note創作大賞応募作品 エッセイ部門 小説家のエッセイ 認知の歪みと、置かれた場所で咲くという事

最近よく考える事だが、今の人生は自分の望んだ人生なのだろうか?

子供時代から、大人になったら小説家として大成し、歴史に自分の名を残す事を夢見て生きてきた。
夢が無くなった訳では無い。今でも、書店に自分の本が平積みされて、サイン会をし、ネットで話題になり、本屋大賞に選ばれて、国語の教科書に自分の小説が教材として載り、母校から名誉ある卒業生として呼ばれて講演をする・・・という一連の流れを夢見て、現実的にもそうなる事を願って日々noteに小説やエッセイを綴る日々である。

noteでもたびたび言っているが、元々私は家庭を持つつもりが無かった。それが、どうしてだか、夫と出会い、交際して、結婚する事になった。子供を持つつもりは無く、独身時代は「自分が母になる事は生涯無いだろう」と思っていたのに、夫と出会った時、「私の子供のパパになるのはきっとこの人だな」と感じた。結婚後、「この人をパパにしてあげたい」と思い、かねてより父親になりたいという夢を抱いていた夫、彼の夢を叶える事にした。
そして今、私のお腹の中には娘が居る。 

子供の頃に思い描いていた人生とは、全く違う人生を送っている。
あの頃思っていた人生の中では、自分は成功しても、その時子供や夫は傍に居ない、バリキャリの独身女性のように、小説を書くという事のみのために生きて、自分の人生の貴重な時間を夫や子供に費やすなんていう事はしないと決めていた。子供は、子育ては時間の無駄だと。
もしかしたら結婚はするかもしれない、夫と居るのは、別に夫を育てる訳じゃないし、そこまで時間の無駄ではないかもしれないけど、子育てなんて絶対に無理だ。とかなり長い間思っていたのだ。

私にとって小説を書くという事は、何よりも重要で、他の事はすべてどうでもいい、唯一優先するべき事。小説を書く事が一番大事で、他の事はすべて二番手。学校に通っていた頃は、小説を書く時間が勉強よりも大切だったし、会社勤めをしながら小説を書いていた頃は自分が会社でやっている仕事はあくまでも、金を稼ぐための手段で副業。売れないミュージシャンが生活費のためにバイトをするのと同じで、私は会社がやっている事業や、自分に与えられた仕事、それらすべてどうでもいい事だと思っていた。一日八時間や七時間働く事が、心の底からどうでもいい事・・・この、つまらない会社に来てつまらない仕事をする七時間以上の時間は、本当に無駄な事だと。一日にこれだけ時間が使えれば、いくらでも小説を書く事ができるのに、本当に無駄な事だと思っていたのだ。自分の本職は小説家である。文学賞にいくら応募しても作品が通らない、楽天Booksから出版した小説が全然売れなくても、自分が小説家である事実は変わらない。自分に向いている事は小説を書く事だけ。自分がやりたい事も小説を書く事だけ。他の事は何もできないし、する資格も無い。別に養わなきゃいけない子供もペットも居ない。薄情なものだ。恋人に依存するかのように、小説を書く事そのものに対して、かなり精神的にも依存していた。
平日でも、自分の睡眠時間を削って毎晩小説を書く。そんな生活で心も体も健康になる筈が無いが、そういう生活だった。

ランサーズに登録して、ライターとして個人で仕事を始めた時、これまで自分の人生において、話を書くと言えば小説を書くという事しか頭に無かったけれど、小説じゃなくてもYoutubeの台本を書く、小説とは違うけれど面白い話を書く事が自分にはできるし、クライアントがそれを評価してくれる。視聴者も面白いと思ってくれる。文学賞に応募していた時期は、賞に通らない限りは自分の文章力を正当に評価してもらえる事は無かったけれど、自分が見ても判る形で、自分が書いた話は面白いと認識する事ができた。それは、小説家としての自分はもちろん、人間としての自分の自己肯定感も上げてくれたのだ。

とはいえ小説は売れていない・・・ランサーズとしての報酬が振り込まれるたびに、嬉しいとは思うけど、一向に売れない小説の売り上げをパソコンで見て、どうしようもない気持ちになった。確かに自分が望んだ事だ、面白い話で稼ぐって事は。でも私が書きたいのは小説だよ?純文学だよ?こんな、Youtubeの台本の仕事は確かに楽しいけれども、若干畑違いだ。小説の印税が振り込まれる事を望んで生きてきたのに、実際は違う。報酬だって微々たるもの。実家の母にいつ売れるのと聞かれても、何も答えられない。

実家の家族との確執から逃れるかのように夫と結婚して、家を出た。夫の猫は私の猫にもなり、ペットを飼った事は無かったけれど猫に癒され、猫を愛し、猫にも愛され、最終的に猫は小説の題材になった。REI THE CATや、ミッション・ニャンポッシブル。物書きの傍にはいつも猫が居る。夏目漱石と飼い猫のように、私と猫も良き相棒になり、いつかこの子のお陰で成功できるかもしれないと願った。

子供を持つかどうかについてもいろいろあったが、最終的に子供を持つ事に合意して私は妊娠した。目まぐるしく変わっていく、心と体。家の中も変わり、譲ってもらったベビー用品や、本棚で存在感を示すたまごクラブが、私のライフステージが変化していくのを表現している。家の中に今もある別の物、独身時代から大切に持っているジュエリーや、ハイブランドの香水は、自由で子供や夫に縛られない、軽やかな若い女、独身女性を表す象徴だった。今、それらは、独身から既婚者に変化し、綺麗な若い女だった持ち主がエレガントなマダムにこれからなっていく事の象徴に、なりつつある。

子供ができてから、体調が悪くて仕事もできない日々が続き、ひどい時は家事すらできない。夫が帰ってきても布団の中に入って寝込んでいる有様。少し元気になってくると、家事はできるようになった。夫のために一日家の事をして、夫を出迎えた時、その一日は確実に主婦としての一日で、「こんな人生を望んだ訳じゃないのに!」と泣き叫びたい衝動にかられた。お腹の子供の事は愛しているけど、子供が産まれたら確実に彼女の世話で自分の時間は削られるし、自分が望んでも望まなくても身も心も母になっていって、独身時代の頃のような軽やかでありのままの私、ではなくなると。私が欲しかったのは仕事をしない代わりに穏やかな家庭じゃなくて、家庭なんか得られなくてもいいから社会的に成功する事。大豪邸を立てて孤独に暮らす。そこに子供や夫は要らないのだ。好きなタイプの男性をとっかえひっかえして暮らす、地味な主婦としては生きないし、生きたくもない、そんなのぞっとする。
でも、そんなぞっとする生活を自分は送ってしまっている。だったら生きている意味が無い。子供をおろして離婚して死のうと思ったが、子供はとっくに22週を過ぎていておろせないし、死にたいと思って布団に寝込みつつも死ねない日々が続いた。
毎日毎日血眼になって新着案件をチェックしてもろくな案件が無く、案件があっても低単価で長文を書かせて私の身も心も疲弊させるような案件で、文章を書く事そのものも嫌になってきたぐらいだった。たまに仕事をしてバイトか、バイト以下の報酬しかもらえなかった。自分は小説を書くために生きているのに、その小説で全く成功できていないし、元々するつもりの無かった結婚妊娠をしている。こんな筈じゃなかった。こんな人生は自分の人生ではない・・・。自分の望んでいる人生と、現実の人生が全くかみ合っていない事に苦しんだ。

猫の存在だけが、私を癒してくれた。一日生産性のある作業を何一つできなくても、私の愛を求めてくる猫を撫でて、猫に愛を注ぎ、彼女の食事やトイレの世話をする。それだけでも、「あぁ、私は今日猫の世話はできたな」と思って、満足するのだった。
夫の事は愛しているけれども、自分の心がそんな状態だと、彼をまっすぐに愛する事が困難だった。出会った頃の情熱が落ち着いていって、恋人から家族になった今では、夫が帰宅するたびにドキドキする訳じゃないし、それより、彼を愛している筈なのに「どうしてこの人と結婚したんだろう」とか「元カレと結婚すれば良かったのに」と、もうとっくに愛してもいない元カレと比べて夜ごと後悔するばかり。お腹の子供は深く愛していて、流産や死産は望んでいないのに、産後の生活が激変する事を考えて産みたくないと思ったり、体調がいい時は彼女のために、胎教として音楽を聞かせたり絵本を読み聞かせたりした。だけどそれも、「私は子供に絵本を読み聞かせるだけのつまんないお母さんになるんだ。絵本を買う側じゃなくて、売って大儲けする側になりたいのに」と思ってふさぎ込む一因になったのだ。子供のために絵本を書くのもいいな、とも思い始めるようになったが、小説よりストーリーが短い絵本作家にすらなれそうにない事を思い、ますます自分は何のために生きているのだろう、と思うようになった。
何のためにこれまでずっと小説を書いてきたのだろう?両親が高いお金をかけて高い教育を受けさせ海外留学にも行かされた、それを両親は良い企業に就職し堅実にまとまった人生を送って欲しいと思ったからこそだけれども、自分はその人生を、小説家として華やかに花開くための布石だと思っていた。だのに、花開くどころか芽すら出せていない。最終的にこんな、地元からも少し離れた場所で別段お金持ちでも無い平凡な男性と結婚し、平凡な主婦であり母になるなんて、そんなの私は耐えられない。いつか小説家として成功する事を夢見てこそ子供時代の地獄を耐え忍んだのに、人生の元が全く取れていないではないか?と。

今話題のハリウッドドラマ、真田広之が主演兼プロデューサーで、戦国時代の日本を描くshogunを見て、昔の人はどんなに無茶苦茶な宿命に追い込まれても文句ひとつ言わず生きている、と、自分には全くできない事を成し遂げて来たかつての日本人の言動が信じられない思いになった。
自分が望んでいた人生とは全く違う方向に人生が進んでいっても、ただ黙ってそれを受け入れる昔の人の生き方は、同じ日本人でも私には理解ができない。
実際に存在した按針(イギリスから日本に船で漂流してきて、最終的に徳川家康の家臣になり一生イギリスに帰れなかった)が、ドラマの中でも何度も「自分の船を返して欲しい、イギリスに帰りたい」と訴えているのに、その願いが聞き入れられず叶えられない。絶望を感じつつも日本語を覚えて、日本の侍として適応していく姿は、すげえなあと思いつつ、「でも私が按針だったら日本に適応するの絶対無理・・・絶対どうにかして日本から脱出しようと思う、もしくはそれすら許されないなら絶望して鬱になるわ」と思うのである。今ですら小説家として成功できないなら生きている意味が無いと思っているのに。
最近少子化の記事をいろいろ漁っているのだが、その時も印象的だった、「昔は一日生きるのでさえ大変だった。便利な家電も無かった何百年前は、今の現代人みたいにくよくよ悩む必要は無かった。普通に生きる事で精一杯で他の事は何も考える余裕が無かったから。現代人にとって、普通に生きられるのは当たり前で、その上で夢が叶えられなかったりして絶望して自殺を選ぶ」みたいに書いてある記事があって、私って典型的現代人じゃん・・・とぐさっときた。普通に生きられて毎日ご飯が食べられてるだけでも感謝すべき?でもさ、それって何のために生きているか判んないよね、私は書くために生きているのだ、それなのに成功できていないって・・・やっぱり生きている意味が無い。

で、そんな風に思っていた中、「認知の歪み」という事を初めて知った。心理学について詳しく教えてくれるYoutubeチャンネルで知り、ネットを漁って知識を得た。本人の中では間違った認識になってしまっている・・・というのが、「あぁこれ私?」と思った。なかなか衝撃だった。「その歪みが起こるまでにいろいろある、過去のトラウマなども関係している」というのも、あぁ、自分じゃん・・・そうだったの?私が考えてきた事って認知の歪みだったの・・・・じゃあ小説家として成功してなきゃいけないのって私の認知の歪みのせい?といろいろ考えてしまう。
でも自分の辛い過去は事実だし、それを耐えるために小説が無いと生きていけなかったのも事実。じゃあ認知の歪みは気のせいか?いやでも、別の記事で見た、「人間は辛い事だけフォーカスして、案外、幸せだった事には気づていない」というのにも衝撃。確かに私は子供時代を地獄だったと今でも思っていたけど、子供時代全部が地獄だったかというと、そうでもないかもしれないのに、そう思っている。
ここにすべては書ききれないが、私の頭の中には認知の歪みが沢山あるのだと思う。30歳、認知の歪みを知り、それに気づいたのは、なかなかの人生においての衝撃である。

自分のライフステージが変わり、創作に対する思いも変わり、寝食を忘れる程執筆していた悪癖をやめて、睡眠時間や家族との時間を重視するようになった。大人向けの小説だけでなく子供向けの絵本も書きたいと思うようになった。認知の歪みを知った。

小説家としてはまだ成功できていない。
しかしそれに、生きている意味などあるのだろうか、と思うのは、少々過激すぎたのかもしれない。とようやく思えるようになってきた。思ってもいいけど、毎日その事だけを考えて生きるのは馬鹿馬鹿しいかもしれない。

・・・とか言いつつこの考えは治らないだろう。多分、絶対。多分。
夫に勧められて書き始めたnote。「こんなもん書いても何のチャンスにすらなんねえよ」とぼやきながら始めたnoteは、少しずつフォロワーも増えてきて、自分自身のモチベーションにもなっていった。
そして今、まさかの小説家として成功していけるチャンスになるかもしれないのだ。

私の人生は、私が思い描いていた人生ではないし、私が望んでいた人生でもない。
それでも、今は生きるのだ。
自分の人生のページが最悪なら書き直すのみ。
何故って、私は小説家なのだから。

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