牛乳と飴

遡るほどキモ自己陶酔文が見られます。

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最近の記事

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秋ですね。秋が1番好き。寂しさもあるけど暖かさもたたえてる。なんとも言えない物悲しさに、日本の良さがあると私は思います。 知り合いのnoteを読んだら、秋晴れを感じました。 からりと爽やかな空気で、芝生の高原に寝っ転がってサンドイッチを食べながら、少し遠くで縄跳びや追いかけっこをする子供を見ているような気持ち。 そうなりたいと無性に思って、なんでそうじゃないか考えたら、私は文章を書くときのモチベがモヤモヤとした感情の吐露とか整理とか共感待ちのことばかりだからだと言う結論に

    • 💗好きピ💗

      好きピってなんだ。 “片想い状態での焦がれている相手”のことだっていうことぐらい知っている。最近は意味も揺れてるみたいだけど。 けど、私はこの言葉が使われているところを見るのも、自分が使うのにも強烈な違和感を覚える。 この違和感は好きピってワードの括る力の強さにあると思う。好きピとカテゴライズすることで、勝手で一方的な関係性が構築されている気がする。括った時点でその好きピは既にその人のものになっている感じがある。 誰かが好きピを周囲に公開すれば、(少なくとも周囲の人にとっ

      • 歩くは義務

        昨日海に行った。久しぶりの海にめちゃくちゃテンションが上がって、波打ち際の少し土が湿って硬くなってる地面を裸足で何往復も走り回ってしまった。 走るはもはや衝動でしかなくなっている。 高校生までは義務で走ってもいた。授業があったから。 しかしもう走る必要は、(あまり遅刻をしないぼくには)あんまりない。 駅から学校が遠く、人と遊ぶことが増えたため、前よりもはるかに歩くようになったのに、今日歩いたら海で走った時に使ったであろう足の筋肉が痛かった。 痛い部分に意識を置きながらゆっ

        • プラスに振れたら

          友達と遊んで、夜になったから帰る流れになった。私がいつものように帰るのを渋ったら、晩御飯に誘ってくれた。 すごく楽しくて、おしゃべりも弾んで、当たり前のように次があるように別れた。 1人になって、電車を待つ。暇を潰すためにポケットからスマホを出す。 その瞬間、"お情けで付き合ってくれたんじゃないか"とかいう考えがポッと湧き出てきて、そこから無限に溢れるネガティブな考えを止めることは私にはできなかった。 そもそも、お情けだったとしても これは付き合ってくれるくらいの親密度

          書いてるうちに文が上手くなったら一石二鳥だな こっちは脳の整理をしてるだけなんだから

          書いてるうちに文が上手くなったら一石二鳥だな こっちは脳の整理をしてるだけなんだから

          インスタストーリーアレルギー

          目の前でモンブランを絞ってくれるカフェに行きました。 動画撮らなくていいのかい?と祖母に言われ、店員さんにもどうぞ〜☺️と言われてしまった。 撮りたいと思ってなかったけど、2方向からの撮りなよという矢印が向けられたら、確固たる信念を持って撮りたくない訳でもない私は撮るしかなくなってしまう。 それでもなんとなくの反骨心は抜けないもんで、なんとも微妙な画角で撮ってしまった。 全てが中途半端。 カメラを構えて画面越しにモンブランが絞られていくのを見ると、一枚スマホというレイヤ

          インスタストーリーアレルギー

          どうやら私はかなり寂しがり屋

          なのに人を誘えない人の誘い方がわからない 今までの友達にはだるく絡める 今の友達には、まだ遠慮している クリティカルなことが言えない 何も、ないのに、多分、引かれることは。 素直でいることって恥ずかしい まさに裸でいるようなもの もしそんな何もつけていない武装していないところを突かれたら、あたしはもうどうなってしまうのでしょう そんなことを考えているからでしょうか、素直になれません。

          どうやら私はかなり寂しがり屋

          友達に、ぼくのノート、有料でも読む、500円までなら出すから教えてって言われたけど、ぼくの考えてることなんて読んでどうするんだ 本当に500円で売っても読まないでしょう、捨てられる金額のラインを考えただけで、本当に身銭を切って払うことを考えてない、架空の500円の話をしたんでしょ

          友達に、ぼくのノート、有料でも読む、500円までなら出すから教えてって言われたけど、ぼくの考えてることなんて読んでどうするんだ 本当に500円で売っても読まないでしょう、捨てられる金額のラインを考えただけで、本当に身銭を切って払うことを考えてない、架空の500円の話をしたんでしょ

          共学だったら何か変わったんだろうかっておもったけど、ぼくのこの拗らせは小学校からだから変わらなかったかもなとおもったり。

          共学だったら何か変わったんだろうかっておもったけど、ぼくのこの拗らせは小学校からだから変わらなかったかもなとおもったり。

          100個、出すかな やりたいことを

          100個、出すかな やりたいことを

          モヤモヤはドライアイスの雲

          うちは親がプチ過保護だから、これからやること、今日やったこと、全部言わないとダメかと思ってた。そういう習慣がある。まだ思ってるかも。会うと近況を思い出せる限り全部言っちゃうし。 今日ふと、知り合いの言ってた”終電で集まって始発まで街を歩く”っていうの思い出して、やりたいなぁって思った。でもうちは深夜徘徊なんてしたら危ないって怒られるだろうなって思って、心の中からその案を消した。  けど、その時、言わなきゃいい可能性に気がついたよ。 家に帰ってきてないという状態は同じなんだか

          モヤモヤはドライアイスの雲

          深夜になんとなく実のある話をしたりしなかったりしながら歩いて家路を辿ることに夢を抱いているから、友人と家が遠いことをずうっと嘆いていだけれど、遠いからこそあることを探したいなと思ったり。

          深夜になんとなく実のある話をしたりしなかったりしながら歩いて家路を辿ることに夢を抱いているから、友人と家が遠いことをずうっと嘆いていだけれど、遠いからこそあることを探したいなと思ったり。

          おーい、〇〇もnoteやってるらしいよって教えてくれた友達〜! じつはぼくもnoteやってるよ〜!^^;

          おーい、〇〇もnoteやってるらしいよって教えてくれた友達〜! じつはぼくもnoteやってるよ〜!^^;

          2023/6/14

          知り合いのnoteを発見した。 書いてることがまとまってて一貫していた。 思考の開始から思考の終了までをただ文字に起こしてるだけの私とは違う気がした。 “エッセイ”だった 私のこの文たちはなんだろう。 人の世界の見方が垣間見えるから、エッセイは結構好きだ。そんなに読んだことはないけど。読むたびに、共感したり、共感はできなくとも納得したりするのが楽しい。 そもそも、エッセイなんか書く人は、人生のどこかに引っ掛かりを感じていて、それを内省的にごちゃごちゃ考えた上でアウト

          リスタート

          過去のぼくのnote、きしょすぎるけど、きしょいのもやっぱぼくのヒストリー ということで残しておきたいと思う。 読み返したら前向きじゃないことばっかり書いてるな〜 前向きじゃないことがぼくの個性だと思ってきたところまで来ちゃったから、なかなか治しにくい。 変に人間関係拗らせてるやつは意外と少ないみたいだし?拗らせてる人って拗らせ方が十人十色だから面白がる人にはウケるんだよな そんなウケを狙ってずっとネガティブなまま生きていくのか? ここら辺で一旦考え直すべき 人生の節目

          さよなら10代

          ハッピーバースデートゥーミー もう世間では18から成人で法は守ってくれてないし、これからも学生として扶養されるのは確実だけど、やっぱ一桁上がるっていう明確な子供と大人をわかつラインがあって、すごく嫌だった。 ずっと子供でいたいし。やっぱ大人って世間体とかを気にしないといけない気がする。そんなことないよって言われるけどね、そう跳ね除けられる人ってそんなにいないよ。 知らない、暗黙のルールがいっぱいある気がする。それは知らない方が恥で、大人になったら当たり前のように知ってな

          さよなら10代