〜第4章〜 The Lambの内容 (2)RAELの名前の意味とは、The Lambの意味するものとは
主人公はなぜRAEL(レエル)という名前なのか
これもまず一番最初に、ピーター・ガブリエル本人は、こう言ってるのです。
ガブリエル自身も、この名前に決めるまでには結構時間をかけたらしく、本人も納得してるネーミングのようなのです。彼は一貫して「特定の国籍と結びつかない名前」を探したと言っており、実際そうだったのでしょうが、当然ながらいろいろな説も言われております。
・REALのアナグラム説
一番かんたんな説明は、これですね。つまりREAL(=真実)の真ん中2文字を入れかえるとRAELになるというものです。これは、実際にアルバム最終曲の it の中でもこう歌われています。
まあ一番わかりやすい説明だと思います。でも、やはりいろいろ考える人がいるんです。先の it の歌詞の is Rael のところをくっつけると、ISRAEL、そう「イスラエル」という言葉になるわけです。これがまたキリスト教への連想になるという人もいたりします。ヘブライ語の yisrael には「神と戦う」という意味があるそうで、 The Lamb のストーリーは新約聖書の文脈で考えるべきとかの話になるのですね。というのも、もともと Genesis(=創世記) というバンド名や、これまでもユダヤ教やキリスト教への言及があったバンドですから、すぐにみんなこういう連想に行き着くわけですが、わたしはこの The Lamb というのは、敢えてそれまでの宗教的なところから離れようとしているように感じているので、この辺はちょっと「どうかな〜?」とだけ言っておきますw
・逆さまから読む説
さて、RAELを逆から読むと、LEARとなりますね。これ、あのシェイクスピアの「リア王」の王様の名前のスペルになります。リア王とは、「狂気の王様」の代名詞のようですので、そういう意味が隠されているのではないかという説です。
・ラファエル説
聖書に出てくる、大天使ラファエルのスペルが RAPHAEL になるわけですが、ここから真ん中の3文字を消すとRAELになるというものです。何故真ん中の3文字を消す必要があるのかは説明されていないのですがw、まあキリスト教と結びつけたい人が多いのではないでしょうか。ちなみにガブリエルという名前がそもそも、聖書においてはラファエルと同様天使の名前で、その中でも位の高い「大天使」とされているのですよね。ということで、ラファエルを変形させて、ガブリエルとの関連を意味するような名前にしたという説ですね。
・ガブリエルと音が似てる説
実はラファエル説よりも、もっと単純で直接的なのがこちらです。日本語ではガブリエルとずっと書いていますが、ご存じのように英語の発音は、ゲイブリエルと発音する方が近いです。発音記号で書くと【géi-b-ri-əl】となりますが、この最後の2音節【ri-əl】の発音がRAELに近いというものです。
本人がどこまで意識していたかは別ですが、結局この主人公RAELには、自分自身が投影されているということをピーター・ガブリエル自身も認めているわけで、無国籍な名前のなかで、やはりREALのアナグラムとなっていて、自分の名前にも近い、韻が踏みやすいというあたりが決め手だったのではないかと思います。
ところが、この名前、ひとつだけ前例があったのです。The Whoが1967年にリリースした彼らの最初のコンセプトアルバムである Sell Out というアルバムのエンディングに、RAELという曲が収められていたんですね。これも人名としてのRAELなんです。そしてこのアルバムは、2年後のコンセプトアルバムTommyのコンセプトベースとなるアルバムだったのです。
恐らく、The Lamb を考えるに当たって、The Who の Tommy については、気にしていたはずですが、その前のアルバムにまで目を配れていなかったのですね。このことは当初全くピーター・ガブリエルは気づいていおらず、後からこのことを知ったとき(どうも Headly Grange の最後の頃らしいです)には、「もう引き返すことが出来なかった」と認めているのですが、これはピーターにとってはかなりショックな出来事だったようです。
なぜヒツジがブロードウェイで横たわるのか
The Lamb についてのFAQとして、必ずあるのが「ヒツジは何を意味しているのか」みたいな質問ですね。アルバムタイトルにもなっているわけでして、キリスト教圏の人から見れば、The Lamb といえば、ほぼイコール「神の子羊(=イエス・キリスト)」という理解になるのだと思います。Genesis(=創世記)というバンドが、「The Lambなんとか」というアルバムをリリースしていれば、それはもう「キリスト教的な何か」を連想するのが、普通だと思うのです。さらに言えば、かつて Foxtrot の Supper's Ready で聖書の引用をしたことがあるわけですから、知ってる人も、知らない人も誰だって聖書からの引用だと思うのが普通だと思います。
ところが、ピーター・ガブリエルはこれを真っ向から否定するわけです。The Lambのツアー中の記者会見でも、記者にこればかり聞かれるものだから、キレて、こんなことを言ってしまうわけです。
確かにそれはそれで間違っていないのですが、もうちょっと丁寧に説明した方が良かったでしょうねぇ。まだ24歳、青いなあ(笑)
これはわたしも今回ようやく認識したのですが、このThe Lambのアルバムというのは、(既成)宗教的なものとは真逆のコンセプトなのですね。確かに、言葉にはいろいろな宗教からの引用がされているのですが、むしろヒッピー文化のカウンターカルチャー的に、既成宗教を否定するような雰囲気がわりと感じられるのです(*1)。そして、既成宗教ではない、チベット密教の輪廻転生思想みたいなものがベースにあったりするわけです。それこそ、ピーター自身が、自分の悩み事や心の問題に対して、キリスト教などの既成宗教が、何も役に立たなかったという問題意識あたりから出発しているような気さえします。
ところが、一方でニューアルバムは、アメリカで売れる事を目標としているわけです。そのためには、やはりGenesisというバンドとしては、ちょっとは宗教的な何かを感じさせる要素があった方が、よりアイキャッチになるのではないかのような下心もあったのでは無いかと思うのです。そうして出てきたのが、象徴的なイメージとしてのヒツジではなかったかと思うのです。
これは余談ですが、実際、The Lamb のアメリカツアーでは、一部地域でしょうが、「何か宗教的なライブなのではないか」と勘違いした場違いな客が目立った会場があったとかの話もあるわけでして、そういうことなのです。(そういう人たちが、あのライブでスリッパーマンとか見たらどういうリアクションしたんでしょうね。その前に帰っちゃうかな…w )
こうして、実際には、アルバム内でもヒツジはアルバムタイトルと、同名の冒頭曲の中で出てくるだけで、その後は一度も登場しないのですね。D面で、冒頭曲のメロディーが再び出てくる曲においても、LambではなくLightとタイトルと歌詞が変わっており、本当にもう二度と出てこないわけです。
細かくは、曲の紹介のところで触れるつもりですが、冒頭のテーマ曲で歌われる早朝のニューヨークの風景の中で、主人公RAELは、道ばたに横たわるヒツジを突然見るわけです。そしてそれだけなのです。
つまり、少年院帰りのギャングであるRAEL、どうしようもない人間として冒涜的な人生を歩んできた少年が、突然ニューヨークの街角でヒツジを見かける。この異質な体験は、これから主人公に完全に異なる世界が突如侵入してくる、そのことの前触れを象徴するアイコンとしてのヒツジなのでしょう。
もう一つ説明としてこういう指摘もありました。The Lamb のストーリーは、神話によくある典型的な Hero's Journey であると以前書きましたが、このストーリーのお決まりとして、冒頭ヒーローは旅に参加することを断るのに、何かの偶然等により結局旅に出るという展開が多くあります。The Lambのストーリーにおけるヒツジは、ヒーローレエルが、すんなり旅に出ないことを表すためのシンボルであるという解釈です。ただ、Hero's Journey であるのは間違いないのですが、神話的なお約束までピーターが斟酌したのかどうかはちょっと定かでは無いと思いますが。
結局、アスファルト、岩石、金属、ガラスなど堅いもので構成された都会の道ばたで、荒々しい主人公に対比して、やわらかく、ふわふわしたもの、「無邪気であり、絶対的なやさしさと弱さを象徴する無力な存在」としての何かが存在するという対比を作り出す際に、ピーターが選んだのがヒツジという生き物だったということでしょう。
ちなみに、なぜ横たわっている(Lies Down)のかは、これはLamb と Lies で 韻を踏んでいるというだけのことで、ヒツジの姿勢そのものに意味は無いのだと思います。キリスト教的な意味を見つけようとすると、すぐに横たわってる(=犠牲となった)イエス・キリストとかの連想になってしまうのですが、ここにそういう意図は無いはずです。結局このストーリーは、そういう既成宗教とは距離を置いた物語であるのです。
もう一つついでに、ブロードウェイに横たわるのは何故かと言えば、これはもう完全にマーケティング的な理由だと言って良いのだと思います。このストーリーは、結局入口はニューヨークである必然性はあんまり無いわけです。それこそ、ロンドンだって、インドだって、スラムっぽいところであれば、どこでも話は成立するはずです。だって、すぐに精神的な世界へ飛んでしまうわけですから。それでも場所をニューヨークの、それも一番象徴的なブロードウェイを選んだというのは、やはり今回アメリカで売れる作品を作ると言うことを最初に考えたからこその選択だったと思うのです。
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【注釈】
*1:1966年にジョン・レノンの「キリストより人気がある」発言にアメリカの福音主義キリスト教徒が猛反発して大騒動になったのは有名な話です。またThe Lamb の数年前に、ジェスロ・タルの Aqualung というアルバムがアメリカでヒットした際、その中の教会批判的な歌詞を問題視され、一部で同じような騒動が起きていたそうです。アメリカという国は、ひとたびこういう騒動になると、放送禁止だけでなくレコード焼却とかに発展する国であるわけです。こういうことも、ピーター・ガブリエルはよく踏まえていたのではないでしょうか。アメリカで売るためには、こういう騒動を絶対引き起こしてはいけないわけです。そういう抑制が、様々な言葉のチョイス、用法に影響を与えている可能性があります。
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