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実家が私の帰る場所ではないと感じた時、女性ははじめて男性と結婚する

先週、一週間ほど実家へ帰った時、ふと「あぁもうここは私の帰る場所ではないんだな」と感じた。実家の中の様子に特に大きな変わりはなく、幼い頃柱に作った傷や、キッチンカウンターに飾られた修学旅行の土産物だったり、自分がここにいたことを証明するものはたくさん在るはずなのに。

それで、ずっと心の中に余韻として残っていたさめじまみおさんのあるnoteの記事を思い出した。

ほんの数年前まで、じつはわたしの結婚相手は実は実家であり、さらには子どもたちであり、夫という存在に、自分のなにかを心から委ねたことなんて、なかったんだ。ということに気づいてびっくりした。

わたしは心の底では「自分が絶体絶命のピンチに陥ったら、両親だけがほんとうの味方だ」と思っていたし、同様に「子どもたちだけがほんとうの家族だ」と、思っていたと思う。

読んだ時、ちょっとドキッとしてしまった。あれ?これは私のことか?と。

どんどん仕事が忙しくなっていく夫とは対照的に、仕事の融通がきき、時間的にも精神的にも余裕がある実家の両親の方が圧倒的にサポートの手が早い。私が育児で辛い局面を迎えている時、まるでどこかで見ていたんじゃないだろうか、と思うぐらいぐらい瞬時にナイスアシストがくるのだ。気をつけてはいたものの、私にとって頼れる存在は夫よりも両親だと感じていて、私は心の深いところでいつもこう思っていた。

「私が今いるこの家も生活も仮のもので、私が本当に帰る場所は実家である」

文字に起こしてみるとゾッとするけれど、本当のことなのだ。
結婚して新しい生活を作っているつもりでも、気づいたら実家のコピーを作ろうとしていたし、夫と新しい慣習を作り出すよりも慣れ親しんだ実家から持ち込んだ慣習を垂れ流し続ける方が楽ちんなのです。

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実家へ帰った時はここぞとばかりに羽を伸ばして休むのも幸せだった。

幸せだった・・はずなのだが、今回実家へ帰った時は休むことを身体が拒否していた。

色々と生活改革をして遊んでいるからか、育児超絶辛い期のフランス生活が効いているのか(笑)、気づいたら私はどこへ行っても生活を作らずにはいられない身体になってしまっていた。

「ねぇ、ここで休んだら反動で家に帰った時すごーく辛いよ? それに、何かあっても実家があるからいいやなんて思っていたら普段の生活が投げやりで雑なものになるんじゃないの?」

必要以上に羽を伸ばしすぎると身体から注意されてしまうのだ。
そこで、両親が仕事へ出かけると子供と遊びながら実家の家の中をひたすら掃除し続ける。自分の過去のものも整理して捨て続ける。そんな毎日だった。

すると、色々と生活を工夫したくなる。こうすればもっと家事導線がコンパクトになるとか、ここの棚を撤去したら吹き溜まり解消になるとか、掃除ルーチンをこう組み込んだら何時間ぐらい時間が浮きそうだ、とか、床のものをどかして絨毯を干し、箒をかけてこよなく愛するクイックルワイパーを滑らせながら妄想する。

だけど、ここで普段暮らしているのは私ではないのだ。私がここにいた時よりもだいぶ歳をとり生活スタイルも穏やかになった両親たち、なのだ。


「あぁそうか、もうここは私の帰る場所じゃないんだな」と思った。


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そうしたら急に寂しくなって、「早くおうちへ帰りたい」と思った。

そのお家というのはここ、実家ではなくて、普段私が暮らしているおうちの方だ。日々カオス状態でみんな忙しいながらもなんとかやっていくなかでふとすごく幸せな時間がやってくるような、そんな毎日を送る私のおうち。

もう実家に戻れない寂しさと、早く自分が普段暮らす家に帰りたいという寂しさは似ているようでちょっと違う。

そしてどちらもほんのりとかすかな嬉しさを含むものの、その嬉しさの種類も似ているようでちょっと違うのだ。


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電車に揺られ、車に揺られながら普段自分が暮らす家へ戻り、玄関のドアを開けた時、ここが本当の自分の家なんだとちょっとした感動を覚えると同時に、私は実家ではなくようやくこれで夫と結婚できるんだなと思った。

「帰ってくるという経験を通じて家が本当に家になる」というようなことをこちらのブログでも書いたのですが、

実家ではなく自分の家が帰ってくる場所になった時、女性ははじめて男性と結婚するんだろうなと思った。家庭を作るってきっとそういうことなのだ。

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