どうして自慢話は嫌なのか?

自慢話を聞かされて嫌だなあと感じる機会ってたまにあるけれど、どうして嫌なのか掘り下げて考えたことがなかったので考えてみた。

まず、自慢話を聞いている時の心の声を思い出してみよう。
・自慢してるけどそれ大したことないだろ、聞いてて恥ずかしい
・調子乗って慢心してるな、恥ずかしい
・自慢できるようないいことあって羨ましい
・あなたは順調でよかったね、私は大変なのに
・この話つまらないなー長いなー

このような心の声は3つの感情に分類できると思われる。
慢心に対する恥ずかしさ(共感性羞恥とかいうやつ?)、相手かハッピーであることへの嫉妬、そして退屈である。

一つ目の恥ずかしさは、どうして不快につながるのだろうか。
この感情には対象の人によって違いがあるような気がする。恋人や友達が自慢すると恥ずかしさと共にかなり不快を感じるのだが、飲み会で知り合ったよく知らない人が自慢していても恥ずかしい人だなーと嘲笑するような気持ちが湧くだけで不快ではない。
前者の不快さにはこのような機構が働いているのではないか?
嘲笑する、見下す気持ちがわく→でもこの人は大事な人だから嫌いになりたくない→見下す気持ちを抑え込む→負の感情を飲み込むから不快

二つ目の嫉妬は単純である。相手が自分と似た境遇で、自分が上手くいっていなければハッピーな人を見たくない。
三つ目の退屈は、忙しいときほど顕著になる。忙しい時にしょうもない自慢話で時間を無駄にしたくない。

整理すると
恥ずかしさへの不快感: 仲が良いほど増大
嫉妬: 自分が不幸であるほど増大
退屈: 忙しいほど増大

一応自分の場合はこんな感じの場合わけができそうだ。
こんど自慢話されて我慢できなくなったら、何で嫌なのかきちんと説明することができるかもしれない。

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