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#25 銀河の犬と水玉~曼珠沙華の伝言~

去年の9月と別世界の今

 去年の9月は、これからジュビ子を看取る日がすぐ来るなんて思ってもいなかった。
 ましてやその先にコロナ禍が待っているとは全く想像も出来なかった。
 一瞬にして世界の常識は変わってしまった。
 元々コロナの自粛生活と変わらない寝たきり生活を何年も送っていた私には、コロナによって、対応してくれるようになった世の中が生きやすくなった。
 今まで黙殺されてきた存在の私たちと、健常者が同じラインに立つ。
 すると、生きやすくなるように一気に工夫して進化させてくれる。
 だから、寝たきりの人にもオンラインが対応されたり、アクティブな蜜行動が出来なくなったので誰もが「参加出来ない」という我慢を強いられる立場になり、そのストレスや辛さが理解されやすくなった。
 その上、コロナ後の後遺症がME/CFSの症状と酷似している事から海外では研究が進み始めたと言う。
 その影響で日本でもニュースになっていた。
 もしかしたら、突然ガイドラインが出来るかも?
 治療法が見つかるかも?
 医師に認知される病気になるかも?

 地球のアセンションの話は本当に進んでいるのだろう。
 弱き立場のもの、奴隷となっていた者たちが自由を選択出来る時が訪れている。

 『地の時代』から『風の時代』へ移行する。
 今まではピラミッド構造で底辺にいた私達は蔑まれ搾取される事に慣れすぎてそれがおかしい事だと気づけずに、それが常識であるとすら思って生きてきた。
 ルールは守らなければならない。
 誰の為の何の為のルールなのかもわからないまま、上から押さえつけられるがままに従ってきた。
 その時代はもう終わる。
 現に、沢山の隠蔽されてきた悪事は明るみとなっている。
 今までは忖度で揉み消されてきた事が、社会の問題として浮き彫りにされてきている。
 私の裁判もきっとそのタイミングの波に乗れたのだろう。
 一昔前なら、何の希望も持てずに相手にされずに形だけの弁護士と、傍聴席のいない法廷で、国が勝つと決まっている出来レースが行われたかもしれない。
 だけど、今は国がしてきた誤魔化しや、都合よく不正な審査を通してきた事も明るみになる時代に入っている。
 今起きている社会の問題は、自分の目に見える世界の問題は、全て自分の責任であると自覚する事。
 私もこの病気になるまで、まさか病院や行政が患者を虐めるような事はしないだろうと思って生きてきた。
 こんなにも迫害される病気がある事を知らずに生きてきた。
 無関心で無知だった。
 そんな私達が今のこの世界を作ったのだ。
 バリアフリーに無関心な人達が、今の世界を作っているからバリアフリーは進まない。
 自分に関係の無い病気や問題には無関心な人達が、今の病院も行政も病気を信じてくれない所へと作り上げている。
 全ては〈自分ごと〉である事。〈他人事〉として遠くから眺めるのをやめたら、

 ……全員がやめたら
 世界が変わらない筈がない……

 戦争など起こる筈がない。

 これからは、同じ目的の志を持つ者が集まってサポートし合って磨いていく時代。
 今よりもっともっと、運命共同体か?と言うような息の合う人達との出会いが待っている。
 私はそれを疑う余地が無い程に、信じられる。
 去年には想像も出来なかった未来が今ならば、この先も今は「まさか」と思う結果に変えられるはずだ。

偶然と必然

 偶然と言うのは無いらしい。
 全ては完璧な宇宙のタイミングで起こること。
 私はジュビ子を看取ってから一周忌を迎えるまでの間に、沢山の心の旅をした。
 沢山の気づきを貰えた。
 でもそれは、ジュビ子からだけではなかった。
 同じ内容になるが、ジュビ子の他にも支えてくれた人達の存在があった。
 ジュビ子の使命と同じくして、存在してるだけで良い命の価値を教えてもらった。
 それは紛れもなく推しバンドのリーダーだった。
 私が確定診断を受けて、最初に報告する事になったのはたまたま郡山でイベント前の時間にホテルのエレベーターで一緒になり、向かう先が途中まで同じという事で、そこまで話しながら歩かせて貰えた時だった。
 その時はそこまで大変になるのはまだまだ先だと思っていたので「重い話じゃないんですけど、私が後ろで動かずに見ていても、つまんないからじゃなくて、安静にしてるだけなので、拍手とか歓声送れなくても楽しんでると思っていて欲しい」と告げた事から始まった。

 次には杖を付くようになり、簡易車椅子になり、電動リクライニング車椅子へと移るのは本当に早い期間だった。

 救急車騒ぎになるから、もうイベントへは行けないな、迷惑かけちゃうもんな。
 そう思っていた私に、リーダーは全部打ち砕く言葉をくれた。
「お前に必要なものは全部俺が揃えてやる。何でも言え。それでお前が来られるなら俺は何でもやってやる。俺がお前に会いたいんだから。」
 違う意味で「もう死んでもいい」と思えた。
 それはもちろんリップサービスに終わらなかった。
 電動車椅子は60kg近くあり、1人で持つにはせいぜい車の荷台に載せる時位なのだが、リーダーは2階の会場までの階段を1人で運んでくれた。
 バラすのも組み立てるのも、一切教えてないのに、適当に触っただけでバラせて組める。
 なんという才能か。
 そして私に教えてくれた。
「お前を応援してる人間がいたら。それは何人とかの問題じゃないんだ。1人でもいたら、それを絶対に忘れるなよ。」
 その深くて大きい言葉の意味は、ジュビ子が命をかけてこの犬生で教えてくれようとした事と同じだった。
 その存在の重みを、大きさを、知る為の修行にしては本当に過酷だったけれど、私はもう、病気である事をマイナスとも思わない。
 これからまたジュビ子が戻ってきて新しい時代が始まるとして、希望に満ち溢れた世界は、病気であっても障害者であっても叶える事が出来るって今の私は知っているから。
 だから、病気が治るか治らないかは問題ではない。
 不足を感じる人は健康体でも才能があっても環境に恵まれていても大金持ちでも不満である。
 充足を感じる人は他人と比べて何が無くても、満たされている。
 治療法が無く理解もされない病気であっても、イコール不幸ではない。
 私にはそれを学ぶチャンスが充分に与えられた。
 ただ、治らないのであれば、それに必要な今よりスムーズに使える車椅子だったり、家で出来る仕事を探す事だったりの準備が特殊になるだけで。
 そしてまだ全く進まない裁判も、敵だらけの中で1人でやるしかないのかと覚悟を決めた時、弁護士にも患者会にも頼れない絶望的な状況に置いて、それでも私は進むことを決めた時、拡散の為のフライヤーを作ってくれる友人が現れ、発信に使う似顔絵を書いてくれる友人が現れ、そのフライヤーを配ってくれる友人が現れ、その友人がリーダーに手渡した事で、風向きが変わった。

 リーダーがSNSに私の裁判を応援すると公言してくれた事で、一晩で4千人のアクセスを集めた。
 そして見ず知らずの人まで応援に来てくれた。
 傍聴の人数は世論を反映するとされて、とても大切な数値だった。
 元々来てくれる予定だった親友たち。
 県外からも来てくれた。
 同じ患者の皆さん。
 体調がお辛いのに、「皆の問題」として駆けつけてくださった。
 前日に新聞に載り、記者さんも来てくださった。
 複数の記者が患者会に問い合わせを入れたようで、患者会の協力も得られるようになった。
 傍聴席は満席。足りずに補助席を出してもらった結果となった。
 そして小さな法廷から大法廷への扱いとなった。
 自分に一致して行動すれば、問題が起きてもそれをクリア出来るだけの人や物やチャンスを引き寄せて打ち破っていけるのだと話で聞いてきた事が現実になっていった。
 私の声が聞いてもらえるだけのステージには押し進めて貰えた。
 それは本当に、関わってくれた皆さんの力がとても大きかった。
 それは勿論リーダー1人の大きな力だけに限らず、応援してくれた全ての一人一人の力のおかげだった。

 この裁判も、勝ち負けに拘ることなく、勝ってもおごらず、負けても腐らず、意志を貫いてやり遂げたいと思っている。

幸せの芋づる式

 闘病と裁判において、リーダーのイベントを通しての新たな出会いから、また大きく力を貸して頂ける存在が現れた。
 リーダーに報告するきっかけとなった郡山の地で活躍されているバンドとそのお仲間の皆様だった。
 合併症で本当の寝たきりとなってから這い上がるまでのリハビリ曲も必然のタイミングで彼らの新曲と重なった。
 裁判もまた、ラジオやブログで紹介してくれたり、ラジオメンバーで前日に動画メッセージを撮ってくれたりした。
 ジュビ子を看取った時にもお花とお線香を送ってくれたが、その花の色が、後に私の人生に関わるラッキーカラーの中の黄色と一致した。
 他にも小さな日常で色々とシンクロの起きる、きっと「運命共同体」だと勝手に思っている。
 裁判の時にお守りを送ってくれたり、栄養ドリンクを送ってくれたり、野菜ジュースや美味しい温麺など、飲食までお世話になり、いつも支えになってくれる存在となった。
 働けなくなって社会から断絶されて、医療界と行政から見捨てられ、友達にも会えず、孤立していく力のない1人の中年に、リーダーとロックバンドが寄り添ってくれるアンバランスの不思議に、本当に世の中何が起きるかわからない。と感じていた。

 捨てる神あれば拾う神あり。
 拾う神が豪華すぎやしませんか?
 幸せしかないです、ありがとうございます。
 今世の使命の、どん底を見て無価値感を爆発させるはずが…
 振り返ると、とんでもない大物の皆様に、支えてもらって守られていたということ。
 宇宙は慈悲深い。
 だからきっと大丈夫。
 どんな「問題」が起きても、もうダメだと何度思っても。
 きっと全部大丈夫。
 私は全てを持っている。
 あなたも全てを持っている。
 皆が全てを持っている。
 本当は完全な存在だと、思い出すだけで良いんだ。

与えたものを受け取る

 後に裁判の傍聴に来てくださった患者さん達から
「私はあなたのおかげで障害者手帳を取ることが出来て助けられた。今度は私があなたを応援する。恩を返したいのです」
 と言葉を頂いた。
 実は、自分が障害者手帳を取れるまでに地獄を味わったので、同じく地獄地域にお住いの患者さん達に、早くそこから抜け出して欲しくて、地獄で叫んでいても何も変わらないから、自分で地獄から抜け出して掴み取って欲しくて、医師の許可を得て、その神様のような医師の存在と連絡先をブログに紹介していた。
 私にも沢山の問い合わせがあり、その数は50人を超えるまで時間がかからなかったが、先生の元にはそれ以上の連絡があり、今まで障害者手帳を諦めていた患者さんが、手にすることが出来ていたのだ。
 後に先生はテレビでも紹介されるようになり、私が拡散しなくとも、困っている方へ情報が届くほどの有名な医師へとなっていた。
 そしてまさにその医師も、傍聴席に足を運んでくれていた。
 宇宙は与えたものを受け取る。
 私は情報を知ってる1部の人だけ特別に…ではなく、地獄にいる全ての人がせめて私の位置まで来て欲しかった。
 皆で上がって欲しかった。
 それを望めば、宇宙は、私をも上がらせてくれるようにサポートをつけてくれるのだ。
 情けは人の為ならず
 こういう時に使うのだろうか。
 巡り巡って自分が助けられる事になった。
  と言っても私はお知らせしただけで、実際に行動した患者さんと、正当な診断書を書いてくださった医師の力でそれは叶えられたのであり、私の力は無いのだけれど。

 障害者手帳を取れずに苦しんできた皆様だから、体調もさぞ大変でお金も大変なはずなのに、傍聴席に来てくれる、行けないけど応援してます、と連絡をくれる。
 それがどれ程大変なことなのか、私はよく知っていた。
 その想いに感謝しかなかった。
 そしてその人達の為にも今度は障害年金の壁も変えたいと改めて心に誓った。

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