見出し画像

1993年のプログレ的風景:フィル・コリンズ転機の年

 意外とプログレ系の当たり年であった前年にくらべて、この年は、特になーんにもなかったのです。2月にシカゴが来日公演を行い、11月に、再びポール・マッカートニーが来日します。わたしはここで初めてシカゴのライブを体験しました。また、このときポールは、前回の轍をふまず、1曲目にいきなりビートルズナンバー(Drive My Car)を演奏してくれて、のっけから盛り上がったのをよく覚えています。思えば90年の時も、セットリストの半分くらいはビートルズナンバーが占めていて、この頃からポール・マッカートニーのライブはずっとこんな感じだったのですね。前回からわずか3年のインターバルでの再来日には驚いたのですが、今になってみれば、人生で一番多くのライブに足をはこんだミュージシャンが、ポール・マッカートニーになるとは、このときはまったく想像してませんでした。

そして、ポール来日と同じ11月、フィル・コリンズの新譜がやってきます。

Both Sides / Phil Collins

 以前、フィル・コリンズのソロアルバムについては、4thのNo Jacket Required が「一番油が乗っている」と評価したことがありましたが、この年の5thアルバム Both Sides については、なかなか評価が難しかったのです。というのも、それまでのロックバンド+ブラスセクションのスタイルと打って変わって、かなりプライベートというか、宅録のデモ作品をほぼそのままアルバムとしてリリースしたみたいな印象すらある内容になっていたからなのです。

 ミュージシャンとして「延長線上」をやらずに新しい事にチャレンジするというのは、時代を引っ張っていくような人にとっては、ごく当たり前のことなので、当時はまあ「あまり成功してない」という印象こそありましたが、この変化はあまり気にはしてなかったのです。ところが、その後、この時期のコンテキストをいろいろ知るようになると、正直、この頃から何か壊れていくフィル・コリンズというか、そのターニングポイントになったアルバムだったのだということがよく分かるわけです。ミュージシャンの私生活なんて、正直どうでも良いのですが、プライベートでの女性問題をバネにそれまで活躍したフィル・コリンズにとって、やはりこの問題は、彼の創作活動に大きな影響を与えたということは間違いないのだと思うのです。

 前提として、フィル・コリンズの最初の結婚は、1980年頃に破局を迎えていたわけです。これは、ジェネシスやブランドXなどなど、とにかく精力的に活動していたフィル・コリンズと、奥さんのすれ違いが続き、結局奥さんが不倫の末に出て行ってしまうという話だったのですね。大いに傷ついたフィル・コリンズですが、ご存じのように、このことが、1stソロアルバム Face Value とか、ジェネシスの Duke のヒットにつながる、ある意味原動力となるわけです。その後、Duke のアメリカツアーの最中、あるホテルのラウンジで、ナンパされるような状態で知り合ったジル・タヴェルマンという女性と再婚するのです。

 ここは彼の自伝から引用しましょう。ジェネシスのDukeツアーで訪れたロサンゼルスでの出来事です。

We slide into a booth and sit there, quenching our post-gig thirsts. I stretch my arms above and behind my head. Suddenly there's a pair of hands grabbing my hands. I look back and there's this girl, short hair, very cute in a Tinkerbell sort of way. She's very happy. And she’s with another girl. Before long we're all sitting at the same table.

僕ら(訳注:フィルとマネージャーのトニー・スミス)はブースに滑り込み、そこに座ってライブ後の喉の渇きを癒す。僕は両腕を頭の上と後ろに伸ばした。すると突然、僕の手が両手でつかまれたんだ。振り返ると、そこには短い髪の、ティンカーベルのようなとてもかわいい女の子がいた。彼女はとても幸せそうでね。そして、彼女はもうひとり女の子と一緒だった。僕らが皆、同じテーブルに座るようになるまで、そんなに長くかからなかった。

Eventually, the four of us hop into the waiting limo and repair to L’'Hermitage, the LA hotel of the moment. I still don’t quite know how this happens, but later that night I'm in bed with Jill and her girlfriend. That hasn’t happened before, or since. I should stress that there is no hanky-panky. My abiding feeling is: “What am I supposed to do with two?” For other people, this is the life. Not for me. I'm too embarrassed, I guess. For young(ish) Phil Collins, it’s stage-fright time.

やがて、ぼくらは待っていたリムジンに乗り込み、そのときのLAのホテル、L'Hermitageへと移動した。どうしてそうなったのかはいまだによく分からないんだけど、その夜、僕はジルと彼女のガールフレンドと一緒にベッドに入った。こんなことは、後にも先にもなかった。でも言っておくが、そのような行為は一切なかったんだ。素直な感覚として「2人と一緒に何をすればいいんだ?」だったんだ。他の人たちにとっては、これが人生なのかもしれないが、僕にとってはそうではない。恥ずかしすぎるよ。若き日のフィル・コリンズにとって、それはステージ恐怖症の時間だったんだ。

Not Dead Yet / Phil Collins(日本語訳は筆者)

 まあ、ホントに何もしなかったかどうかは、もはやどうでも良いのですが(笑)、こういう経緯で知り合ったのが、二人目の奥さんだったわけです。

 こうして出会った、ジルという2番目の奥さんと一緒に暮らしている最中に、フィル・コリンズは、八面六臂の活躍を見せるわけですね。ソロの3rd、未曾有のヒットとなった No Jacket Required から、ジェネシスのInvisible Touch、そして We Can't Danceの時期、まさにフィル・コリンズとジェネシスの黄金時代といえる時期を、家庭で支えたのがこの女性だったわけです。

 ところが、今度は、1992年の We Can't Dance のアメリカツアー中、何故か分かれた最初の奥さんが電話してきて(最初の奥さんとの間にも子どもがいたので、子どものことで連絡は常に取っていたようです)、学生時代の初恋の相手がロスに住んでいることを知らされ、ご丁寧に電話番号まで教えてくれるのです。これで初恋の女性と再会したフィル・コリンズは、あっという間に不倫関係に陥ってしまうのですね。

 このときの不倫相手とは、泥沼になることなく分かれることになるのですが、結局フィル・コリンズは、この不倫を通じて、ジルとの結婚生活がすでに破綻しているということを悟るんですね。そして、その不倫と自分の気持ちを奥さんに打ち明けずに葛藤している精神状態のときに制作されたのが、このBoth Sidesなのです。

I don’t view Both Sides as a public statement that I have closed the doors on my second marriage. That’s certainly not the message intended for Jill. Rather it’s an honest account of the turmoil I've been experiencing. I'm just acknowledging what happened, and doing so the only way I know how.

Both Sides は、僕が2度目の結婚の扉を閉じたことを公言するものだとは思ってない。それは間違いなく、ジルに向けたメッセージではないんだ。むしろ、僕が経験した混乱を正直に語っているものなんだ。僕はただ、起こったことを認め、自分の知っている唯一の方法でそうしただけなんだ。

Not Dead Yet / Phil Collins(日本語訳は筆者)

In any case, I have more pressing concerns. To be painfully honest, I've realized that my marriage to Jill is over. I've undermined everything, and I can’t see a way back.

いずれにせよ、僕にはもっと差し迫った心配事があった。つらいことだが、正直なところ、ジルとの結婚生活はもう終わりだと理解したんだ。僕はすべてを台無しにしてしまった。もう後戻りはできない。

Not Dead Yet / Phil Collins(日本語訳は筆者)

 一番元気に仕事して、結果も出ていた時期を支えてくれていた奥さんをほったらかして、初恋の人と不倫しちゃって、あげくに元の奥さんに愛想が尽きるとかって、なんか「そりゃ人としてイカんだろ」と思うわけですが、そういう事だったんですね。芸術家の考えることは、我々凡人にはわからないですなあ…。

 そして、このBoth Sides、本人は「混乱」と表現しましたが、何か内向きでプライベートな印象が強いアルバムになったというわけです。そして、これがそれまでと比べて、やはり売れなかったのでした。このアルバムからシングルカットされた曲 Both Sides Of The Story も、全米最高25位、Everydayが最高24位と、これまでビルボードのベスト10常連だったフィル・コリンズが、らしくないセールスで終わってしまったわけなのです。

 実際本当に、このアルバムを手にした当時は、良い曲もあるけど、全体的に地味で、それが「新機軸を狙ってコケた」くらいの認識だったのです。Both Sides Of The Story で歌われた、「物語には必ず両方の立場がある」というメッセージは、前作でホームレスを歌って、ちょっと社会派的なテーマを採り上げ始めたフィル・コリンズの新しいメッセージではないかと思ったりしたのですが、なんとそんなプライベートな話だったとは…なんですね。こうして、後になってこのコンテキストを知ると、ここがフィル・コリンズにとっての、大きな節目だったことがよく分かるのです。

 というのも、これ以降フィル・コリンズはかつてほどのビッグヒットはもう出なくなるし、その後の女性問題の展開がなかなか情けないのですね。ジルとの離婚を決意したフィル・コリンズは、今度は Both Sides のツアーで訪れたフランスで、通訳としてアサインされた若い女性に入れあげてしまい、自身の離婚が成立する前にこの女性と不倫関係となるわけです。挙げ句に、ジルに離婚を願うFAXがイギリスのタブロイド紙にすっぱ抜かれて、大騒動になったりするわけなのですね。(なんか似たような騒動を最近日本で目にしましたが…w このときのFAX流出も、どう考えても奥さんの側から流れたとしか考えられず、やはりこういうのを「泥沼」というのだと思いますw)

 こうして、すったもんだの挙げ句に1999年に3人目の妻となる女性が、オリアンヌ・シーヴェイという人なんですね。この女性、タブロイド紙的興味で言うと、「世界最悪の有名人の妻」というランキングで必ず上位に出るくらいの人でして、一体何があったのか(しかも現在進行形なんですよ…)は書くのもうんざりしますので、ご興味のある方は、奥さんの名前をググってみてください(^^;)。

 こうして、わたしにとっての1993年というのは、今考えればということではあるのですが、長年追いかけてきたフィル・コリンズとジェネシスが、いよいよ終わった年だったということなのです。(フィル・コリンズのジェネシス正式脱退のアナウンスはもうちょっと先のことですが…)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?