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向上心について考えたこと

精神的に向上心のない者は馬鹿だ。
この一節を中学か高校の国語の教科書で読んだ時、私はそりゃそうだと思った。
そして、今でもそう思っている。自分に対しては。

私の身近な人は、自分には向上心がないと言う。それが悪いことだと彼は微塵も思っていない。今の生活に満足していて、幸せだから向上する必要がないと言い切った。
彼は明るくて優しい。自分に満足しているからこその明るさと余裕を感じる。
彼は間違いなく良い人ではあるが、馬鹿なのだろうか?

物事を深く考えるかどうかは知的好奇心があるかどうかで決まるはずで、知的好奇心とは新しい知識をインプットしてより良く物事を理解できるようになりたいという欲であるから、向上心と似た感情である。
だとすると逆向きに考えれば向上心がない≒深く考えない=馬鹿なような気がする。

断っておくと、私にとって馬鹿=悪あるいは軽蔑の対象ではない。馬鹿か賢いかは人間の特性を測る一つの軸にすぎない。
馬鹿でも尊敬できる友人はいるし、むしろ深く考えず真っ直ぐな考え方をする人は好きでさえある。

ただ、自分には馬鹿であることを許すことができない。成長期に刷り込まれた個人的な感性の問題だ。
努力中毒と言ってよいかもしれない。
努力した結果上手くいってドーパミンやら何やらが放出されるという経験を繰り返したせいで、努力するだけでよだれが出るパブロフの犬状態なのだ。
ただ、そんな自分だからこそ自分自身だという気持ちもあるし、こうなって良かったとも思っている。

無理しないとか自分に優しくしようとか辛かったら逃げようとかいう言説が溢れる世の中ではあるけれど、努力と向上心が正義であるという自分の価値観は大事に持っていたいと思う。
同時にそれが価値観の一つに過ぎないという視点も忘れないようにしながら。

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