。戸木城主。

↑*○滝川雄利 (1543~1610)木造・三郎兵衛・下総守・源浄院主玄。木造具康の息。瀧川一益の娘婿。1568年頃の瀧川一益による北伊勢攻略の過程で、瀧川一益の養子となる。信雄の家老として遇される。1577年「北畠具親の乱」に伊勢「森城攻略」。1578年伊賀の下山甲斐と丸山城築城。「伊賀の乱」に敗走。1581年伊賀平定戦に長野信包の副将。副将の池尻・仁木とともに伊賀の統治に当る。<北畠信雄の与力(組下)大名。>

長野* (*)左京進(亮)・左京太夫。元・北畠家臣。「大河内籠城戦」に織田軍武功。信雄の家老として遇される。1579年第一次伊賀乱入に一手の隊将。

日置* (*)大膳亮。北伊賀柘植三方衆。信雄の家老として遇される。日置次太夫は弟。1577年「北畠具親の乱」に伊勢「森城攻略」。1579年第一次伊賀乱入に一手の隊将。

日置* (*)次太夫。信雄の家老として遇される。滝野、山副攻めに一手の将。川俣攻略に軍功。

田原重綱 (*~1584)伊勢浜田の豪族。田原元綱の息。1576年瀧川一益の攻撃を受け元綱が戦死後、家督。のち信雄に出仕、小牧の役で討死。

田丸直政 (*)中務少輔・具直・具政・忠昌・直息。蒲生賢秀の娘婿。北畠旧臣。信雄の家老として遇される。1577年「北畠具親の乱」に伊勢「森城攻略」。伊勢国田丸、岩出城主。5万5千石。

藤方朝成 (1530~1597)刑部少輔。北畠一族。信長に臣従し、1576年北畠具教を殺害する。北畠信雄家臣。伊勢陸田城主。藤方城主。

⇔奥山* (*)常陸介。信長に臣従し、1576年北畠具教を殺害を依頼される。直前に離反。出家隠居する。

⇔本田* (*)左京亮。津田一安の与力。津田一安の失脚に、息・修理進は連座し追放される。左京は赦免され信雄直参。船江衆を率いる。大宮氏と抗争。1582(天正10)年「本能寺の変」に際して、伊賀国の一揆を鎮圧する。船江城主。<津島の堀田氏が一時期本田姓も名乗るようですが、関連ありでしょうか。><三河の本多氏、本多忠勝との関連が気になるところです。冨永、瀧川、石川氏の様に南朝勢力として三河との関わりが深そうです。>

* (*~1582)八郎右衛門尉。本田家家老。伊賀一揆鎮圧に戦死。<森菊右衛門は具親の一揆により戦死。中江森氏の一族か?。>

下村* (*)仁介。北畠信雄家臣。1582(天正10)年「本能寺の変」に際して、伊賀国の一揆を鎮圧する。

高嶋* (*)次郎左衛門。本田家家臣。1582(天正10)年「本能寺の変」に際して、伊賀国の一揆を鎮圧する。

高嶋* (*)椋右衛門尉。次郎の舎弟。本田家家臣。1582(天正10)年「本能寺の変」に際して、伊賀国の一揆を鎮圧する。

高嶋* (*)孫兵衛尉。次郎の弟。本田家家臣。1582(天正10)年「本能寺の変」に際して、伊賀国の一揆を鎮圧する。森田浄雲を討ち取る軍功。

中西* (*)清次兵衛尉。本田家家臣。1582(天正10)年「本能寺の変」に際して、伊賀国の一揆を鎮圧する。

佐々木* (*)四郎左衛門。北畠具教の小姓。信長に臣従し、1576年北畠具教を殺害する。北畠信雄家臣。

<南伊勢>
↓赤羽* (*)新之丞。伊勢国渡会郡川俣の豪族。日置大膳の勧誘で降伏臣従。北畠信雄家臣。1576年「熊野攻略」の大将として先陣。加藤甚五郎の敗北により熊野軍に降服する。のち新宮安房守(堀内氏善)の後援を得た大内山但馬守に討たれる。

三瀬* (*)左京進。三竹・三田・赤羽氏とともに一揆。森清十郎の勧誘で降伏臣従。北畠信雄家臣。

加藤* (*~*1576?)甚五郎。伊勢国梅谷郡の豪族。北畠信雄家臣。1576年「熊野攻略」の大将として先陣。長島城を熊野軍に攻略され敗退する。<赤羽の嫉妬による謀略で討たれたとも>

<北伊勢> 本能寺変後。
楠 正盛 (*~1584)楠木。1568年本願寺に逃走した正具の娘婿。織田家に臣従する。信雄家臣。1584年「小牧長久手合戦」に戦死。楠城主。<川俣氏、蟹江鈴木氏は同族。><志摩国の国崎に楠氏あり。>

国府盛種 (*)次郎四郎。神戸一門。国府盛邑の息。神戸信孝の与力。幼少の為、家老の国府市左衛門、打田新右衛門が四国征伐に従軍し摂津在陣。のち北畠信雄家臣。

<伊勢古代支族>
山本氏。伊勢一宮、椿大神社神職。
宇治土公氏。伊勢神宮内宮・猿田彦神社神職。
≪個人的感想≫ 楠湊が一色氏の守護所。北伊勢は、土岐家嫡流の世保氏の配下、一色氏とその守護代・石川氏の配下が割拠していたはずです。織田家は、どこかで関係が有る、昔の繋がりを利用して、北伊勢の各武家を調略していったのでしょう。
滝川一益の有する縁は、かなりの利用価値があったに違いがありません。

<伊賀衆> 伊賀は信雄、信包が分割支配。
柘植宗時 (*~1579)三郎左衛門・保重。元、木造氏家老。妹婿に木造具康。永禄12(1569)年、木造家を織田に臣従させる。1579年第一次伊賀乱入で伊賀衆の計略により討死。<伊賀の福地氏と縁戚。>

⇔○仁木義視 (*)仁木友梅・弾正・長政。伊賀守護家。織田家に従属。北畠信雄の敗退後に国衆の一揆により追放される。復帰し伊賀代官。1582年一揆に攻囲され信雄に援軍を求める。

下山* (*~1578)甲斐守。北畠家臣。伊賀旗頭家。親織田派。丸山城を修理改築。第1次「伊賀侵攻」に呼応。第一次伊賀乱入で伊賀衆の計略により討死。丸山城主。

福地定成 (*~1582)伊予守・宗隆。先祖は柘植三方衆。伊賀四大将家のひとつ。1581年9月織田家に第2次「伊賀侵攻」に呼応。1582年「本能寺の変」後の伊賀一揆で襲撃される。一門に北畠信雄の家老となる柘植三郎左衛門・保重。<松尾芭蕉の先祖らしいです。>

耳須具明 (*~1581)弥次郎。伊賀地頭家。河合郷の豪族。1581年9月織田家に第2次「伊賀侵攻」に呼応。織田家に内通したことにより、他の伊賀衆の復讐の標的となる。反撃にあい討死。

滝野吉政 (*~1602)十郎。滝野貞清の息。1581年「伊賀征伐」に総大将。柏原城にて降伏し赦免され北畠信雄に出仕。1582年変後は一揆に追われ伊勢に逃れる。柏原城主。

藤林保豊 (*)長門守・正保。伊賀上忍三家のひとつ。東湯舟郷の豪族。今川義元に出仕。のち織田家に通じる。<1581年の「伊賀征伐」に協力するとも。>

<大和宇陀衆>
⇔↑*○秋山家慶 (*~1600)次郎・右近太夫・右近将監・直国。北畠四管領。大和宇陀三人衆のひとり。宗丹の息。瀧川一益の与力。北畠信雄に出仕し、1579(天正7)年第一次伊賀乱入に参加、殿軍を勤める。1582(天正10)年「本能寺の変」に際して、伊賀国の一揆を鎮圧する。のち、羽柴秀吉、蒲生氏郷、福島正則に仕える。<直国とは別人の説あり。>

 * (*)源六郎。大和宇陀三人衆のひとり。沢房満の跡職を継承。1582(天正10)年「本能寺の変」に際して、伊賀国の一揆を鎮圧する。のち秀吉に出仕。息に隼人。宇陀郡沢城主。

⇔沢 房満 (*)隼人正。宇陀郡沢城主。秋山氏とともに、北畠四家老のひとり。1559年松永久秀家臣、高山飛騨守に沢城を奪取される。1562年畠山高政に従い畿内侵攻。三好軍と「教興寺の合戦」。北畠氏の後援で奪還。1582年伊賀一揆鎮圧に出動。

⇔芳野* (*)宮内少輔。大和宇陀三人衆のひとり。1582(天正10)年「本能寺の変」に際して、伊賀国の一揆を鎮圧する。のち秀吉に出仕。蒲生氏郷の与力。

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