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愚痴について

愚痴を聞かされるのは嫌いではない。自分がいいたいことを言っていいなら。
そりゃあなたが悪いよ、とか、大した問題じゃなくない?気にしなきゃいいじゃん、とか思ったら言っていいなら。

うんうんと共感して聞くだけやってくれというのはなかなかに相手に負荷を強いる行為だと思う。
自分の負の感情のヘドロを相手の口に流し込むようなものだ。
泥んこ遊びや泥団子の投げ合いならやってあげてもいいが、一方的に飲まされるのはごめんだよ。

ただ、気にしなきゃいいじゃんとか言うのはさすがに角が立つというのは経験上知っている(納得はいってないけど)。だから、私は愚痴を聞きたくないときは何で?を連発する。
天然を装いつつ、内心は「論理的に答えてね、私はあなたの感情に対して感情では付き合わないよ」という意思表示を込めて。
伝わって相手がハッとしてやめてくれることもある。

自分はと言うと、愚痴るのはとても苦手である。愚痴ってすっきりしたり問題が解決した試しがない。
私は尊大な自尊心の持ち主なので、人に相談するより自分で考えた方がずっと早く解決するに決まっているという感覚がある。
(明確に何か情報がほしくてその知識を持つ人に相談する時は別として)

ただ例外は今のように不特定多数に向けて、文章で愚痴ることである。何を隠そう、ある人に愚痴られてモヤったのでこれを書いているのである。
書いていると何か消化された気分になるし、公開ボタンを押すとき負の感情を捨てた感じがする。
だから大変恐縮ですが読む皆さん、私のヘドロを黙って飲んでください。

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