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四人囃子はジャパニーズ・フュージョンへの入り口だった!?

 フィル・コリンズがはじめてジェネシスのボーカリストになって制作されたアルバム A Trick Of The Tail の日本盤を聴いた後なのか、それを聴く前だったのか、今となっては記憶が定かではありません。ただ、このアルバムとほぼ同じ時期に、わたしは日本のバンドの歴史的名盤にも出会っているのです。それが、四人囃子のゴールデン・ピクニックスです。

 え、四人囃子といえば、「一触即発」だろうって? 確かにそれも否定しません。

 でもわたしはリアルタイムに聴いたゴールデン・ピクニックスの方になんか思い入れがあるんです。もちろん一触即発は聞いてました。ただ、これをいつごろ聴いたのかの記憶がないんですよ。一触即発はまだ中学生だった74年6月のリリースなんですが、これを中学生の時に聞いた覚えがないんです。なので、75年以降に聴いてるんじゃないかと思うのです。もちろんこれには結構ハマりました。当時それなりに日本のロックバンドも聴いていたのですが(外道とかw)、やはり一触即発にはちょっと驚かされました。

 そうしているうちに、76年4月にニューアルバムのゴールデン・ピクニックスが発売されたのです。一触即発は友達からレコード借りてテープに録音していたので、アルバムは買ってなかったのですが、気に入ったバンドだったので、ニューアルバムはリリースされてすぐ買ったというわけです。

 ジェネシスのときもそうだったのですが、前のアルバムで気に入ったバンドが、次のアルバムをリリースするとき、こういう「歴史に残る」ようなバンドというのは、必ず前のアルバムとは違う面を打ち出してくるんですよね。前のアルバムが売れたからといって、同じ事をやってこない。これはそういうバンドにとって、だいたい共通してると思うんです。だからこそ「歴史に残る」事になるんだと思うんですが、このときの四人囃子も、一触即発とはかなり違う感じの仕上がりのニューアルバムを世に問うてきたわけです。

 とくに一触即発と違うと思ったのは、「洗練された」という印象でした。前作のちょっと荒削りな感じから一転して、なにもかもが、すごく当たりが良くなったような印象を受けたのでした。

 なかでも演奏面での白眉は、このインストルメンタル曲ですかね。もうこれは、世界のどのバンドとも異なる四人囃子究極のオリジナルなんじゃないかと思います。この1曲だけ聴いても、彼らが国際的な水準のバンドだったということがわかると思います。

なすのちゃわんやき

わたしはつい最近まで「なすの茶碗焼き」なる料理が日本のどこかにあるんだとばっかり思っていたのですが、実はそうでなく、これは彼らの言葉遊びだったのですね。「なす」とは野菜のナスではなく、彼らが合宿した那須に由来しているとは…

 このアルバムでの四人囃子のもう一つの変化は、歌詞だったのではないかと思います。というもの、一触即発に収録された曲の歌詞は、かなり意味不明なものが多く、そこに何かメッセージが込められているのかどうなのか、まるで分からなかったのです。

みんなでひとつずつ 歌を歌うことになって
みんなはもちろん 彼女のことを歌ったのさ
俺の番がやって来て
あの子のことを歌おうとしたけど
文句を忘れてフシだけで歌ったのさ
そしたらみんなは怒って
オレの頭を殴りつけたのさ
おまつり
そうなったら
もうおしまいだ
だってオレは金ぴかの時計を持って
よろこばなきゃならないんだ
一触即発

 まあなんのことやらという感じですね。正直一触即発は、サウンドの凄さと裏腹に、日本語があまりにも意味不明で、わたしとしてはそこだけはちょっと厳しかったのですね。英語の曲なら意味分からなくても、内容がくだらなくても、わからないので全然平気だったのですが、母国語は意味が通じるだけに、よけいに変な歌詞というのは二重になんかキツいなあ・・・という感じだったのです。

 ところが、ゴールデン・ピクニックスではそこがかなり良い感じになったわけです。「空と海の間」は何の違和感もなかったし、何よりも「泳ぐなネッシー」はすばらしかった。

泳ぐなネッシー

 これは、ネス湖のネッシーに、「ずっと隠れているんだ」「出てきちゃいけないよ」「人間はひどいことするからね」みたいに呼びかける歌として、きちんと歌詞が完結してるんですよね。他愛のない歌詞というご意見もあるかもしれないのですが、当時のわたしは、案外こういう歌詞にちょっと心動かされるところもあったんですよね。(まあどんだけ暗い高校生活送ってたんだよという感じでもありますけど….笑)

 そして、もう一つ書いておかなければいけないのは、アルバムのエンディングを飾るこの曲なんです。

レディ・ヴァイオレッタ

 かなり凝った「泳ぐなネッシー」の後、アルバムのエンディングとして、すごく雰囲気のあるインスト曲なのですが、これこそ、後のフュージョンブームを先取りしたような名曲です。恐らく当時の森園勝敏の興味は、すでにロックから離れてこういう音楽に向いていたのだと思います。そして彼はこの年の夏には四人囃子を脱退して、つぎにプリズムというフュージョンバンドに参加するわけです。

 わたしはこの後、森園勝敏を追いかけて、1977年のプリズムのファーストアルバムを買うわけです。このあたりから、わたしは明らかに盛り上がりつつあった、ジャパニーズ・フュージョンの流れにのっかっていたようです。そういう意味で、この日本のロックの歴史的名盤とも言うべきこのアルバムは、自分にとっては、実はフュージョンへの橋渡しにもなった1枚でもあったのだと思うのです。

 ところで、この後の四人囃子なのですが、森園勝敏の後任に、佐藤ミツルがボーカルとギターに入り、あと2枚アルバムを残します。この佐藤ミツルは、森園とはちょっと毛色の違うギタリストでしたが、やっぱり相当なテクニシャンで、それはそれで嫌いじゃなかったのです。

Printed Jelly (1977)

 佐藤ミツル擁する新生四人囃子の最初のアルバムは、かなりカッコイイ仕上がりで、サウンドはとても良かったんですよ。プログレっぽい感じは少しなくなりましたが、単なるストレートなロックでなくて、四人囃子的なひねりのきいた良いサウンドだと感じてました。アルバムプロモーションのためにFM東京のスタジオで行われたスタジオライブがオンエアされて、それはなかなかすごいスタジオライブで、ラジオ聴きながらのけぞってたりしたのでした。(この音源はカセットに録音して結構何度も聞きました。その後カセットの再生環境が無くなってしまい幻の音源になってしまっていたのですが、ついに最近四人囃子アンソロジーというCDに一部が収録されましたね)。とにかくかっこ良かった。ところが、サウンドのかっこよさと裏腹に、なんだか歌詞が厳しいのです。相変わらず歌詞の意味がなんだかよくわからないのに戻ってしまったように感じたのです。聴いていて、なんか積極的に「恥ずかしい」感じを受けてしまったのですよね。まあこれこそが四人囃子の個性なのだという思いもあるのですが、日本語でこれをやられると、ちょっと…という思いが、やっぱりどうしてもぬぐえなかったのでした。

包 bao (1978)

 実は、このアルバムはリアルタイムに聴いてなかったのに、日比谷野音で行われたライブには行ったのですね(あの、客席をアルミホイルで覆ったというライブの時ですね)。 このアルバム全体の印象は、前作のソリッドなロックからまた方向が変わり、ちょっとテクノっぽいフレーバーも入ったポップ路線という感じでしょうか。ちょうど78年というのは、世界的にもパンクムーブメントやらニューウェーブの台頭とかの時期で、それまで活動していたバンド(特にプログレ勢)はみんな何らかの方向転換を模索していた時代なのですよね。四人囃子にもその影響があったということなのだと思います。アルバムとしてはけっこう良い曲もあるのですが、全体としてはまだ明確な方向性が見つかってないような印象を受けてしまいました。結局四人囃子はこのアルバムを最後に活動を停止してしまったのでした。

 四人囃子が、包 baoを発売した同じ年、森園勝敏は初のソロアルバム、バッド・アニマを発売します。わたしとしてはこの段階で、四人囃子より、フュージョン路線に舵を切った森園勝敏のほうについて行ってしまっていたということなのです。

Dear Harvey / 森園勝敏バッド・アニマ(1978)

 結局この時代、それまで頑張っていた旧来のロック勢が勢いを失っていくそのすき間に、フュージョンという音楽のブームがやってきて、みんなそっちに行ってしまったという感じがあるのですが、なんだかんだと、わたしも結局時代といっしょに流れていったと言うことなのです。(ただし、ジェネシス関連だけは除く 笑)

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