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イエ(家)・イエ(家)

それは3月2日の出来事である。
父親が入所している施設から電話があり午前中、母と奥様とでお見舞いに行くことになった。帰りその施設のトイレを借り用を足す。その時に奥様は何故かスマホを台の上に置き用を足したみたいだ。そしてまた夕方になり父親の見舞いに行く。その帰りも施設でトイレを借り用を足す。何故、こう用を足すかと言うと我が家の14年物のおトイレさんがとうとう(TOTOではなく我が家はINAX)水漏れをするようになった。5回に1回程度の水漏れは何故かワタクシの番にやって来る。その度に濡れた床を吹かなければならない。
そしてここから本題である。用を済ませたワタクシ、奥様、チビタイガーは車に乗り込み家路へと。車を走らせること約30分ほどして奥様が叫ぶ。
「あぁースマホが無い!」
そしてこれまた偶然か、唄の神様が下りてきたのか車内では朱里エイコさんの♪イエ・イエが流れるじゃありませんかぁ!
「あれ、どこ行った?どこ置いた?」
奥様焦るなか車内は♪イエーイエと流れるばかり。
「どこ置いたか思い出してみ?トイレ行った時はあたんか?」
ハンドル握るワタクシの耳にも♪イエーイエは嫌でも聴こえている。
「そうや、トイレ行った時、台の上に置いた気がする」
「おいおいおい・・・また戻らなアカンがなぁ」
疲れたワタクシは少し腹が立った。
そして奥様考え、
「いや、待てよ。それは午前中やわ。」
そして車内では朱里さんがワタクシ達3人にイエイエと叫んでいる。
「絶対、家にある!こんなにイエイエと言ってるんやから家にある」
確信を持ったワタクシ、アクセルを踏み込み急いで家に帰る。鍵を開けてリビングの向かいカウンターを見ると・・・朱里エイコさんが、ではなく奥様のスマホがあった。

この日、3月2日母親の誕生日であった。朝にあった電話は父親が危篤状態になった知らせであった。経験上なのか施設の人が言うのはもう長くないとのことでした。
母親の誕生日に・・・苦しみながら何か言おうとする父。それに答える母。その姿を見て久しぶりに僕は泣きました。ドラマチックな最期だなと思った僕は父の手を強く握った。そして次の日3月3日早朝父親は他界した。
82歳で逝った父親。主治医の先生はこんな風に言ってくれた。
「男の82歳。人生を全うしている」
父の気持ちはどうか分からないが先生の言葉が優しく飲み込めた。
僕の友人は17歳の時、病気で亡くなった。もう1人の友人は30歳の若さで自ら命を絶った。
最期はあっけなく消えてしまう。命持つものの運命。
結局ゴールというか終着点というか、それが始まりかも知れないが『今を大切に生きて、楽しむ』・・・てなぁ事を感じた弥生3月でありました。
ごめんなぁ・・・親孝行出来ず、ありがとう!!!
(写真は父親が元気な時に吸っていた煙草です)

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