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木を描くと、そこに今のわたしがあらわれる|裏の畑美術部

全然更新する時間が取れないまま11月も終わりが見えてきてしまいましたが(汗)、先月10月10日は月に一度開催の、シュタイナー教育の絵の教室「裏の畑美術部」でした。水彩は、9月にバイオグラフィーワークを終えたので、この日の課題は久々の自然物。

黄色で満たされた大気の下には水の青と熱の赤。そこからスーッと天を目指して伸びていく一本の木。
葉を描き込んでいる様子。
それぞれの木

どんなアングルから見るのか?
遠くから俯瞰しているのか? 寄って木そのものと同化しているのか?
枝葉のふる舞いはどうか?
根はどんな風に張っているのか?

木を、その人がどのように捉えているかで全く違う構図や絵肌になる。
シュタイナーの水彩を習ってから、木の絵は何度も描いているのだけれど、その時々で全く違う木が画面上に現れるから不思議だ。今度並べてみよう。

かいた絵を語ることで新たな視点が発見される

木のあり方がまるでその人の「今」を表していることが面白いのだけれど、さらに興味深いのはそれぞれが「子育てのどのフェーズにいるか」が木の描き方にも現れているということだった。

乾いた後のわたしの木

わたしはもっと俯瞰したアングルでのびのびと枝葉を横に広げる木を描きたかったのだけれど、根っこや枝を描き込んでいくとそれに持ち堪える幹が必要になってきて・・気がつくとドドンとでっかい木を真正面から捉えるような絵に仕上がりました。

子育てをひと段落された参加者のお一人が「わたしも昔、こういう木を描いていた気がする」とお話されていて、そっか、これが小学校1年生の子を持つ母親の現状か・・。としみじみ。

この日はフォルメンにいく前に、先月までバイオグラフィーワークの課題で描いてきた全ての絵を並べて味わう時間を持ちました。

左側がわたしのバイオグラフィー

全体をパッと見回してみると、21歳-28歳の一番最初の太陽期だけ異様にうすい・・。生命力を感じない(笑)。当時のことを思い返してみても、突発性難聴になったり突然声が出なくなったりと、なんとなくこの世から感覚が抜けていたなぁと。
でも、こうして記事を書きながら改めて見渡してみると、あの時わたしは透明になったんだなと思った。その後の7年期(28-35歳)は最も地上と深く関わる年齢と言われているけれど、その前にふとわたしは天を見上げたのかな。



続いてはフォルメンです。

膨らみが回転して新たな衝動へ
高校の頃、生物学の教科書でみた何かの生き物を思い出す



後半はわたしが担当するボディワーク部です。

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