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啓蒙専制君主とプロイセンドイツ

こんにちは今回は私が最も好きな世界史の分野について語りたいと思う。

私が最も尊敬する歴史上の人物は18世紀のプロイセンのフリードリヒ2世です。その理由をたくさん語っていきたいと思う。

小学生の頃私は家にあったドイツ鉄道の旅というビデオテープでICEの車窓から広がるドイツの田園地帯の美しさに魅了され、ドイツに関心を持った。

その後、小学生の時に歴史の勉強をしていると、
・第二次世界大戦で枢軸国側としてともに戦ったこと
・戦後は日本と同様に勤勉な国民性と自動車産業などの工業力で英国やフランスといった戦勝国列強をGDPで追い抜いたこと
・近代日本の法制度や殖産興業の大部分をプロイセンを手本としたことなどからドイツに益々関心を持った。

その現代のドイツを作り上げる礎になった国プロイセンはいかにして強国になったのか、その疑問に高校世界史は十二分に答えてくれて感動した記憶がある。

地政学的にヨーロッパの中央に位置し、西にはフランス、東にはロシア、北にはイギリスといった強国が存在し、300もの諸侯が点在していることからかなり不利な位置づけであるにも関わらずなぜプロイセン・ドイツが強国になったのか?同じような中欧の国であるポーランドは中世にはモスクワを落とすほどの力を誇ったにも関わらず近代以降は大国に翻弄される運命を辿ったのと対照的だ。


https://sekainorekisi.com/world_history/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%8E%8B%E6%94%BF/

18世紀のヨーロッパはイギリスとフランスによる新大陸での覇権争いを繰り広げる中、それに伴ってドイツ諸侯が影響を受ける状況であった。
そのころのプロイセンはヨーロッパのミドルパワーに過ぎず、ドイツ諸侯を率いるほどの強国になると想像したものはほとんどいなかったと言われる。

プロイセン強国化のカギを握るのはフリードリヒ2世だ.
啓蒙主義の下で科学的で合理的な組織運営を徹底した事で富国強兵に成功し、欧州列強を相手取って1748~1756年の「オーストリア継承戦争」、1756年~1763年の「七年戦争」という二つの大戦に勝利したことによって一気に列強の一員となった。

具体的には、法制度の整備を行ったり、
ユグノー戦争によって宗教的弾圧を受けて逃れてきたフランスのプロテスタントやイスラム教徒などの異なる人種や、宗教の人を寛容な姿勢で受け入れたことで広く人材を登用したと言われる。
当時は為政者である君主と異なる宗教の信者はあまり、出世しないケースが多かった。しかし、大王は国家に貢献するものであればいかなる人種、宗教であろうと登用した。この姿勢は現代の企業でもダイバーシティや多様性の重要性が叫ばれていることから是非、歴史に学んでほしい事例であると思う。グローバル化、情報化、人材の流動化が急速に進む現在、キリスト教徒もイスラム教徒もLGBTQでも障碍者でも皇族でも生きやすい社会が我が国日本に形成されてほしいものである。

プロイセンの国家運営や殖産興業の成功は偶然ではなく間違いなく大王の手腕による部分が大きいですが7年戦争の勝利は偶然によるものが大きく、事前の外交の失敗によってプロイセンも大王もかなり窮地に陥っており、のちのビスマルクもヒトラーもその点については厳しい評価をしており、最終的な勝利は運によるものであると評価している。
しかし、彼の業績は諸国に轟き、敵味方の列強の君主に崇拝者が現れついにロシア皇帝が個人的に彼の崇拝者であるという理由で兵を下げたことによって体制を立て直してフランス、オーストリア連合軍に勝利したとされている。

プロイセンの殖産興業、富国強兵の成功、二度の欧州大戦の勝利はドイツ諸侯内でのプロイセンの立場は一気に強くなり、それまでドイツ諸侯の盟主はオーストリア一強だったのが一気に二強となった。

大王の実績についての説明はこのくらいにして個人的に彼の人間性に惹かれた理由は生来文人でありたいと願ったにもかかわらず、父の厳しい狩猟や軍事教練に耐えて、政務や軍事を高いレベルでこなし、生来の興味である音楽や文学にも精力的に取り組んだとされるその姿に自分の理想を見出したからだ。
また人間嫌いや女嫌いといった部分も共感を感じました。
大して好きでもない田舎娘の関心を買うために会社できつい仕事を昭和のサラリーマンよりずっと安い値段で頑張らなきゃいけないことにものすごく嫌気がさした。
私は歴史や法律についてどんどん研究して市井の人々と違った形で社会貢献をしたいと願っていたにも関わらず、性別や学力を理由に事業会社の営業などをやらされるのがものすごく嫌だったのでそのように進めてくる家族友人親戚を遠ざけたくて仕方なかったし、交際相手や配偶者にプライベートで指図を受けるのもホントの嫌だったので自己研鑽をして圧倒的な力をつけてそういう圧力をはねのけようと会計士に掛けたのですがな合格に至らず今に至ってしまった。


自分の人生の目標を見失いかけたここ1~2年でしたが大王を手本に自己研鑽を積んだ日々を思い出して俺的ブランデンブルクの奇跡を起こしたいと思う。


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