見出し画像

炎色反応で見る心の成長問題【どんと祭レポ】

(自分で書こうと決めておいてなんだけど、どんと祭でレポートを書いているって仙台の人からしたらちょっと変なのかもしれないね…。)

先日、仙台に来て初めてどんと祭に行った。
おそらく他地域でも広く行われているであろう、前年の御札やらお守りやら正月飾りを燃やすアレである。
私の地元では別の名前で呼ばれていたが。

元気いっぱい燃え盛る炎やどこまでも登っていく煙を眺めていると、規模は違えど同じように燃やして同じように炎を囲み眺めていた幼い頃の思い出が蘇ってくる。
地元は雪が多かったため、完全装備で何時間も友人と雪遊びをしたり、冷凍みかんを作ったり、甘酒を飲んだりして遊び尽くしていた憶えがある。
今振り返ってもかなり楽しいイベントというイメージだ。
仙台は、もちろん地元とは全く雰囲気が違い、会場にいるのは知らない人ばかり、炎の管理をしているのも友達のお父さんではない。
そんなことに少しばかり寂しさも覚えたが、炎は変わらず暖かかったし、厳かな雰囲気と大規模な祭感に心が踊った。

今回行ったのは大崎八幡宮だ。
どういった場所かと言えば、国宝に指定されていることと、伊達政宗に縁ある由緒正しい神社であるという事くらいしか分からないので、各々興味があったら調べて欲しい。
というか私にどういったものなのか後で教えて欲しい。
勉強不足ですみません。
…ともかく、仙台に住む人にとってとても大事な場所であることもあり、出店も多く出ており参拝客もかなりの人数だった。

到着してまずは社殿へ挨拶に向かった。
お参りの際に鳴らすための鈴が、社の屋根の端から端まで何個も並んでいる。
だが不自然に中央のみ行列ができ、端の鈴には誰も目もくれていない。
よく見ると中央から端に向かい大中小の鈴がある。
そしてその行列は、中央に一つだけあるいちばん大きな鈴を鳴らしてお参りするための列であった。
それがなんだか妙に滑稽だった。
これはあくまで個人の感想なのだが、鈴の大きさでは、挨拶や願いの届きやすさは変わらないと思う。
昔話の「舌切りすずめ」では、欲張って大きなつづらを選んだ爺さん婆さんは酷い目にあって、慎ましく小さなつづらを選んだ爺さん婆さんは幸せになっていたではないか。
というわけで列をすり抜け小さな鈴で慎ましく小さな幸せを願った。
どうか無事に平穏な毎日を過ごせますように。
(もしあの鈴に大きな意味があってそれを私が知らないだけだとしたら先に謝っておきます。すみません。)

挨拶を済ませたあとは出店を見て回る。
とりあえずチョコバナナを食べた。
(バナナチョコとも言う。)
熱心なファンがいたら悪いのだが、正直私はチョコバナナを食べて、チョコとバナナが口の中で混ざりあってめっちゃ美味しい!と思ったことは無い。
何度食べても2つの食材がそれぞれ口の中で独立してしまう。
ただそれでも、チョコも美味いしバナナも美味い。
だから何度でも買ってしまうのだ。
自分でも何を言ってるかよく分からないが、この微妙な感じが伝わってくれたら嬉しい。

かわゆちょこばなな

他にもいくつか美味しいものを食べてニッコニコになった私だが、幸せの瞬間が遂にやってくる。
甘酒の時間である。
先述したように、幼い頃にも同じ様な儀式の日に甘酒を飲んでいた。
逆にその日以外に飲まなかったこともあり、私の中でかなり特別な飲み物なのだ。
その上美味い。
ああいう類の飲食物は好き嫌いがあると思うが、私はかなり好きで、出来れば沢山飲みたいと思っている。
去年友人と初詣に行った時にも大崎八幡宮の甘酒を飲み、幸せを共有した。
是非今年もと思っていたので、また幸せを分け合うことが出来てとても嬉しかった。

そろそろこの文のタイトルの意味が気になって内容が入って来なくなる頃だと思うので、タイトル回収をしたい。
お腹も心もいっぱいになったところで、再度炎の前に立った。
冷えきった体を一瞬にして暖めてくれる炎が頼もしい。
燃えカスになった紙やらが煙と一緒に空に登る様子や、眩しすぎる炎を眺めていると、心が落ち着いてきた。

めっちゃ燃えてる

その時、ある異様な光景が目に入る。
燃えている山の中腹あたりで、青緑色の炎が見えたのだ。
私は、見た瞬間「炎色反応だ!!」と叫び、この色は何が燃えた時の色だっけと徐ろにスマホを取りだして調べ始めた。
多分だけど銅じゃないかと思う。
誰かが投げたものの中に銅製品が混じっていて燃えたのだろうか。
と言った感じで久々の炎色反応との再会にテンションが上がってしまった私だが、その後もなんやかんや言いつつ火を眺め続けていた。

すると、後ろに高校生くらいの女の子と両親の3人が立って話しているのが聞こえてきた。
内容は詳しく覚えていないが、その日の宿題で出てきた英文を口に出していたり、化学の授業などで習ったような知識を嬉しそうにお父さんに語って聞かせていたりし、最後に「受験生らしくなってきたでしょ」と笑っていた。
両親も「だんだんね」と返し、笑いあっていた。
この会話を耳にして、ふと私もこうだったなと振り返りなんだか懐かしくて微笑ましかった。

とともに、(ここからが重要なのだが!!!)私は受験生だった16,17歳の頃から、考えてることも言ってることもほぼ変わっていないと思い、なんだか情けないような可笑しいような、複雑な気持ちになった。
なーにが炎色反応だ!!だよ…。
確かに、学校で友人と勉強したことをネタにして笑った日々も、両親に自信満々に学校で習ったことを語って聞かせていた思い出も、今もかなり大事にしている。
それでもなんか他に言うことは無いのか!空気を読めよ!と私は私に言いたいわけである!!!

友達・部活・勉強・YouTubeが全てだった高校生活がおわり早6年?7年?私はそろそろ24歳になる。
高校生の時は、24歳と言ったら容姿・発言ともに素敵な大人の女性になっているものと信じ切っていた。
それがどうだろうか、未だにポケモンが大好きで、着ている服も対して変わらず、おもちゃばかり集めていて、目に見えないものばかり追いかけ、ろくに大人しく炎を眺めることも出来ない。
よく聞くワードだが言わせて欲しい。
こんなはずじゃなかった…。
もっと大人になっていたかった…!

…とはいえ、他人に当てはめて考えると、私は童心を忘れず生きている人間をこよなく愛している。
いるかいらないか分からないおもちゃを沢山集めたり、ゲームに全力を注いだり、自分の世界をしっかり持っていたりする、そんな人が大好きなのだ。
であれば自分がそうなっているのだから、それでいいとも言えるっちゃ言えるが。

うーん…。
こう、なんか、情緒のあるコメントをさぁ…しっとり言ってさぁ…ニコニコ笑うぅみたいなね…?
あるじゃないですか…。

もう何が言いたかったか分からなくなってきたため、この辺にしておくが、まだまだ私は子供であるという事だけは今回の件でよーくわかった。
こうしている今も、片手にガチャポンでGETしたハンドスピナーを持ち、いつも見ているゲーム実況者の動画を見ながら、何にもならない文章をしたためている。
そして、人の心の変化も読み取れず、自分の事ばかり考えている幼い心の自分に腹を立てている。

ただ、嬉しいことにこんな自分の子供な部分すらも面白がって愛してくれる人がいる。
こんなんじゃ手を焼くだろうに、なんとも幸せなことだ。
色々言ったが、そんな有難い人たちのためにも、現状のダメな自分も愛してあげることが大切なのだろうという結論に至った。

今回のどんと祭にて様々なことを感じ、想った。
久々にイベントのレポートをしたが、気付いたら一人反省会をお見せする形になってしまっていて、読みにくかったと思う。
とにかくとても貴重な経験だったので行けてよかったと心から思っている。
とともに、来年も再来年もその次もまた行けるようにと今からお祈りしておく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?