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生き急ぐ

 ゆるやかに下っていく坂の向こうに、背中の丸まった老夫婦の後ろ姿が見えた。ビニールの買い物袋を両手に垂らし、頼りない歩幅でゆっくりと進む。早くこうなりたいと思った。今すぐに老いてしまいたい。あの歳になれば、夫婦で歩いていても、道ゆく人に性的な行為を想起されたりしない。恋愛やセックスをして当然だと見做されている20代から30代を生き抜くのは、居心地が悪かった。




Aro / Ace 言葉の定義はあるけれど

 私がAro/Ace(アロマンティック/アセクシャル)を自認したのは、28歳の頃だった。マイノリティにありがちな「なぜ私は他の人と違うんだろう?」と葛藤した経験はあまりなく、まさか自分がLGBTQ+当事者の1人だとは思わなかった。「アロマンティック」「アセクシャル」という言葉とその表面的な意味を知ってからも、しばらくの間は無自覚でいた。

  • アロマンティック:他者に恋愛感情を抱かない人。

  • アセクシャル:無性愛者。相手の性のあり方に関わらず、他者に性的に魅力 を感じない人。性的な関わりを望まない人。

 それぞれ意味を言語化すると以上のとおりだ。(電通ダイバーシティ・ラボさんのアライ・アクションガイド2023年版から引用させてもらいました。)
 言葉で書き表すとしたら、確かにこうするしかない。でも、私は「無性愛者」というアイデンティティはないし、ドラマやフィクションに出てくる恋愛感情は理解できた。自分もいつか、多幸感の溢れる恋愛を経験できるのだろうとさえ思っていた。だから、気づくのが遅くなった。

 私は会社員だ。会社のアライ・コミュニティの中で、会社という小さな社会を良くしようと奮闘中だ。コミュニティに入ってしばらくの間、自分は当事者ではないという認識だった。当事者ではないからこそ表に立って活動ができていた側面もある。(Aro/Aceを自認した後もその事実は伏せた上で活動を続けている。)
 早い段階で「アロマンティック」「アセクシャル」という言葉にも出会った。LGBTQ+の「+(プラス)」に含まれるセクシャリティで、目立たない・マイナーな存在に感じられた。多くの人はLとGとBとTともしかしたらQまで意味を調べ、Aro/Aceにはなかなか辿り着かないだろう。言葉の意味で認識しただけでなく、登場人物にAro/Aceのキャラクターが出てくる漫画まで読んだ。その漫画に出てきたキャラクターは、ひとりでどこへでも生きて行けそうな強いひとで、私との共通点はひとつもないように思えた。
 直接的に自認のきっかけとなったのは、昨年3月にAro/Aceが取り上げられていた日経新聞の記事を読んだからだ。

 ともに生きるパートナーが欲しい当事者や、フィクションの恋愛は楽しめて実際片思いもしたけれど、いざ付き合うと"そういうこと"ができなかった当事者のリアルを知って衝撃を受けた。スマホで記事を読みながら心臓がバクバクしたのを覚えている。私は当時、付き合っていたパートナーとの関係に悩んでいた。記事に書かれていることと自分が差別化できるかというと、できない。できなかった。私が抱えていたモヤモヤはこれなんだと、的の真ん中にナイフを突き立てられた気分だった。

このnoteの目的

 私はなかなか気づけなかった。30歳を目前に、なにかと自分の生き方を考える時期である。あともう少し遅ければ、精神的にクライシスを迎えていたかもしれない。
 このnoteは、Aro/Aceのいち当事者としての自己表現が、いつか誰かの自認の助けになるかもしれないと思って書く。世の中にサンプルケースは多い方がいい。言葉の定義だけで、生き方の想像まで及ばない。
 匿名とはいえ、自分のことを曝け出すのには抵抗もある。カミングアウトしていない家族や友人が、ここを見つけ私に辿り着いたらどうしようという思いだ。その時はその時だと思いながらも、一抹の不安はある。なので、"そのとき"のために一応書いておく。私は今、幸せに生き急いでいる。

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