不快と思う自分の心を見つめる

嫌なことを言われたりされたり、被害を受けたり、
その人の言動が不快だと思う事、
嫌いな人の笑い声、話し声、
そう感じた自分の心をなかったことにせず
くさいものにふたをせず
しっかりと掃除をしてあげる。

何に反応しているのか?
その不快な気持ちはなぜ起こったのか?
表面ばかり見ず、その原因を掘ってみる

すると、マウンティングを取って優越感に浸りたいダシにされたとか、
低次元の自分中心さを目の当たりにしたからだとか、
人の気持ちを考えずやったもん勝ちみたいな開き直った態度に対する嫌悪感だったりとか、そういうその人の言動に対するモヤっとやイラっとが不快な気分なわけだ。

しかし、その人がそういう人格に優れない、気配りが乏しい事で
自分が不快な思いをするのは果たして仕方がない事なのか?

否。とらえ方、向き合い方によっては全然スルー出来るはず。

まず、物理的不快感はどうにもなりません。例えば隣の人のたばこの煙を吸ったとか、交通事故で追突されたとか。

けれどそれ以外の小さな日々の不快な出来事には
とらえ方次第でマイナスをプラスに変えられる
そしてこのスキル、思考回路を定着させることによって得られるメリットとは、ストレスを回避できるので心身が健康でいられるによることです。
心に色があるなら、もやっとやいらっとは心の泉を汚す汚染物質。
いつでも澄んだ泉をキープできれば、心身ともに楽で楽しく生きられる。

だから、捉え方のスキルを身に付けることは出来るのです。
サッカーもピアノも英語も、日々の練習の積み重ねで上手になります。
初めからベートーベンが引ける人はいないはず。

人格も磨くことが出来るのです。心を鍛えて人格を向上させる。それこそが、本当に価値のある生き方ではないでしょうか。

そのためには、まず、反応を選択する事です。

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