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ざわめきと、ヌード。

この人は、一体何を考えているのだろう。彼の型破りな写真を見て、そう思わない人はいないのではないだろうか。

そういう人々は、この記事を好奇心たっぷりに読み始めるのかもしれない。しかしこの人は、それさえも楽しんでいるのかもしれない。

どうしてヌードを?

ざわめきさんがカメラを持ち始めた頃は、バンドのライブ写真を撮ることが多かったという。女装家の人びとに声をかけて撮らせてもらっていた時期もあったそうだ。その中で、写真は人びととコミュニケーションをとるために役立ってきた。この人は「変な人が好き」で、「変な人とは仲良くなれる」「優しい人が多い」というが、それには私も大いに共感できる。ヌードの撮影も、“変で優しい人”同士のコミュニケーションであることが多いように感じる。

「もともと、生き物が好きなんですよね。」
この言葉でも、この人の写真を紐解くことが出来る。この人は草木や花と同じように、生き物として人の裸を写しているのかもしれない。植物とヌードを組み合わせた作品も多い。写真を撮る中で、もとから持っていた“生き物への愛”が反映されていった結果が、この人のヌードなのではないだろうか。

写真は、必要か。

ざわめきさんには、しばらく写真を撮っていなかった時期がある。ずっと撮りたいと思っている訳ではなく、写真に依存しているわけではないというのだ。他人の写真をみることにもあまり興味がなく、機材への強いこだわりもないらしい。写真集を作ったり展示をしたりするのも、周りに勧められるからにすぎないという。そう話しつつも、「でも、ほんまはどうなんでしょうね。」とこぼす。

エロにも、ジャンルを。

ヌードをやる我々にとって、やはり“エロ”はひとつのキーワードである。ざわめきさんの写真は、“媚びないエロ”を体現していると私は考えている。下着を写す場合であっても、服を捲り上げるのはいつもモデル自らの手で、その瞳はまっすぐにレンズへ向けられている。写り手が受動的に脱がされ媚びるのではなく、能動的に脱いで魅せるのだ。

そして、撮り手であるこの人は言う。
「自分の写真、あんまりエロいと思ってないですね。」
「エロにもジャンルがあればいいですよね。ポップとか、ロックとか。」

おわりに

ざわめきとは一体何者なのか、と興味津々で読み始めた人びとにとって、この記事は物足りなかったかもしれない。私がこの人について“書けること”はまだ沢山ある。しかし、“書きたいこと”はひとまずこの程度である。人びとの想像に任されるような余白がある方が、この人の面白さが活きるからだ。

邪推や無粋な詮索などはさておき、この人の謎めいた写真から起こる心のざわめきを、まずは愉しんでみてはどうだろう。

[写真、情報提供]ざわめき
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