自分自身になる方法|「引き寄せの法則」研究所

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「引き寄せの法則」に興味があるということは、何らかの願望を叶えたいと思っているのでしょう。

それはつまり、その願望を実現した自分の方が、まさに自分らしいと思っている部分があるからに違いありません。


そのようにして人間を、自分自身になりたいと願っている存在だと見ることができます。

この点について、もう少し詳しく書いていきましょう。


重度の鬱状態でもないかぎり、自分以外の誰かに対し、羨望や憧れを感じることがあるのではないでしょうか。

けれども、もし誰かとまったく同じ経験ができるのだとしても、その人と同じ感動を味わうことはできません。


どういうことを素晴らしいと感じるかについて決めているのは、社会による影響も強いものではありますが、やはり最後は自分自身であるからです。

より詳しく言うとすれば、それを決めるのは自己の中でもエス(無意識)の部分だということになります。

しかし多くの人が、エゴ(意識)こそが自分自身だと勘違いしているのです。


いつでもゴーサインを出すのは、エスです。

例えば、何かについて「やらなくては」と思っていても、「始められない」「続けられない」という状態の訳は、エスが「ノー」と言っているからです。

エスこそは、感情や欲求を生み出し続ける源泉なのです。


子供の頃を思い出してください。

水たまりがあったら、走っていってジャンプし、そこに着地して水をはねさせるのが子供です。


それをしたら楽しそうだという衝動を、そのまま素直に表現してしまいます。

しかし、大人になっていくにつれて、そうした感覚は忘れてしまっていることでしょう。


もちろん、いつでも子供のように振る舞えというということではありません。

そもそもそういう考えが頭に浮かばなくなってしまったところに、例えば一つの問題があるのではないかということです。


もう一つ、例を挙げてみます。

医者の診察を受けて、何かの診断をされ、薬の処方や手術の提案などをされたとしましょう。

そのときに、「ああ先生、そのとおり、ぜひそうしてください」と思うこともあります。


しかし、「この男は、何を言っているのだ?そんな話か?」と思うこともあるでしょう。

重要なのは、その感覚です。

そこで答えているのが、エスだからです。


エスが同意することによって、病気は劇的に改善されます。

人間の内部には、素晴らしい製薬プラントが始めから備わっているからです。


つまりは、自然治癒力と呼ばれるもののことです。

逆に、エスが同意しないとそのプラントは動かず、それどころか毒を生み出しさえして病気は長引き、あるいは、より重くなってしまうのです。


このことは、昔の医者ならば誰でも知っていたことです。

なぜなら、個々の病気の症状に間違いなく効果を発揮する薬が開発されたのが、本当に最近の話でしかないからです。


つまり、長らく医者というものは、プラセボを使って患者の治癒力を引き出していた存在にすぎないということです。

プラセボは偽薬とも表現されますが、その効果は決して偽のものではありません。

むしろ、積極的に使っていくべきものです。


エスの言うことを聞いたとしても、ただ怠惰になったり、欲望の赴くままに振る舞うなどと恐れる必要はありません。

エスには、充実して過ごしたいという欲望もあれば、価値のあることに貢献したいという願いも持っているからです。


逆に、怠惰に陥ったり快楽にふけりたくなるのは、エスの声を聞かずにエゴに振り回されているからに他なりません。

エスの声を無視すると本当の願望が満たされないので苦しさが増し、近視眼的になります。

すると、目先の楽しさに心を奪われるようになるのです。


何も、聖人君子になれというのではありません。

ただ、自分の中に眠るよりよく生きたいと願うような根底的な生き方を、忘れてはいけないだろうという話です。

そうして、その鍵こそはエスが握っているということです。


何をしたらあなたの中のエスが納得するかを、他の誰かが判定することはできません。

そうして、エスを納得させるというそのことを、多くの人が自分自身でも分からなくなってしまっています。


多くの人が抱えているフラストレーションの原因は、そこにあるのです。

癒やされないままでいる乾きがずっとあるとすれば、イライラが募るのは当然の話です。


たとえ何かで世界一になって、多くの人に賞賛されたとしても、エスは納得しないかもしれません。

また誰一人、注意を払わないようなことであっても、それさえできればエスが深く納得するようなこともあるでしょう。

世の中の規範を語るスーパーエゴや、損得を勘定するエゴの声に、惑わされてはいけないということです。


自分の中のエスが望むものと社会が認めるものとの間にあるズレについては、さほど心配する必要はありません。

自分がどこまでも納得するようなことができれば、それを理解する人は必ずいるからです。

逆に、それができないのならば、人からの激賞などは望める筈もないものです。


つまり、中途半端なもので仕事を完成としてしまうことは、すべての人間を見くびることでもあるということです。

忘れてはならないのは、誰の心の中にあるエスであっても、社会を屈服させるだけの力を秘めているということです。


本当に自分の中のエスが納得するものを生み出そうとして行けば、人は「約束の地」に導かれます。

本当は、そのことを信じることこそが、「信仰」と呼ばれるものなのです。

そうして、そうやって生きていくことができれば、もはや心が乱されることもないと知ることが「悟り」と呼ばれるものです。


「本当の自分」というのはエスのことで、大切なのは、その望みに沿って生きることです。

多くの人が、自分が何を望んでいるのかが分かっているような顔をして生きています。

けれども、その分かっている部分というのは、大方がエゴの望みでしかありません。


望むことの多くは、親や周囲の人間の考え、あるいはテレビや雑誌などのマスメディアが作り上げたものです。

消費社会におけるメディアというのは、決して「有用な情報を伝えるための媒介」ではありません。


そうではなくて、「欲しいもの」を作り出すための装置なのです。

面白かったり、便利だったりする話題を届けているのは、そのための撒き餌にすぎません。

多くの人間が、自分の中にどういう望みがあるかを探ることをせず、ただ目の前に並べられたものに反応するだけになってしまっています。


ではエスの声は、どうしたら聞こえるのでしょうか。

聴き逃し、あるいは、無視することになれてしまった心の耳は、どうすれば取り戻せるでしょうか。

エスは理屈を語らず、ただ感覚を知らせ、あるいは無言のメッセージを送ってくるだけです。


そのメッセージの一つは、「自ずとそうなる」ということの中にあります。


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