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京都で何を学んだか

 こんにちは、潰瘍性大腸炎とコロナで中断してたジェンダー外来の通院再開したら自分史書くところからやり直させられててキレ気味のとまよこ りゃんシーです。染色体検査もMRIもやり直すのか!?

 2011年から2016年まで、僕は京都で一人暮らしをしていました。
 その時の不摂生とストレスが原因でIBSになってSIFOになって副腎疲労症候群になったのは何度も書いてきた話なのですが、今日は京都でどんな勉強をしていたかについて書こうと思います。

 僕は京都工芸繊維大学と言うところの建築学科に進学したのですが、その大学を選択した理由としては以下のようなものがありました。

  • 駅前にでかいTSUTAYAがあった

  • 西洋建築の勉強ができた(当時、西洋ファンタジーの漫画を描いてたので)

  • 京都国際漫画ミュージアムに行きたかった

 まぁ、ほぼこの3つが動機です(※ほんとはweb系の専門学校に行きたかったんですけど許されなかったので苦肉の策&性転換のために一人暮らしする必要があった)。僕は工学院大学附属高校に通ってたんですけど、工学院大学って建築系では名門なんですよね。で、工学院大学を蹴って京都の変人だらけの集まる芸大崩れのカビ臭い大学に進学するバカと言うことで何度も「考え直せ」って言われてました。いや、別に建築家になりたい訳じゃねえから…と思ったけど予想以上に変人だらけでした!!!(笑)本当にヤバかった…でも良い刺激にはなりました。みんな今何してんだろう。六本木で学芸員でもやってんのかな。

 もちろん大学卒業は二の次だったけど、一応寝てる間に講義を録音したりして勉強する気はありました。でもそのデータが消えた(正確には友達にUSB渡したらなくされた)ので結局学費無駄だったな…。。出たい講義もまだ幾つかあったし入りたいゼミとかも決めてたんですけど、1年のときに必修の英語のコミュニケーションの授業を「この単位は性転換してから取ろう」と2年ほど溜めていて、結局精神科医に「発達障害だから親を連れて来い」と言われて性転換挫折したので出るタイミングを見失い留年を繰り返してしまったため親に退学させられましたね。大学はほぼインターネット&学食&寝るために行ってただけです。漫画のネタになりそうなやつは出た。たまに京田辺とか花園とか亀山の大学まで行って単位互換制度で出席したけど結局試験出なくて単位落としたな…あ、ちなみにこれが僕のGPAです。入学式のオリエンテーションで「GPA低い生徒には面談が入ります」とか言ってたけど結局一回もなかったな。

 で、TSUTAYAのほうはそれはもうメチャクチャ行きました。毎日1本映画を観ると決めていたんですが、映画によっては3時間くらいあるのもあるわけで、観るだけじゃなくてメモを取ったり模写したりしてたので、それで一日終わっちゃうんですよね。だから朝までそれをやって大学で講義を録音しながら寝て、ろくに飯も食わずにTSUTAYAへ…というループを2年くらいしてました。ほかにも近くのビデオインアメリカで漫画を立ち読みしたり…。最終的には映画を観る集中力もなくなったので辞めました。

 で体調不良で1年くらい休んで、いよいよ真面目に大学に通い出すのかと思いきや、これをやらなきゃ絶対後悔すると思って京都国際漫画ミュージアムも年間パスポートを買って2年間毎日通いました。毎日。。そんなワケで今回は2年間通い詰めた僕が京都国際漫画ミュージアムについてご紹介しちゃいます!

 京都国際マンガミュージアム(通称MM)は、京都駅から地下鉄で10分ほどの「烏丸御池」駅にある漫画の図書館です。小学校を改装してあり、大正レトロな雰囲気を楽しめます。床の音がすごい。
 チケットを購入すれば漫画が読み放題。晴れている日は毎朝綺麗に掃除してある芝生で寝転びながら漫画を読めちゃいます。やった事ないけど。
 館内は飲食禁止で、入口を出たところにあるカフェで食事をしますが、狭いしあまり美味しくないと思う。もちろん食べた後は再入場可能。どこかで食べてきてから来るのがおすすめ。
 1階は翻訳系やサンデーやマガジン、コロコロコミックなど平成の少年漫画が置いてあり、休日は似顔絵作家さんが来ていたり、漫画を描いてみるワークショップなども開催しています。のらくろとサザエさんだけは1階にあったはず…
 2階は昭和~平成の少女漫画コーナー、特設コーナーのほかに火の鳥のオブジェや、MMの名物である「マンガの壁」があります。

「マンガの壁」とは?
 戦後(月光仮面/赤胴鈴之助あたり)~ONE PIECEまで、その時代を代表する漫画が時系列順で陳列されている大きな広間です。2年通ったけど、全部は読めなかった…でもほぼ読んだぜ!僕の人生で一番の財産が、ここの漫画を読んだことです。選出基準は不明ですが、小学館漫画賞を受賞した作品が多かったように思う。

 で、3階は昭和~平成の青年コミックや劇画と、特設コーナーと、奥に「研究室」があり、精華大の大学院生とかが研究していたり、登録すれば誰でも閉架の本を持ってきてもらって読むことができます。雑誌や貸本漫画、海外の雑誌(マーベルとかDCとか)は開架にはないのでここで申し込んで持ってきてもらって読みます。どこにあるのかは知りませんが(多分地下かな?)MMには全部で30万冊の蔵書があるとか…。また、「マンガコンシェルジュ」というサービスを受けられます。「〇〇が〇〇するマンガ」といったように概略を注文するだけで、読みたい漫画を紹介してくれるサービスです。「昔読んだ漫画なんだけど、タイトルが分からない」というときにご利用くださいとのこと。僕も一回チェス漫画ってあんまり見ないなと思って「チェス漫画」で注文してみたら読み切り作品まで教えてもらいました。
 2階や3階にある特設コーナーでは、期間限定の展示が行われてます。原画展示とか….その時期の話題に合わせたものをいろいろやってます。
 あと一回倒れて医務室でお世話になりましたw体調悪いなら行くなっていうw

 いかがでしたでしょうか。まあ、こんな感じです。フロアを通して撮影は禁止なのでお気を付けください。火の鳥のオブジェはOKだったかな?
 外国のお客さんもたくさん来るのでサービスはとても良いですよ!(写真撮ると怒られる)掃除の人までみんな優しいです。最後の頃はもう朦朧としてたんで色々取りこぼしも多かったけど、2年間ありがとうございました。
 あと精華大の図書館に行くと今週のジャンプとかサンデーとかが読み放題なんで、最近の漫画が読みたいときはそっち行ってました。

 ちなみに今住んでるとこの近くにも都立多摩図書館があってそこでも『少年倶楽部』とか読めるのでまだ元気な頃はたまに読んでた。永遠に読めるぞこれ…。あと立川にも「立川まんがぱーく」って言うのがあるらしいけど出られなくなりそうで怖いから入ってません。

 まぁ要するに漫画が好きかもしれないという話でした。
 いくら読んでも、勉強しても、売れるものが書けなければ意味ないんですけどね。もっと早く気づけよっていう。

 あとは明治大の建築学科も受かったけど近すぎて一人暮らしできないから辞退しました。
 他に行きたいなと思ってた学科は哲学科とか考古学とか…あと電磁気学が楽しいと思ってたな~。マイクのエンジニアになろうかなと思ったりした。数学科は楽しそうだけど就職先ないだろうし(笑)観光学とか経営学とかも学びたかった。あとは演劇ですかね。文学とか舞台芸術みたいなのが一番よかったのかなあ。どうなんだろう。子供の頃は生物系が好きだった記憶があるんですが、先生に恵まれなかったのかな?
 結局建築学科を選んだ理由は「最悪漫画家のアシスタントになれるかもしれないから」。後は高校の修学旅行で行ったホテルに感動したからかな。エンターテイメントに携わるっていう目標はずっと変わらないから、ホテルとかアミューズメントパークの計画関係で働くのもいいかもなんて夢見てましたよ。企画するのが昔から大好きだからね。成功した事ないけど。

 芸術系の学校に入って気付いた事は、芸術には2種類あるってことかなあ。僕らのように芸術を「手段」としてしか捉えない考え方(文章よりも効率的な表現方法でしかない=デザイン)と、人間の心を動かす文化的なもの(いわゆるそれが美術、芸術)という捉え方と。僕は後者の捉え方がどうしても出来なくて、居心地が悪くて通えなくなったって部分がでかいかなって思う。まぁでもそういう人達がいる、って分かったことが収穫なのかな。

 まあ、親にほったらかしにされてるのが良く分かりますね(笑)でも悔いはないです。そして生活保護を受けるはめになった訳ですが。母は「こんな事なら最初から精華大に入れてやれば良かった」と嘆いてました。今更言われましても。精華大なら日本工学院でよくね?
 とにかく「性転換したら実家には帰れない」と思ったので「大学在学中の4年間で食べて行けるようにならないと」という焦りで頑張りすぎちゃいましたね。就職するのは小学生の時諦めた。落ち着いて大学卒業してからMM通うっていうのも難しそうだったから仕方ない。結局性転換も一人立ちもできなかったな~まぁ良いか!発達障害なんだし!そもそも漫画家目指したところからボタン掛け違えてたんだし!大人しく生活保護受けながら就B通います!まぁ、発達障害でなければこんな無茶なことせずに済んだんだけどね。

 それでは、子供の頃の夢は小学館で漫画家デビューして学習漫画に寄稿することだったとまよこ りゃんシーでした。

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