占星術師、地平線のドーリア(8)

占星術師 2019年2月9日

 心理学者のユングは自分では手に負えないと思ったクライアントを友人の占星術師に送り込んでいたという話については、水瓶地平はいつも不審に思っていた。確かに新興分野の心理学はボキャブラリが豊富とは言えず、数千年続いた占星術が意識の微妙なところまで明確に説明しきる語法に太刀打ちはできないだろうから、ユングなら占星術師に丸投げしても不思議はないとは思っていたが、でもそもそも占星術の基本的な仕組みは心理学の求めている方向に沿っているわけではないでそのまま横滑りは難しい。占星術という星の体系を使う場合、人が世界の中心であるという考えを捨て、星のほうが主導権を握っているという意識転換をするのが好ましい。それは中世に形成された人は神に等しい存在であるという迷妄を傷つけるので、たいていの人がそこで引いてしまう。それに比較すれば心理学は人中心の考え方で、そもそも人を天空に引き上げる考えなどさらさらない。悩みとは人との関係の上でしか生じないなどと言い切る心理学者さえいるのだから、地を這う体系として占星術とは折り合いがつかない。
 水瓶地平という名前は占星術を知っている人ならば安易な名付け方だと考えるだろう。地平とはたぶん東の地平線で、そこに水瓶座が上がっている人物なのだろうとわかってしまう。ゲーテも自身について、東の地平線に射手座があり、天頂に乙女座の太陽、そして天底あたりに魚座の月があると述べている。水瓶地平は水瓶東天という占星術師が好きだったので、自分も同類の名前にしたかったが、同じ名前にするわけにもいかず、そのころ読んだ鬼平犯科帳が好きだったので、鬼平と末尾が似た地平にしたのだ。つまり水瓶地平という名前は江戸時代の人のような響きがあるのだが、なぜか誰もそのことに気がついてくれず、ほとんどの人が地平線を思い浮かべてしまうのだ。
 でもそれならそれで好ましい。大学生になったばかりの頃、高田馬場の図書館の視聴覚室で武満徹の「地平線のドーリア」を聴いていたく感動し、それからは地平線という言葉にこだわった。占星術では地平線は存在が肉化する場所だが、ドーリアは大地から少し浮いた幻想の国なので、ぴったり地平線には沿っていないと思う。古代エジプトでは、地平線に太陽とシリウスが共に上がってくる時期にナイル川が氾濫し、その時期を新年に決め、自分たちの本当の故郷はシリウスだと考えた。自分たちはたまたま地球に落ちてきたがいつかは帰ると。でも地球との縁も完全には切りたくないのでミイラを作った。水瓶地平はどうして”縁”をきっぱり切らなかったのだろうと疑問を感じている。そもそもヘリアカルライジングでは、シリウスの前に太陽が立ちはだかり、太陽はシリウスを隠そうとしているのだ。その通りにエジプト時代はのちになって太陽神信仰になり、シリウスの思い出を消し去ろうとした。その後シリウスの威を借りながら、太陽はすべては自分の力であると言い張り、後々多くの不幸を作り出した。川が氾濫しないことにはシリウスへの帰還の扉は開かない。でも数多くの人がそれを忘れている。
 武満徹の「地平線のドーリア」はオーストリアの11歳の少女が書いた詩を曲にしたらしく、ガーデン・レインと名付けられた詩は、Hours are leaves of life.And I am their gardener.Each hours falls down slow.というものだ。時は命の葉っぱ。わたしはその庭師。時間はゆっくりと落ちてくる。武満徹の作品は多時間軸が特徴なので、このhoursとは連続する時間でなく、複数にわかれた時間だと考えた。
 水瓶地平の職業は占星術師ではない。が、その場でお金が手に入るので依頼者のホロスコープを読んでいる。サイトに興味を刺激する長い説明を書くと多くの人がそれをじっくりと読む。ネットオークションにしてもよく売れている人はたいてい説明がうまい。水瓶地平は自分のサイトにこれ以上ないくらい丁寧な文章を書いたので、占星術鑑定の依頼が頻繁にやってくるのだ。しかし水瓶地平は自分のもともとの仕事は徘徊師であると信じているので占星術はサイドビジネス。クライアントの占星術相談を受ける時も、カフェとかホテルのロビーとか自分の事務所とか鑑定所は使わない。そもそも彼に事務所や鑑定所などありはしないし、誰にも秘密にしているが実はネットカフェで暮らしている。彼は屋外でクライアントと立ちっぱなしで話をする。場所を指定する時に東経と北緯を知らせ、クライアントはスマホで探してやってくる。寒い冬には震えながらふたりで話をするし、夏は日陰に入らないまま熱射病になることを警戒しながら話し込む。
 クライアントが持ちかけてくる相談事を占星術で答えるのは違法行為であると水瓶地平は考えているが、にもかかわらず数年続いた。依頼者は人生をどう成功させるか、心配事をどう解決するかなど人生の中で生じる問題点について占星術のアドバイスを受けようとするが、星は地上にあるわけではないので、地上に生きている人間には関心がない。ならどうして占星術相談を受けるのかというと、お金が入るからだ。お金はこの大地に生きる人々が捏造したもので、お金を手に入れることは、この大地の上で生きる人々の社会に参加する証明書を手に入れたに等しい。でも正確に言えば、大地の上で生きることではなく、大地の上に生きる人々が作り出した小さな共同体に参加することだ。お金を手に入れることのできる占星術相談とは、占星術の本来性をねじ曲げて、あたかも人の生活に貢献するもののように説明する。星は人の生活に関心がないとはいえ、やろうと思えば細部に至るまで緻密な説明はできる。水瓶地平はこんな悪癖はいつかはやめないといけないと思いつつ、何年も過ごしてしまったことに後悔している。依頼者が手相とか違う占いではなく占星術を指定している時には、実は地上から去って星に戻りたい。そのための突破口が生活の中のどこかにないのかと無意識に考えていることはわかる。
 その昔、近所の主婦が集まって井戸の側で立ち話をすることを井戸端会議と言った。水瓶地平が井戸は異界との扉だと思うようになったのは、映画のリングという物語を見てからで、死者の貞子は井戸の底から這い出してくる。占星術用語で言えば、井戸の向こうは冥王星で若い女性は金星。つまり貞子は金星と冥王星のセットの象徴だが、妊婦は井戸の底を見てはいけないというアーユルベーダの記述を読んでからますます井戸の底は異界というイメージを抱くようになった。星を読むのなら、地上から異界に導く気配があるところで説明するのが適している。
 鬼平犯科帳ではいくらでも井戸が出てくるのに現代にはそれがないのは残念だ。水瓶地平は穴が近くにありそうな寒々しいあるいは安心感のない場所で井戸端会議のようにカウンセリングをしたかったので、井戸の底に似た場所を探し、山の上、川辺、墓場、路地の奥の暗闇などを指定したが、山の上を指定した時、ふたりが遭難して待ち合わせ場所に来れなかったので、山の上は断念した。
 クライアントと初対面で顔を合わせても挨拶はしないが名前は確認する。やってきたクライアントの生年月日生まれ時間、生まれ場所や相談内容を事前に聞くこともない。それは当日聞き出し、その場でデータをスマホの占星術アプリに入力し、小さな画面をハズキルーペで見ながらいきなり説明をするのだが、クライアントの中には、生まれ時間まで正確に報告しなくてはいけないことを知らずにやってくる者もいる。もちろん地平の説明不足だが、データは秒単位くらいまでわかっているほうが正確なホロスコープが作れるのだ。 ひとり20分限定で価格は二万円なので高額だと思うし、吹きっさらしの中でというのも悪条件だと思うのだが、これはたくさん来てほしくないということから決めたものだ。ところが何も気にすることなくクライアントがやってくる。たった20分のカウンセリングのために往復16時間かけてやってくる者もいる。きっとみんな他にお金の使い道がなくため込んでいるのだと思う。最近はモバイル決済することもある。
 彼はアッジェの写真集を見てから徘徊師という仕事をすることにしたのだ。妻の作った弁当を持って、死んだような目をした犬と一緒に一日じゅうパリの街を徘徊し、画家のための素材を撮影する。気に入った場所があると三脚を組み立てカメラを載せて撮影する。しかし大型のカメラは重すぎるので持ち歩けない、水瓶地平はスマホのカメラ機能しか使わないので、アッジェの気分が味わえるわけないし、アッジェのように美しい橋を撮影するわけでもなく、たいてい人がいない路地とか薄暗い場所とか汚い壁しか撮影しない。脳が溶けてしまいそうなくら暑いところで野垂れ死にする、というイメージがいつも水瓶地平に取りついていて、旅先で消耗しつくして客死する憧れは続いているので、確実に実践するだろうと思っている。畳の上で死ねないということを不幸の代名詞として使う人はいるが、水瓶地平からすると畳の上で死ぬということほど屈辱的なことはない。
 これについてどうしてなのかずっと考えていたのだが、水瓶地平は共同体とかどこかの土地に定着して生きたくないという根本感情があることに気がついた。ずっと昔は地平と同じ考え方の人がたくさんいたに違いない。そういう人々は砂漠を移動するように拠点を変えながら生きた。しかし今日の人は定住こそ好ましいと信じている。何か困ったことがあった時でも勇敢に立ち向かわなくてはならないと考えるのは同じ場所に住み続けなくてはならないからだ。よく逃げるなという言葉があるが、困ったことがあったら逃げるのが一番で、それを否定するのは定住してどこにも行けなくなっているからだ。職場でも同じ人間とずっと顔をつきあわせている。あらゆることからずっと逃げ続けることがいいに決まっているのに、どうしてみな良くないことのように言うのか。
 で、自分が占星術をしているのも、この地上のどこかに定住したくないということから来ているのではないかと思った。でも水瓶地平がやっているようなお金が手に入る歪曲占星術でなく、占星術本来の目的を少数の人に知らせることもしなくてはならないと決心した。大きな元締めのような命は複数のタイムラインに分岐する。それら複数の時間はゆっくりと地上に降り注ぐが、そのうちひとつだけが地平線に確実に届いて凝固し、ひとりの人間になる。他の時間たちは固まることなく、ふわふわしたまま個人の周囲に影のようにまとわりつく。それなのに一人の人間は地球に落ちたことしか覚えておらず、他の時間たちが耳の側で囁くのが聞こえない。
 神学が信じられていた時代にはタイムラインは7つ、でも現代では10個あると考えられた。このそれぞれ違う速度で回転する惑星たちをすべて集めると、人間は自分が葉っぱのひとつでしかないことに気がつきもとの大きな存在としての命に戻ろうとする。しかし地上にいる自分の視点を中心にしてしまうと救う手立ては失われる。占星術はそんな地上に転落したかけらを、もとの自分へと救済する梯子にしようとして編み出された。本来の占星術の役割を復活させてしまうとお金は取れない。お金は社会の中でのみ通用するローカルな規則で、限られた地上の生活から解放する目的で、限られた地上でしか通用しないお金を手に入れるという話は矛盾しているではないか。お金を手に入れると何か買う。そして何か持つことで地上につかまってしまう。お金を払って食べ物を買う。身体の中に地上で獲れたものが満たされてゆき、ほとんど大地の成分のみで作られた自分と化してしまう。お金に手に入れる都度、ずぶずぶと大地にめり込んでいくので、たくさんの時間を管理する庭師からはますます遠くなるのだ。

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