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1996年のプログレ的風景:フィル・コリンズのジェネシス脱退と、ニューアルバム

 この年3月、ついにフィル・コリンズがジェネシスを正式に脱退することがアナウンスされます。ジェネシスの前作 We Can’t Dance のエンディングソングが Fading Lights というタイトルだったことからも、なんとなくこの日が来ることは予感していたのですが、それがついに現実となったわけです。

 以前も書きましたが、この頃のフィル・コリンズは、2番目の妻、ジルとの離婚に際して送ったFAXがマスコミにリークされ大騒動になり、挙げ句に3人目の妻オリアンヌとの新生活をスイスではじめるにあたり、「税金逃れの移住」とかなんとか、さんざんイギリスのメディアからバッシングされていたのですね。ただ、これがジェネシス脱退の理由かというと、そうではないのです。

 1992年に行われたジェネシスの We Can't Dance ツアーは、ジェネシスの歴史上、最大規模のものでした。ほとんどの会場がスタジアムというもので、過去最大の観客動員を行ったツアーだったのです。まあそれだけジェネシスが売れていたという事の裏返しなのですが、このときアメリカでのツアー中に、オープニング1曲歌っただけで声が出なくなって、コンサートがキャンセルされたという出来事があったのです。

Casting my mind back to the We Can’t Dance tour, I realize now that the weight of leading the band finally got to me. From the start of that global run of Genesis’ biggest-ever shows, there was a sense of nostalgia, a sense of “look how far we've come.”
We Can't Danceのツアーを思い出すと、バンドを率いる重圧が自分にのしかかっていたと思うんだ。ジェネシス史上最大規模の世界的なライヴが始まったときから、「ここまで来たか」というノスタルジーがあったんだ。

After the opening night in the Texas Stadium in Irving, Texas, we move on via Houston to Florida. I develop a sore throat, so I try acupuncture backstage at Miami's Joe Robbie Stadium. The next night, in Tampa, I only manage one song, “Land of Confusion,” before apologizing and exiting stage left, my singing voice in tatters. So much for acupuncture. Half the stadium is shouting “awwww,” in sympathy. The other 20,000 are bellowing something along the lines of “Bastard! I've paid my money, sing the songs!”
テキサス州アービングのテキサス・スタジアムでの初日を終え、ヒューストンを経由してフロリダに移動する。喉が痛くなったので、マイアミのジョーロビー・スタジアムの楽屋で鍼治療を受ける。翌日のタンパでは、Land of Confusionを1曲歌っただけで、歌声がボロボロになってしまい、謝ってステージから降りてしまった。鍼治療もここまでか。スタジアムの半分の観客が「アーー」と叫んで同情している。残りの2万人は、「クソ野郎! 金払ったんだ、歌を歌え!」と叫んでる。

I scuttle back to the dressing room and cry. It’s just too intense. I've let everybody down, from fans to crew to caterers to the entire team working in and around the stadium. It’s a very heavy responsibility, a very heavy moment. It’s all on me. One week in, and in my mind I've already scuppered Genesis’ biggest-ever tour.
僕は楽屋にこそこそと戻って、泣いてしまった。あまりにも強烈だった。ファン、クルー、ケータリング、スタジアムやその周辺で働くチーム全員を失望させてしまったのだ。とても重い責任、とても重い瞬間だ。全ては僕の責任だ。1週間が過ぎたところで、僕としてはジェネシスの史上最大のツアーを早くも台無しにしてしまったのだ。

But as I routinely feel compelled to do, I battle on and the tour steams forward. As we tick off the world’s enormodomes and super-stadiums, a thought sets in: do I really want this, this pressure, this obligation? Can I keep this up—the singing, the banter, the larger-than-life performances required—right through a grueling summer schedule, all the way to an eye-wateringly gargantuan, outdoor homecoming show at Knebworth*?
でも、いつもやらねばならないと思っているので、僕は戦い続け、ツアーは前進していく。世界の巨大ドームや超巨大スタジアムを回るうちに、ある考えが浮かんできたんだ。「このプレッシャー、この義務感は、本当に必要なのだろうか? 歌、おしゃべり、大げさなパフォーマンスが要求されるこの状況。過酷な夏のスケジュールをこなして、ネブワース*での目を見張るような巨大な野外の凱旋公演まで、これをずっと続けることができるのだろうか?」とね。
【訳注】Knebworth:ネブワース
ロンドン郊外の屋外スタジアム。1992年8月2日、ツアー最終日のこの会場でのライブが、全世界に同時中継された。

Not Dead Yet / Phil Collins 日本語訳は筆者


 あまりにもジェネシスが売れたことによるプレッシャー。実は、Both Sidesでプライベートな作風にこだわったのは、女性問題だけでなく、こういう背景もあったのかもしれません。彼はこんなコメントもしてるんですよね。Both Sides制作中の出来事です。

I went to see Harry Connick Jr one night at the Albert Hall and he played Hoagy Carmichael’s ‘I Get Along Without You Very Well’ The whole premise of that song is that I get along without you right until the moment someone says something that reminds me of you and then of course I go to pieces. I went home and wrote ‘I've Forgotten Everything; one of my favourite songs on that record, which was my version of the Hoagy Carmichael song. I wrote it in an hour, improvised the words. It was like Face Value to the power of a hundred.
And for me there was no going back. I thought, “This is what I want to do. I don’t want to go back to a band environment. How can I possibly go back to singing about double-glazing* when I've done this?’ I felt I didn’t want to compromise any more. I was in my early forties, and wondering whether maybe this was meant to be. You outgrow things; you can’t expect Monty Python to stay together forever. You naturally mature and have to leave the mother ship.

ある晩、アルバート・ホールにハリー・コニックJrを見に行ったとき、彼がホーギー・カーマイケルの I Get Along Without You Very Well をやったんだ。この曲は、「誰かがあなたを思い出させることを言う瞬間まで、あなたなしでうまくやっていける」「もちろん私はバラバラになってしまった」という曲だね。家に帰ってから、I've Forgotten Everything を 1時間で書いて、即興で歌詞を書いたんだ。これはアルバムで一番好きな曲で、僕バージョンのホーギー・カーマイケルだよ。Face Valueを100倍したくらいのパワーがあるんだ。
そして僕にとっては、もう後戻りはできなかった。自分がやりたいのはこれなんだ。もうバンド活動には戻りたくない。これができたのに、もう二重ガラス*のことを歌うなんてことに戻れるわけがない。これ以上、妥協したくないと思ったんだ。40代前半になって、これはもしかしたら運命だったのかもしれないとね。モンティ・パイソンはいつまでも一緒にいることはできない。自然と大人になれば母船を離れなければいけないんだ。

【訳注】double-glazing:二重ガラス
Invisible Touch収録のDominoに、"Sheets of double glazing help to keep outside the night"という歌詞がある。コンサートではつねにハイライトとなる曲で、ジェネシスの曲の象徴としてのコメントでしょう。

Genesis Chapter & Verse 日本語訳は筆者

I've Forgotten Everything / Phil Collins 1993

そして彼は永年のマネージャーであるトニー・スミスと Both Sides のプロモーションのためにプライベートジェットで移動中についに切り出すのです。

Tony, I'm leaving Genesis.
トニー、ぼくはジェネシスを離れるよ。

He isn’t surprised; he’s been anticipating this moment for a few years now, so his response is measured.
彼は驚かなかった。数年前からこの瞬間を予期していた彼は、慎重に対応したんだ。

OK. We don’t have to say anything yet. Let's see how you feel after the Both Sides tour. Then we'll take a view.
OK、まだ何も言わなくていいよ。Both Sidesのツアーが終わった後に、君がどう思うかを確認しよう。見解を述べるのはそれからだ。

Not Dead Yet / Phil Collins 日本語訳は筆者

 さすがに永年のマネージャー、トニー・スミスは、フィル・コリンズがわりとすぐに気分が変わる事を知っていて、即答は避けて、まずは目の前の仕事に集中しようという話をするわけです。

 ところが、実際は、Both Sidesツアーのフランス公演中に出会った通訳のオリアンヌ・シーヴェイに入れあげて、ツアー終了後に結婚、そしてスイスへの移住となって、結局フィル・コリンズの気持ちは変わらなかったということなのです。

 こうして、この年になって、ジェネシスの3人は、ミーティングを行います。このときも、トニー・スミスが立ち会います。場所はトニー・スミスのロンドンの自宅だったそうです。

"I'm leaving."
「やめようと思ってるんだ」

Tony Banks replies, with true British understatement, “Well, it’s a sad day.”
トニー・バンクスは、まさに英国らしい控えめな表現で、「そうか、悲しい日だね」と答えた。

Mike adds, “We understand. We're just surprised you stayed this long.”
マイクがつけ加える。「理解してるよ。ぼくらは、あんたがこんなに長くいたことに驚いてるんだ」

Not Dead Yet / Phil Collins 日本語訳は筆者

 実は、トニー・バンクスと、マイク・ラザフォードは、もともと Invisivle Touch の後に、フィルが戻ってきてもう1枚ジェネシスのアルバムを制作したことすら、驚きだったと証言しているのです。だからこそ、We Can't Dance のエンディング曲 Fading Lights で、フィル・コリンズが最後に Remember と歌って締めくくるなんてことをやっていたわけで、ここに来て、正式にフィル・コリンズから脱退の意思を聞いても、「ついに来たか」くらいの感じだったのでしょう。それにしても、ここまで一緒に困難に立ち向かいつつバンドで頑張って、それこそ天下をつかんだ3人の静かな別離のシーンは、なんか感動的な印象すらありますね。

 こうして、いよいよジェネシスを脱退して、フリーとなったフィル・コリンズの次のアルバムが10月にやってくるわけです。これが Dance Into The Lights です。Fading Lights でジェネシスを締めくくって、その次のアルバムタイトルがこれ、というのは、当時は「そんなにジェネシス嫌だったんかい?」と思って、ちょっと鼻白む印象があったのは事実です。

Dance Into The Lights / Phil Collins

 ところがこのアルバム、再び以前のフィル・コリンズバンドのスタイルに戻っているのです。ただ、4thまでの、なんか「火を噴くような」感じがすっかり影を潜め、かなり落ち着いたバンドサウンドになっているのです。それと、バンド自体も以前と違う点が1つありました。それは、永年の相棒ギタリスト、ダリル・スターマーに加えて、ロニー・キャリル(Ronnie Caryl)という新しいギタリストが加わっているのです。この人、フィル・コリンズの幼なじみといっても良い人で、何と彼のデビューバンド Flaming Youth のギタリストでして、ジェネシスのオーディションに一緒に行った人なのですね。結果フィルは合格して、ロニーは落選するわけですが、その後それほど活躍してないギタリストなんですよ。そんな人物を急に呼んだりする事の意味がどういうことなのか、これは自伝にもあまりくわしく書かれていないのですが、やはり彼の心境変化の一面ではないかと思ったりするのです。

 今思うとこのアルバムは、先に紹介した Both Sides の  I've Forgotten Everything のエピソードの延長線なのではないかと思います。つまり、バンドスタイルをとったにしても、フィル・コリンズは、自身の作曲家としての面を強く意識しているような気がするんですね。やはりフィルの心境の変化は続いていて、Dance Into The Lights というのも、もしかすると、ひとりだけでスポットを浴びる覚悟を表しているのかもしれません。まあこの路線は、実は次作の、ディズニー映画ターザンのサントラに昇華しているように思うのですが、このアルバムでは、まだちょっと中途半端で地味な印象は拭えず、個人的には、なんかやっぱりこれまでのフィル・コリンズとの違いが違和感として残るものだったのでした。

 そして、このとき最大の衝撃は、残ったジェネシスの二人の方だったのです。トニー・バンクスと、マイク・ラザフォードは、フィル・コリンズという二人目のカリスマボーカリストを失った後も、ジェネシスを継続するというアナウンスをするのです。かつてピーター・ガブリエルがバンドを去ったとき、「我々は何事も無かったかのように活動を継続する」と言って、メディアからさんざんバカにされた彼らですが、最後の二人になったところで、また同じ意味のアナウンスをするとは!

 こうしてわたしは、40歳も見えてきた年になってまたしても、あの青春時代の1976年の時のように、ジェネシスの新しいアルバムを、不安と期待がごっちゃになった状態で待ち焦がれることになるのです。ホントに、「なんてバンドだ! こいつらは」ということで、96年は暮れていったのです。

 実は、この年、イエスの Keys to Ascension というアルバムがリリースされているんです。で、これがまたまたまた(笑)、イエスソングスの頃の黄金ラインナップに戻ったイエスのアルバムだったのですが、もはやこのジェネシスの物語の前に、もう1㎜もイエスに対する興味がよみがえらずに放置しておりました。そしてわたしは、マリリオンをはじめとする、80年代ポンプロックムーブメントにおける、ジェネシスフォロワーのバンドを適当に漁りつつ、未知なる新生ジェネシスのニューアルバムを心待ちにしていたのです。






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