月下独酌

月下独酌 2019年1月18日

 会社の同僚に花見を提案し全員に断られたので、リッパー君は桜の花が咲き乱れる下、レモン缶酎ハイ濃度9パーセントの缶を握りしめ、ひとりで夜空を鑑賞していた。花を見るより、どんより暗い夜空が好きだが、あいにく今夜は月が明るい。
 墓地は他に誰もいないが寂しいわけではない。先ほどから月の光に照らされてできる自分の影を視界の端の部分で見ているが、数ヶ月前から影はリッパー君の動きに従うことなく、独自の動きをするようになっていたので違う人物のようで、リッパー君はひとりではなく親しい相棒がいると感じていた。この相棒は月の光の下でのみ現れた。昼の太陽の光で作られる影はリッパー君の動きに合致しており、自分ひとりを実感させた。明るい昼はいつも寂しく、夜の月の光の下では、親しい彼がやってきてくれるので孤独を感じない。
 月と自分と影の三人で交流していると、リッパー君は昼間でのストレスを忘れた。上司はリッパー君が時間どおりに出勤してこないのでいつも怒っていて解雇される可能性がある。リッパー君は乗り物が苦手で朝の電車の中で平衡感覚が狂ってしまい、自分がなぜここにいるのかわからなくなる。正確な時間に会社に行くのは至難の業であることを上司は理解しないだが、解雇されたらその後は自転車も乗れないので徒歩で日本一周したい。地方の老人を騙してお金と食べ物をもらって旅をする計画を立てていたが、考えてみると騙さなくても善人が多いので、正直に自分のことを言えば寝泊まりさせてくれたり食べ物をくれたりするかもしれない。リッパー君は山下清に憧れていたのだ。だめならだめでそこで人生を終わらせればいい。組み立て式のスコップを持っていて、二年前くらいから穴を堀り自分を埋めるイメージ練習をしている。おびただしいシュミレーションのおかげで間違いはないと思う。いつのまにか自分はこの世から忘れ去られる。痕跡は残したくはないので、毎日夕方に肉を食べていて、死んだらバクテリアがあっというまに自分を分解してくれることを夢見ていたが、特に安い肉ばかり買うので二週間に一度は吐いてしまう。しかし修行だと思って我慢して口に入れている。
 最近覚えた歌がある。中国の詩なのに歌詞はドイツ語で、ドイツ語を知らないので丸暗記だ。翻訳を見ると、この歌はパラグラフが終わるところで、生は暗く死も暗いというセリフを繰り返す。両方暗いなら何が明るいのだろうか。それをずっと考え続けた。昼とか生は暗いというのはそもそもわかる。重たい身体からどこにも逃れられないので、これは暗黒だ。重たい身体があるので、考え方も気持ちも重苦しくなってしまうことは誰にも避けられない。でも、この暗い生を乗り越えて死に至ってもまだ暗いというのはどういうことなのだろうか。どこにも逃げ道はないのか。そのことを考えているうちに、リッパー君は電車の中で自分がどこにいるのかわからなくなってしまうのだ。どこにも行きつきたくないという気持ちが原因だと思う。到着駅がどこにもないというのを望んでいるのかもしれない。

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