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課外活動で全国優勝して、東大に落ちて、マレーシアに渡った半生-高3編

こんにちは、マレーシアに留学中のRayです。なぜタイトルのような進路になったのかについて語る記事です。

このシリーズも今回で最後です。高3での課外活動や具体的な受験スケジュールについて書いてあります。一番参考になると思います。



前置きと記事の要約

IB校に入学した私は、高1の頃に松本杏奈さんの存在に衝撃を受けて海外大学に憧れ始めました。
高2では課外活動を頑張り、研究コンペをはじめとした色々な大会で全国優勝や県優勝などをもぎ取りました。

高3では研究コンペで世界大会出場などを経験しました。東京大学に面白そうな研究室を見つけて推薦で受験しますが、不合格だったのでマレーシアのモナッシュ大学に進学しました、という内容の記事です。


課外活動関連

高3では以下の課外活動をやりました。

  • 研究コンペ:世界大会出場

  • 別の研究コンペ:全国大会の努力賞とか予選落ちとか

  • 研究の校内発表会:最優秀賞

  • 論文の執筆×2本

  • 将棋の大会:県3位

  • PC関係の大会:全国3位

  • 文化祭の実行委員会

  • プログラミングの成果物

以下、それぞれの活動について簡単に書きます(時系列ではないです)。

研究コンペ関連

研究コンペは高2で全国優勝していたので、世界大会も推薦出場させてもらいました。研究テーマは高2の時と変え、新規で実験をしました。英語でAbstractを書いたり発表したりしたので大変でした。
案の定日本の大会とはレベルが違ってボコボコにされましたが、凄すぎる生徒の発表を聞いたり異文化交流をすることができて、最高の経験でした。

この後、高2のコンペと高3の世界大会の2テーマを論文にまとめました(めっちゃ時間かかった)。他の科学研究コンペにも2つ応募してみたところ、一つは最終審査まで進んだものの受賞はなし、もう一つは全国努力賞をいただきました。

また、母校では「総合的な学習(探究)の時間」があり、そういうレポートを書いたりした人を集めて全校の前で発表する機会がありました。こちらも出場したら最優秀賞でした(ネタ分多めでプレゼンしたらウケた)。

ちなみに、研究関連のことではメディアに取り上げてもらったり市の組織に表彰してもらったりもしました。

表彰の副賞が現金でビビった

将棋の大会

将棋部最後の大会は5, 6月あたりにあって、県3位でした。夏の大会も出ようと思えば出られましたが、忙しくなりそうだったのでここで引退しました。

将棋ではたくさん賞を貰いましたが、正直中学の頃のほうが強かったのでその貯金の力です。高校では特に努力していなかったので、部活に対する充実感はあまりないです。

PC関係の大会

高2で全国5位だった大会です。高3でも出てみたら全国3位でした。高校生として出られるのも最後だったので、結果が付いてきて嬉しかったです。

文化祭の実行委員会

生徒会自体は高3の春に辞めましたが、代わりに文化祭の実行委員会に入り、開会式, 閉会式の進行やPC関係のことを扱う部門のリーダー的ポジションになりました。

始めは甘く見ていましたが、他の部門との連絡や人員の手配、動画編集から当日の進行までやる必要があり、激務でした。毎日家に帰ってからもこの仕事に忙殺されていたので、研究コンペの世界大会の準備とも重なって自由時間がほぼありませんでした。
他の部門員を信用しておらず指示を出すのも下手だったので、一人で仕事を抱え込んでキャパオーバーしてしまいました。人を頼れる時には頼ることも大切なのだと学びました。

プログラミングの成果物

研究コンペの関係上Pythonというプログラミング言語を高2から触っていました。この時期にJavaScriptHTMLの本も読んでいたので、この力を生かせないかと考えた結果、文化祭の特設ウェブサイトを作ることにしました。

先生にお願いして学校のサーバーを借りました。ゲームやクイズも作ってアップし、この結果が各縦割り班のスコアに加算されるという仕組みを生徒会に提案したら通りました。ウェブ開発のいい経験になりました。

受験関連

志望校決定

高2編でも述べたように、この頃は海外の大学でコンピュータサイエンス系のことを学びたいと考えていました。春休みの間にかなり進路について調べましたが、カナダのコミカレマレーシアの大学で迷っていました。

ですが最終的に、カナダのコミカレは資金的に少し危なそうだったり、いい大学に編入できるかが不安だったのでやめました。

大学進学の資金は親と相談した結果、マレーシアなら大丈夫そうだと分かりました。どうせならいい大学に行きたかったので、現実的に進学できそうな中で豪モナッシュ大学(QS世界ランク42位)がいいなと思いました。
世界ランク100位以内の英ノッティンガム大学も魅力的でしたが、モナッシュ大学のほうが世界ランクも高くて立地も都会で楽しそうでした。

ただこの時研究コンペの経験を思い出し、海外で勉強してみたいという気持ちと同時に、高校時代の研究の続きをしたい気持ちも出てきました
ちょうど面白そうな研究室を東京大学に見つけたので、高3の春あたりから東大の推薦入試も視野に入れ始めました。

東大は研究内容、モナッシュ大学は日本と違う環境がそれぞれの魅力で、ベクトルが違いすぎて選べませんでした。
ですが、マレーシアはいつでも行けるのに対して東大推薦は現役か一浪しか受験不可なため、せっかくならと東京大学の工学部を第一志望にしました。正直、自身の活動を評価してもらえる推薦入試にチャレンジしてみたい気持ちもありました。

受験スケジュールと合格校

  • ~高3の8月:課外活動に熱中しすぎて何もできていない状態

  • 9月:第一志望を東大に。共通テストの勉強スタート

  • 10月:東京大学の推薦入試の出願

  • 12月:書類審査を通過したため推薦入試の面接を受ける

  • 1月:共通テスト受験

  • 2月:推薦入試の結果発表(不合格)。IELTSを急いで受ける

  • 3月:IELTSの結果返却。モナッシュ大学に出願

  • 4月:モナッシュ大学に合格

*****

  • 🌸 合格校:
    🇲🇾モナッシュ大学マレーシア校(サンウェイカレッジ)
    🇲🇾ノッティンガム大学マレーシア校

  • ✖ 不合格校:
    🇯🇵東京大学(推薦)
    🇲🇾マラヤ大学

東京大学の受験

東大推薦は学部によって形式が異なります。工学部ではまず書類審査があり、それを通過すると面接がありました。その結果に加えて共通テストの成績(総合得点8割以上がボーダー)を見て合否が決まります。

書類審査では、志望理由や課外活動の実績の一覧、将来やりたいことなどをまとめて提出しました。
書類審査は通ったので面接も受けました。専門的な質問もありましたが、全部答えられましたし教授の反応も良かったので手ごたえはありました。

共通テストについては、高3の9月まで全く勉強してこなかったことが仇となり、夏の時点では何も解けない!みたいな激ヤバな状況でした。
当時、勉強は浪人すればいくらでもできるけど課外活動は今しか楽しめないからそっちを優先しよう的な計画性皆無な思考をしていました。

あと、8, 11月にはIBの最終試験が控えており、その対策も同時並行で行わなくてはいけませんでした。結局、IBは直前対策しかできなくてEnglish B HLがグレード6寄りの5点(満点は7点)でした。そんなにスコアが良くなかったのでちょっと残念でした。

ただ、共テは3ヶ月ほど対策すると全科目で9割以上取れそうな感じになりました。が、本番の前日は緊張で一睡もできず一日目の点数が死にました。特に英語はプレ模試で97点だったのに60点になりました😇

本番すごく緊張するタイプなせいか二日目も出来が悪かったですが、9割目標だったので下振れてもなんとか最終的に8割以上は取れました。
ボーダーもクリアしたし面接の感触も良かったので受かったなと思い、その後は鼻くそをほじりながら過ごしていました。

ですが合否発表当日、結果は不合格でした。普通に悔しくて泣きました。
聞いた話では情報系は人気だったようなので、優秀な受験者が他にたくさんいたのだと思います。でも全力でやった結果なので後悔はありません。

面接を受けた東大本郷キャンパス

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ちなみに東大の一般入試は受けませんでした。推薦で入ると進振りなしで人気の情報系に進めるからというのと、正直現役では受からなそうだったからです。推薦で自分のことを評価してくれないのなら、別に海外も面白そうなのでそちらに行けばいいと考えていました。

他の日本の大学も興味のある研究室がなかったため受けていませんが、海外に行くなら何か月か暇ができるので試しに入学しても良かった気はします。
あとは余裕そうな大学に入ってGPAで無双し、その後いい海外大学院に行くとかもアリだなと思います。

裏話で、自称進学校だったので共通テスト後に担任が「どこか国公立大学を受けなさい!」と圧をかけてきて嫌でしたが、進路指導の恩師に言ったら「お前が受けたくないなら受けなくていい」と言ってくれて感動しました。

モナッシュ大学の受験

そんなこんなで東大には縁がなくて不合格となったので、モナッシュ大学のマレーシア校を受験しました。結局進学先をモナッシュ大学にしたのは、先述のように海外大学の中でも世界ランク的な費用対効果が良かったことが決め手でした。

モナッシュ大学と言っても、正確にはそのファウンデーションコースのMUFY(Monash University Foundation Year)を受験しました。海外大学の授業にいきなり付いていけるか不安だったのと、大学を再受験して変える可能性があったので、学部に直接入学はせず一年猶予を持つことにしました。

*****

マレーシアの大学受験ではペーパーの試験はなく、高校の成績証明書と英語の資格のスコアだけで合否が決まります。初留学で不安だったのでエージェントを使いました。

成績は高校3年間オール5だったため問題ありませんでした(3.5以上で受かるらしい)。

語学力要件についてはIBの英語スコアを使いたかったのですが、エージェントが手続きを面倒くさがったので仕方なくIELTSを推薦入試後に受けました。
急ぎだったのでほぼ対策なしでしたが、初受験でOverall6.0(要件は5.5以上)だったので、そのまま3月ごろに出願して合格しました。IELTSは形式が国際バカロレアの英語と似ていてやりやすかったです。

あと、入学する気はありませんでしたが、試しにマレーシアのノッティンガム大学マラヤ大学も受験してみました。
成績オール5だったので落ちるわけないと思っていましたが、マラヤ大学だけは不合格でした。マレーシアの国立大学は留学生の受け入れ人数が決まっているようなので、早めに受験しないと不合格になるのかもしれません。

周囲の反応

母校はIB校とはいえほとんどが日本の国公立大学に進学するような自称進学校だったので、周りからは東大推薦や海外大進学を反対されると思っていました。

でも蓋を開けてみたら全然そんなことはなく、逆にお前なら行ける!と先生も友達も両親も応援してくれました
恩師も何人かいて、課外活動を見守ってくれたり受験を応援してくれたりと色々なサポートをしてもらいました。本当に感謝してもしきれません。私はそういった意味での人間関係には非常に恵まれていたと思います。

あと、田舎の弊害で海外大学や課外活動の情報が全然入ってこず、周りにそういう方面で頑張る仲間もほぼいませんでした。
私は一人で我が道を進んでも平気な性格でしたが、それでも進路に関する情報は全然入ってこなくて困りました。こういった地域格差は日本の教育の課題だと思います。

終わりに

受験後は暇だったので、教養として漢検2級を取ったり自分のYouTubeチャンネルを頑張って伸ばしていたら、卒業の時期になりました。行事も課外活動も思いっきり楽しめ、周りもいい人ばかりだった最高の高校生活でした。
高校卒業後のギャップタームはバイトをしたり日本の観光をしたり友達と遊んで過ごし、 7月からマレーシア渡航して今に至ります。

全四編の長い記事でしたが、これでひとまず終わりです。

これから大学を決める人は、あの時あれをしておけば…と後悔が残らないようにやりたいことを思いっきりやりましょう!私自身もやりたい活動を好きなだけやった結果、課外活動でもたくさん賞をもらえましたし、自分の夢が明確になって受験を頑張れました。

かなり珍しい進路選択だったと思うので、中高生やギャップイヤー生の参考になれば幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。

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