〜第5章〜 アルバム全曲解説 (2) A面-2 Fly on a Windshiled
【テキスト】【歌詞】とその内容
レエル登場のオープニングから一転、雰囲気のあるメロトロンコーラスをバックにした静かなギターのストロークで、2曲目が始まります。レエルがブロードウェイで横たわるヒツジを見た次の展開です。ピーターが抑え気味に歌い始めます。
このタイムズスクエアに降りてきた「死の壁」が、どういうものかは【テキスト】でくわしく説明されています。
この47thストリート(*1)に出現した雲は、視界をさえぎるのではなく「一瞬前まで反対側にあった3次元物を映し出すスクリーン」となるので、雲に景色が写っている状態なのです。そして、その映像は点滅しながら雲が動き、街のあらゆるものを飲み込んでいきます。
ところが、歌詞でだけ歌われる重要な情報があります。
周囲の人々は、何事もなかったかのように動いているわけです。つまりこの「死の壁」はレエルにしか見えていないということなのです。
そしてレエルは雲から逃げて走るのですが、吹き始めた風に邪魔されてだんだんとスピードが落ち、壁が距離を詰めて迫ってくるのです。さらに、風に吹き上げられた土埃がレエルの体に付着し、「強固な皮膜を作り、レエルは恐怖の静寂につつまれる」事になるわけです。そして歌われるのです。
こうして、身動きできなくなったレエルを壁が飲み込みます。そして、曲は次の曲へと空白なくつながるのです。
ちなみに、車のフロントウインドウを windshield というのは、アメリカ英語で、イギリスでは windscreen と言うそうです。こうして敢えてアメリカ英語を使っているのも今回のアルバムの特徴です(と言いながら、イギリス英語がつい出てしまうみたいなところもあるのですが…)
レエルはここで死んだのか?
さて、【歌詞】では「死の壁」、【テキスト】ではただ「雲」とだけ表現されていて、歌だけ聴けば、「死の壁に飲み込まれたのだから、レエルはここで死んだのだ」という解釈は成り立つわけです。これまでも、そういう論調の議論はかなり多かったと思います。死といっても、肉体の死であり、ここからレエルの精神の旅が始まるというのがストーリーなわけなのですが、どうもわたしは、ピーターはその辺を曖昧にしているような気がします。彼は曲のMCでもこう言ってます。
つまり、作者は、恐らくどちらに解釈されても良いというか、そこは読者、リスナーの判断に任せるような感覚だったのではないかと思うのです。
その上で、1リスナーとしてのわたしのイメージは、「ここでは死んでないのではないか」というものです。もしここで肉体が死んだことにすると、ストーリー的には、最後に生まれ変わる必要があると思うのです。それは、つまりチベット密教の輪廻転生をそのまま取り入れてることになるわけですね。ところが、エンディングでは、生まれ変わるかどうかということは描かれておらず、ただ「救われた」みたいな印象なのです。さらに、C面にある、Here Comes the Supernatural Anaesthetist で、明らかに「死」が歌われており、精神がさまよっている間に「死」を意識するというのは、すでに肉体が死んでいるのならば、なんかちょっと変な気がするのです。そのため、わたしはここでは肉体は、まだ死に至っていないのではないかという印象をもっています。つまり肉体が生存している間に、精神だけの旅がこれから始まるのです。精神の旅ですから、時間単位は地球上の時間に縛られる必要はないわけです。精神がものすごく長い旅をしている(ように見える)のに、地球上(つまり肉体が経験する時間単位)では数秒の時間しか経っていないというような、よくある相対論的な時間の齟齬があってもおかしくないと思うのです。同じ【MC】で、ピーターはこうも語ってますので。
【音楽解説】
この曲こそ、サウンド担当のメンバー4人がほぼ全員「このアルバム最高の瞬間だった」と口をそろえる曲なのです。スティーブ・ハケットも、このアルバムで一番好きな曲のうちのひとつとしてあげており「ジェネシスが最もオーケストラ的な精神を発揮している」と評しています。後に、インストゥルメンタルのはずだった it にボーカルを乗せてメンバーと揉めたピーターも、ここでは歌詞をかぶせずにインストゥルメンタルとして残して尚、この曲についてはアルバムの「お気に入りの瞬間」であると言っています。そして、そのサウンドはかなりキャッチーだった1曲目に比べて、ずっとプログレっぽいお作法で作られているにもかかわらず、過去のジェネシスの作品とは一線を画すという、彼らの新しい音楽的側面を示していると思うのです。
もとは、Pharaoh(ファラオ)というワーキングタイトルが付けられていて、Headly Grange のセッション時に、マイク・ラザフォードが、「ナイル川を下るファラオ」と言って弾いた2つのコードが曲の元になっています。このコードを中心にジャムりながら曲が作られたのだそうです。[1:18〜]のインストゥルメンタルパートの冒頭が、レエルが雲に飲み込まれたインパクトの瞬間を表しています。そして、そこからの混沌が音で表現されているわけです。そして、「それまでのジェネシスの歴史の中で最も強い瞬間だった」とトニー・バンクスが言うほど、彼らはこの曲を絶賛するのです。このパートはかなりスティーブ・ハケットのギターも活躍しており、彼の1stソロアルバムの、Shadow of the Hierophant にもちょっと似ているということで、スティーブ・ハケットの作曲面での貢献を指摘する人もいます。
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【注釈】
1*:ピーターはライブのMCで、これを何度か42nd Streetと言っているのです。これは特に意味の無いただの言い間違いではないかと思います。結局ストーリーにとって、ニューヨークや47thストリートがストーリーの舞台である必然性がそれほど強くないということの証左のような気がしています。
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