見出し画像

増税クソメガネは令和の自由民権運動だ!(兵庫県の歴史より)

国民の怒りを聞け

近ごろ私たち国民は「政治家は国民の方を向いていない」ことに気がつき始めています。
岸田首相は自民党総裁戦に際して小さなノートを取り出し「皆さんの声がここに記されている」と会見したことを覚えている方も多いでしょう。
しかしその「聞く力」は発揮されることなく国民の声はことごとく無視され続けてきました。今では防衛増税やインボイス、炭素税などの増税策を次々と推し進めています。

そんな岸田首相のあだ名「増税メガネ」が話題になっています。それについて首相は「レーシックでもすれば良いのか?」と不機嫌なコメント。
国民の声は「メガネをやめろ」ではなく「増税をやめろ」です。彼はハナから国民の声など聞く力など持ちあわせてはいないのだと国民の怒りの炎に油を注ぎました。
あだ名は進化し続け、増税クソメガネ、増税レーシック、増税クソレーシック、と国民の怒りはまだまだ止まりそうにありません。

当ブログを読んでくださっているみなさんの中に、明治が始まってからまだ数年の頃に、民間の自由な活動を政府に求める運動がおこったことをご存知の方がいらっしゃると思います。
そう、自由民権運動です。我が国のこの先進性には改めて驚きを感じないわけにはいきません。
その結果、国民が選挙で議員を選ぶ民選議員制度が達成されました。しかも、初回の議会で国民から選ばれた多くの議員が求めたのは減税と予算削減だったのです。
現在の岸田首相への皮肉は現代の自由民権運動の始まりとでも言えるのではないでしょうか?

こちらの動画、若い女性が鋭い洞察力で、重税に苦しむ私たちの心に響くアイロニーを展開しています。まるで自由民権運動の時代に自由を求める国民の間で活発に開かれた演説会のようだと感じました。3分半ほどの短い動画ですのでぜひご覧ください。

国民の大半が「増税クソメガネ」などという不名誉なあだ名を受け入れる背景には、ズバリ今年2023年は国民がメディアの依存から解き放たれ、己で発信し正しい情報を自ら掴む「情報の自由化」が背景にあったと私は考える。 〜中略〜 
すなわち国民一人一人が本当の自由を手に入れた時代の始まりだと私は感じている。

増税クソメガネ に 岸田総理 が クラスチェンジ


今回は、一般的に教科書では全国的な動きでしか捉えられていない自由民権運動を、私の住む兵庫県の歴史の中から捉えてみようと思います。
そこで四方を探して入手できた本の内容を参考にして、兵庫県の自由民権運動について少しですが、調べて分かった内容をご紹介していきたいと思います。

『故郷(くに)燃える』〜明治の自由民権運動〜

まず、最初に「のじぎく文庫」より昭和45年から46年にかけて刊行された『故郷(くに)燃える』を紹介したいと思います。

故郷燃える1〜4巻

本書は『神戸新聞』朝刊に「明治百年-兵庫県のあゆみ」と題して昭和42年1月5日から43年12月30日まで564回にわたって連載されたものを加筆修正のうえ「黒船篇」「幕末篇」「維新篇」「明治篇」の四冊にまとめて刊行されました。
のじぎく文庫は会員制の出版として郷土史に関するものが多かったようです。本書については「会報No.60」に記載されていることがその意気込みや読者からの評価の程がうかがえますので、以下に引用します。

「故郷燃える」は、神戸新聞の、当時の“明治百年”取材班が足で資料集めをしたものですので、これまで地元の人も知らなかった珍しい話が出てまいります。新聞を切り抜かれておられた方も、本になりますと、感慨も新たにされたことだと思いますが、この機会に、当時の郷土の話を、ナマで聞くような企画をたてられてはいかがですか。取材の苦心談や、書けなかったうらばなしなど、材料は豊富にありますので、郷土史の研究グループや歴史ファンの集まりで、燃え上がった幕末の人たちの生き方を聞くのも意義のあることだと思います。(以下略)

「新聞の切り抜き」というのも時代を感じますが、出版会からの読者への提言として取材記者から生の声を聴く交流会の企画を促しているのが興味深いです。1970年と言えば大阪万博。日本が高度経済成長時代へ突入し戦後の荒廃を多くの人が忘れ、時代が大きく変わったことを実感できる年であったと思います。

そのような時代に記された、故郷の変遷を知ることができる長期連載『故郷燃える』は神戸新聞の読者にとって、大きな衝撃を与えたことは間違いありません。収録された時代はペリーの乗る黒船の来航を経て始まる幕末の動乱から明治の終わりまで。国全体の歴史的事件のなかで兵庫県がどのように関わっていたか、ひとつひとつのエピソードをつなげながら描いています。また、登場人物の個人的な歴史を織り交ぜ、歴史を物語として感じることができる構成となっていて、素晴らしい出版物だと思います。

日本の政治構造は維新を経ても変わらなかった

明治維新の成果は、前近代的な幕藩体制による政治形態を近代的な中央集権体制による政治形態に変えたことだという。しかし幕藩体制も中央集権体制も違いはありません。江戸と明治の違いは「前近代」か「近代」かだけになります。つまり、本質的な国民性を前提とした政治体制の変化はなかったと思われます。本書には版籍奉還にともない行われた地方政治の変革について、次のように記載されています。

旧藩名がそのまま存続し、旧藩主も「藩知事」と、名称こそ変われ、旧領土と領民を管轄し、税を収め、裁判もでき、藩兵ももてるなど、いちおう旧藩主に近い地位を認められて、満足した大名も多かった。

故郷燃える 第3巻 維新篇 p.323

時代が下ればやがて県令や府知事が中央から指名、派遣されて中央集権国家としての体裁が整うことになりますが、「ご一新」になったからといって地方の統治形態は大きく変わらなかったと言ってよいのでしょう。

これは今を生きる私たちの視点から見ても重要なこと。明治維新があり、GHQによる占領政策があったとしても、日本の基本的な支配体制は変わりませんでした。根底にあるものは「縁故資本主義を基盤としたムラ社会」なのです。
これらを象徴する「老害」「忖度」「同調圧力」など日本の悪しき組織文化を表す言葉が、今の時代においても生まれそのまま浸透していることからもわかります。わが国の政治(ムラの治め方)の基本は統治者を中心に「ムラオサ」を作り、それが責任を持つかのような空気を形成して合議のうえ決するという体裁にしています。本書を読んでもやはり、その思いを強くしました。改革を促進しようという運動が起きても、必ず統治者側からの圧力により制圧されてしまう、そんな繰り返しが描かれています。

兵庫の自由民権運動

明治が進み、やがて自由民権運動と呼ばれる政治運動が始まります。その震源地が高知県というのは有名ですが、時を同じくしてここ兵庫でも連動して運動が勃発していた(淡路地域)のです。(ここからは第4巻210ページからの記述を参照しました)

兵庫県で起こった自由民権運動の始まりは板垣退助の下野がきっかけでした。政府高官を免れ、高知に戻った板垣は地域の活動家とともに「立志社」を設けます。その後「自助社」が生まれ、この自助社支部が淡路におかれました。自助社は民衆や下級武士らが抱いていた薩長派閥政府への反感を掬い上げていました。しかし、やがて新聞条例など、言論弾圧が強められる中で自助社の幹部が捕らえられ廃滅させられてしまいました。

そのような中、兵庫県の北部地域の但馬、丹波地方出身の官吏であった「法貴 発」(ほうき はつ)という人物が本書で1節を割いて紹介されています。

法貴は、旧篠山藩の足軽の家に生まれたが、明治五年に大蔵省へはいり、のち福岡県令代理なども勤めた。十一年に病気で辞任し、郷里の子弟に教えていた。天橋義塾と接触があったのは、このころだが、義塾での彼の行動はよくわからない。
民権活動家として、彼の名が現れてくるのは、十二年三月、愛国社の第二回大会からだ。このとき、彼は、天橋義塾の代表として参加している。

故郷燃える 第4巻明治篇 P.221

この頃から兵庫県の県令(今の知事)が変わり森岡昌純となると、いよいよ自由民権運動は抑圧され、演説会なども官憲の検閲付きとなってしまいます。やがて明治22年の憲法発布、23年の総選挙となります。法貴発は入念な選挙運動の甲斐もあり当選しました。しかし、無理がたたり病気が悪化して国会出席がかなわないまま死去してしまいます。

このあたりの事情は『兵庫県の歴史』(山川出版社、2004年刊)においても同様のことが記載されています(315ページから)。いずれにしても、兵庫県は自由民権運動とかかわりの深い地域であったという思いを強くしました。


明治維新と戦後の共通性〜戦後の新自由民権運動〜

『青雲』(及川英雄作、神港夕刊掲載)という小説があります。神戸新聞の系列で『神港夕刊』という夕刊紙が戦後発刊されていました。本作はその、昭和22年4月より、120回ほど連載されていたそうです。明治時代の自由民権家たちの動きを描いた小説です。
神戸市立中央図書館へ行きますと、その新聞のマイクロフィルムが保管されていましたが、後半の部分の原紙がなかったらしく途中までしか読むことができませんでした。

神港夕刊(昭和22年4月28日)青雲 (6)

なぜ『青雲』という小説が連載されたのか。それはまさに、明治維新の頃の「国会開設」「憲法制定」「自由民権運動」という自由民権運動と同じ動きが戦後すぐに復活したからでした。小説内には全国をまたにかけ活動する民権家たちの行動や人間関係が描かれています。

昭和21年2月ごろから、憲法改正の動きが活発になりました。そして6月、枢密院本会議において憲法改正草案が可決され、その後、貴族院、衆議院を経て11月に公布されました。翌、昭和22年4月新憲法のもとでの衆議院議員総選挙が行われ、5月帝国議会が招集されます。『新しい憲法 明るい生活』という小冊子が作成され、2千万部が全国の世帯に配布されています。

このように、昭和22年の頃というのは、憲法、選挙、国会という国の根幹部分の制度が新しく作り替えられた時代であったわけです。しかも、同様の大混乱が起きてからまだ60年ほどしか経っていなかったのです。その時代の雰囲気と明治の憲法制定と自由民権運動がダブって見えたのも不思議ではありません。何しろこの小説の連載時にあった初の参議院選挙の最高投票率はなんと76%もあったのです。

まとめ 〜令和の自由民権運動〜

現在この記事を執筆しているのは2023年の10月です。これから臨時国会が開かれる予定ですが、もしかしたら衆議院解散総選挙があるかもしれないといううわさも飛び交っています。政局で動くのが政治家だそうですが、1回1回の国会を大切にし、政策一つ一つに対し十分な議論を尽くしてほしいと思います。

「予算を削減したら国が亡びる」ぐらいのことをまだまだ多くの人が思っている現在。

違う、むしろ国民が国に求めるべきは「予算削減」であり「減税」だ。
日本の衰退を多くの人が肌で感じられるようになった今こそ、私たちの稼ぎを横取りする政府の暴力をやめさせることを強く訴えていく必要があります。明治時代、戦後と脈々と生き続ける庶民の願いを聞いてくれる政治家はどこにいるのでしょうか? 令和の自由民権運動がもっと広まってくれますように、と願い、最後に叫びます。

税金下げろ、規制をなくせ!

最後までお読みくださり、どうもありがとうございます。 頂いたサポートは地方自立ラボの活動費としてありがたく使わせていただきます。